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ワールド・ナウ

スリランカ

スリランカの障害者の権利保護法

中西由起子

はじめに

 国連障害者の十年(1983~1992)の期間中のアメリカのADAや2年前のイギリスの障害差別法の例にみられるように、先進国のみでなく途上国においても最近続々と障害関連法が制定されている。アジアにおいても日本は言うに及ばず、中国(注1)、タイ(注2)、フィリピン(注3)、韓国(注4)、インド(注5)などの途上国において障害者のための新しい法が制定された。

 スリランカでは、障害者への差別が憲法(注6)においてすら明確に禁止されてはいなかった。むしろ保護のために積極的な措置が必要な分類に該当する者として、国連の基準規則に反するような扱いがなされていたといってよい(注7)。そのスリランカの国会で昨年9月17日に「障害者権利保護法」が可決され、障害者に関する初めての法ができた。

制定までの道筋

 前述の多くの法が成立までに長い期間が必要であったように(注8)、スリランカの障害者たちが制定を要求したらすぐできたといわれる「障害者権利保護法」においてすら、約5年の歳月が費やされている。

 80年代の末に政府が設立した「全国障害団体事業調整協議会(National Council for Coordinating the Work of Disability Organizations)」において5年ほど前に初めて法律の必要性が議論されるようになった。そのため同協議会の中に、法案の作成を目的に技術委員会(Technical Committee)が設置された。メンバーとなったのは、スリランカ視覚障害者連合(Sri Lanka Federation of the Visually Impaired)、全国盲人協議会(National Council for the Blind)、聾者中央協議会(Central Council for the Deaf)、スリランカ身体障害技術者協会(Sri Lanka Association of Physically Handicapped Technicians)、スリランカ精神薄弱者協会(Sri Lanka Association of the Mentally Retarded)などの障害分野のNGOと省庁であった。

 協議会は委員会の作成した法案を1994年に保健ハイウエー社会サービス省に送った。同年に協議会の再編成が行われ、障害者の当事者団体もさらにいくつか加わり、「全国障害者協議会(National Council for Persons with Disabilities)という新しい名称で生まれ変わった。その協議会が最終法案を完成させ、保健ハイウエー社会サービス省を通して内閣と議会に送った。そして法案は修正もなく、国会で全会一致で採択された。

内 容

 法律は37章から成り、6部に分かれる。

第1部 全国障害者協議会の設立(2~14条)

 ―大臣が会長

 ―委員は、大統領が任命した障害者の自助団体を含む、法人のいかんを問わない関係団体の代表者11名と大統領が任命した9名

 ―委員の任期は3年

 ―会議は少なくとも1か月に1回開催

 ―協議会の主要任務は、障害者の権利の推進、向上、保護の保障

第2部 協議会のスタッフ(15~16条)

 ―職員と使用人の任命

第3部 財務(17~19条)

 ―国家障害者基金の設立

 ―基金のための議会によって協議会のために採択された金額、国内外からの寄付の受け入れ

第4部 登録(20~22条)

 ―登録していないボランティア団体の活動の禁止

 ―協議会に登録した団体への証明書の発行

第5部 障害者の権利の保護(23~24条)

 ―雇用や教育での障害による差別の禁止

 ―建築物や場所へのアクセスの権利

 ―協議会による違反に対する高等裁判所への提訴

第6部 (25~37条)

 ―大臣による法に関する規則の制定

 ―官報での規則の出版

 ―議会による規則の承認

 ―協議会の規定の制定

 ―大臣による規定の承認

 ―公務員としての職員と使用人の身分

 ―協議会によって認定された職員によるボランティア団体への調査と検査の権限

 ―タミール版とシンハラ版の法の相違におけるシンハラ版の優先

 ―先天性か否かを問わず、心身の能力の欠如の結果、全体または部分的に生活上の必需品を自分で自分に保証できない人を障害者とする定義

法律に対する反応

 法律では細かく触れてはいないが、A・H・M・ファウジー保健ハイウエー社会サービス大臣は同法に基づいて、自分の省のすべての機関で少なくとも3%の障害者の雇用枠を設けると発言するなど、政府自体が法律に本格的に取り組もうとしている。

 内戦による障害者の増加が大きな問題となっているので、法律に対する人々の関心は高い。栄養不足の母子への援助、障害者の扶養家族への援助の拡大、特殊教育校への必要な教材の配布、リハビリテーション病院の整備、障害をもった兵士への特別保険制度などの要求が、法の成立を機に各層から寄せられているという。

おわりに

 障害者の当事者団体が積極的に参加して法律がつくられたことは、大いに評価すべきである。

 しかし、法律の大半が協議会の任務や権限に費やされていて、肝心な障害者の権利に関しては、細かな記述がなく、単に差別の際の裁判による解決が保障されているにすぎない。施行規則の制定が待たれるところである。

(なかにしゆきこ アジア・ディスアビリティ・インスティテート[ADI]・本誌編集委員)

〈注〉

(1)中華人民共和国障害者保障法

(2)障害者リハビリテーション法(Rehabilitatio of Disabled Persons Act)1991年

(3)障害者のマグナカルタ法(Magna Carta for Disabled Persons,RA7277)1992年

(4)特殊教育推進法(Law for Promotion of Special Education)1997年、障害者福祉法(Law for Welfare of Disabled Persons)1989年、障害雇用促進法(Disabled Persons, Employment Promotion Law)1991年

(5)障害者(均等機会、権利保護、完全参加)法1995[Persons with Disabilities(Equal Opportunities,Protection of Rights and Full Participation)Bill 1995]

(6)12条で、人種、宗教、カースト制、政治的な意見、出身地またはそのような根拠による差別を禁止している。障害者は「そのような根拠」の表現を弾力的に運用して、差別の根絶を要求することができた。

(7)憲法12条(4)

(8)中華人民共和国障害者保障法においてさえ、1985年の起草から1990年12月28日の全国人民代表大会で可決され、91年5月15日に施行されるまで、6年を費やしている。もっとも長期の取り組みが必要であったのはタイの場合で、政府の諮問機関による障害者リハビリテーション法の起草が1979年であるので、1991年10月25日に最初の障害者に関する法令として立法化されるまで丸12年かかっている。

〈参考文献〉 略


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年3月号(第17巻 通巻188号) 73頁~75頁