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列島縦断ネットワーキング

沖縄・障害者のひたむきな姿に光をあてる「沖縄コロニー大賞」新設

仲本一夫

 社会福祉法人沖縄コロニー(山城永盛理事長。身体障害者授産施設、社会授産施設、老人福祉施設経営)が、創立40周年記念事業として、昨年、「沖縄コロニー大賞」を新設した。
 県内出身、または県内で活躍している障害者を対象に、「自立更生への努力や社会、文化、芸術等の活動が顕著な者」を毎年、1人(または1グループ)顕彰する、というものである。昨年の7月に「大賞」の要綱が発表されると地元紙でも大きく取り上げられ、一民間団体の主催であること、1人(または1グループ)だけ選ばれること、副賞としての賞金(50万円)設定など、各種大会等における“表彰”とは趣を異にしたユニークさが注目された。
 選考は、個人または団体からの推せん受付→法人独自の情報による候補者追加→調書審査による候補者絞り込み(事務局)→絞り込んだ数名について事務局が面接調査→選考委員会(委員長・尚弘子前副知事ほか7委員)、以上の手順で進められたが、そのつどマスコミの話題となった。

第1回大賞は国際派の高嶺さん

 9月下旬に注目の大賞受賞者発表があった。最終的に選考委員会に委ねられた4候補者のなかから、第1回大賞に選ばれたのは、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP・本部はバンコク)に席を置き、障害者問題専門官として活躍している高嶺豊氏(48歳)。
 12月9日の「障害者の日」に那覇市内のホテルで大賞の贈呈式が行われた。出席者は受賞者の家族、友人を中心に限られた関係者数十名であったが、地元のテレビ、新聞各社が詰めかけ、受賞者の功績とともに、「大賞」についても広くアピールされるところとなった。
 大賞に選ばれた高嶺さんは、高校時代、体操の練習中に鉄棒から転落して脊髄損傷、下半身マヒとなった重度障害者である。スポーツマンとして周囲からの期待と注目度の高い少年であっただけに挫折感も大きかったが、生来の明るい性格と負けん気で立ち直り、地元の短大を経てハワイ大学に留学、保健学とソーシャルワークの修士号を取得。90年から現職にあり、開発途上国の障害者団体育成プロジェクトを担当、車いすで域内各国を飛び回っている行動派である。国際的に活動している高嶺さんだが、しかし、その活躍ぶりについては、地元でも広く知られていたわけではない。今回の受賞によって障害者仲間だけでなく、広く一般にアピールされることとなった。

財源は「ほほえみ献金」

 賞金の50万円の財源は法人の職員、利用者(障害者)の献金による。
 この献金、実は今に始まったことではない。「ほほえみ献金」としてスタートしたのが80年。社会福祉法人は、社会から恩恵を受けることの多い組織だが、そこに働く職員、利用者は恩恵を受けるだけでなく、「分かち与える心」をもたなければならない―「ほほえみ献金」スタートの主旨である。以来、法人傘下の施設に献金箱が置かれることとなった。
 誕生日記念、出張のみやげ代わりなど理由はさまざまだが、「分かち与える心」の具体的な表現としての献金は、初年の13万円から年々増え、ここ数年は30万円以上、最高の年は60万余円という実績である。95年までの16年間で累計475万余円。毎年、年頭に献金箱が開かれ、その年ごとに全額を社会福祉協議会や財政の厳しい共同作業所等に寄付するということを続けてきた。
 社会福祉法人から福祉団体への寄付は、そのつど話題となり、社会的にも評価されてきているが、職員、利用者の“善意”がもっと目に見える方法で活用できないか―これが「大賞」を設けることになった動機のひとつでもある。
 副賞50万円を受け取った高嶺さんは「善意の結晶である賞金は、金額以上に貴い。とても個人で使う気になれない。開発途上国の障害者のために使わせていただきます」と、受賞のあいさつを締めくくった。
 小さな「分かち与える心」から生まれた献金は“善意”から“善意”の手にリレーされ、その価値をどんどん高めていく、そんな印象を与える第1回沖縄コロニー大賞であった。

(なかもとかずお 沖縄コロニー総務部長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年4月号(第17巻 通巻189号)57頁~59頁