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1000字提言

「個性」をどう考えるか

田中優子

 韓国からの留学生があるとき「日本はずいぶん身障者が多い国ですね」と言った。しかし彼はすぐに気が付いた。身障者が多いのではなく身障者たちが外に出ているのだ、と。とうとう日本もそのように言われるほどになったか、と思った。日本人がイギリスで暮らすと同様の感想をもつ。とりわけ私が滞在していたオックスフォードでは多かった。停留所には盲人も普通に立っていて、バスが近づいて来ると私も自然に、どこ行きのバスか伝えるようになっていた。戦争の結果でない限り、「身障者が多い国」と言われるのは喜ばしいことである。
 オックスフォードでは、インドや東南アジアの織物産業の歴史文献を読んでいた。その中で見たことは、西欧の市場が要求した「画一的」な品質管理と大量生産の結果、村の個性で作られていた各々の土地の織物が消失していった過程であった。弁護士だったガンジーが英国スーツを脱いで1枚の手織インド木綿をまとうようになったのは、そのような背景があったからである。はからずも、近代化によって失った個性の痕跡を研究する結果となった。その織物研究の縁で私は日本の「さをり織り」の運動にも関心をもつようになった。
 さをり織りを開発した城さんはまさに、「障害は個性だ」という考えをもつ人である。さをり織りの中には、普通の織物には見られない驚くほど大胆で美しいものがある。それは画一的基準から言えば仕上がり途中だったり、ゆがんだり、びっくりするような色の組み合わせをしているが、それが時に唯一無二の美をもっている。知的障害をもつ人々だからこそ、創りえたものなのだ。しかし個性とは障害者だけがもつものではない。誰でもがもっている。それが文化を創ってきたのである。
 個性の考えの重要なところは、ひとつの個性(全体性)は他の個性と比べようがない、という人間観である。これは平等主義とも違う。江戸時代の寺小屋では、子どもたちが立場や興味に合った異なる教科書を組み合わせて勉強していた。今の教室のように机が先生に向かっていっせいに並べられることはなく、あちこち好きな方を向いて座っていた。序列もないが平等でもない。それぞれの「必要性」に従って勉強しているだけなのである。これは前近代社会に広く見られる人間観だった。
 身障者が多く見られる国は、至る所に個性が見える国と同義語であってほしい。大事なのは同情ではなく、異なる必要性や誇りを認め合うことだけだ。

(たなかゆうこ 法政大学)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年5月号(第17巻 通巻190号)23頁