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1000字提言

バリア・フリー

高橋卓志

 「家を造るならバリア・フリー」。こういった言葉を最近よく聞くようになった。この場合のバリア・フリーとは、敷居などの段差を極力排除した、フラットなフロアを基本とする家造りのことをいう。
 段差のないバリア・フリーの家は、お年寄りや障害者にとっては居心地のいいものであるという高齢化社会をにらんだ建築会社の販売商戦の中の目玉ではあるが、これが社会全般に通用した言葉ではないこと、とくにバリア・フリーが地域づくりにあまり活かされないどころか、その意識さえも希薄であることがきわめて残念、と感じるのである。
 障害当事者の立場からすれば、この社会で生きていく中でのバリアは数えきれなく存在する。段差、歩道の自転車、重いドア、狭い道路、トイレなどなど。この世の中の構造は、強き者そして多数派の使いよさのために作られ、障害者にとってはそれがいちいちバリアとなっているのである。
 また、形あるバリアだけでなく、人々の心の中のバリアの存在もなかなかフリーにはなっていない。多くの人々は障害者が「自分とは違う特別な人」と思っている。現在の学校教育を考えても、教室内に障害をもった生徒の存在はほとんどないのだから、教室内が社会である子どもたちの中には、障害をもった子どもたちの存在が「実は同じ仲間である」という重要なことがインプットされない。だから、障害者を見れば特別な人と感じてしまうのは当然のなりゆきといえる。
 数限りない障害者への差別は、心のバリアがフリーになっていない証拠であり、この国がいかに福祉国家をうたっても、これらが解消しないかぎり本物にはなりえない。
 また、障害者自身にとってみれば、自分の望んだ場所で暮らし、望んだ生き方ができる、つまり自己選択と自己決定が可能な生き方ができた時、初めてバリアはフリーになるといえる。それが自立というものである。たとえば施設も養護学校も選択肢の1つ。また、たくさんの人々の支援を受けながら町中に暮らす決断を自らくだすことも選択肢である、という考え方だ。いま、日本各地で障害者自らが自立に向かって動きだした。単なる職業的自立ではなく、生き方の選択を始めたのである。そして具体的な行動として、障害者が相互にそれを支えるという自立支援センターが活動を始めた。オールターナティブな障害者の自立を見守っていきたいものだ。

(たかはしたくし 浅間温泉神宮寺住職・日本チェルノブイリ連帯基金副理事長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年4月号(第17巻 通巻189号)28頁