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1000字提言

無心に生きている彼らがいるから

茅野 明

 かぼちゃの国と書かれた大きな字のまわりには、仲間たちが思い思いに絵や言葉を書いている。このかぼちゃ号(軽のおんぼろワゴン車)は、十数年前、愛知県知多半島の小さな町を走り回っていた。何も知らない人たちからの冷たい視線を浴びながら、でもそれは、仲間たちの熱い思いや夢を乗せていた。
 「障害をもっている人もそうでない人も、とにかくみんなで月に1度集まって、楽しいことをしようよ」というスローガンのもとに「かぼちゃの国」という青年学級がこの町にできたのだ。そのシンボルが、らくがきかぼちゃ号だった。
 この地域には、知的障害をもつ人たちの授産施設があり、私はその当時ここの職員をしていた。しかし、その枠にあてはまらない人は、自宅にいるか、遠い施設に入所するしかなかった。また、ハンディをもちながら就労している仲間たちもいたが、休みの日は、寝て過ごすといった人が多かった。そんなこともあって、とにかく集まって、それからみんなで考えようということでスタートしたのだった。
 ボランティアという言葉は使わず、みんながメンバーで、その中に会を運営していくスタッフをおいた。スタッフには学生たちやハンディをもつ仲間でやる気のある人たちが加わった。リヤカーで廃品回収をして資金を稼ぎ、料理教室、ゲーム大会、キャンプ等を行い、仲間たち一人ひとりが主体的に、楽しく参加していた。とにかく彼らは、自分たちで創り自分たちで歩いていくこの会に、生きがいを感じていたようだ。ひとつのことに無心に取りくむ彼らの顔を思い出すたびに、私の心は、かぼちゃのようにいつもホッカホッカになるのだ。
 それから時は流れ、私は今九州の山岳地帯で、あの「かぼちゃの国」を生きていく場所として実現させようとし、農業を基盤に「久住かぼちゃの国」をつくろうとしている。農業を生活の糧としていくことで、厳しい現実とぶつかってはいるが、あの頃の仲間たちの生き生きとした姿を思い浮かべながら、長い目で築いていきたいと今は思っている。
 現在私は、一人芝居『冬の銀河』の公演で全国を回っているのだが、いろいろな所で、福祉の仕事に携わっている人たち、さまざまなハンディをもつ人たちやその家族の方たちと出会う。彼らは彼らの地域で、真剣に生命とつきあっている。日本全国津々浦々、熱い心があり、それがいつか繋がって、みんながあたり前に生きていける世の中になればいいなぁと思っている。

(ちのあきら 大分・かぼちゃの国農場)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年4月号(第17巻 通巻189号)29頁