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ピープル・ファースト

石毛えい子

 ピープル・ファーストは、知的障害をもつ人たちが自分たちで自分たちのために発言する、自己権利擁護組織です。ピープル・ファーストという名前は、アメリカのオレゴン州で知的障害をもつ人たちが、知恵遅れというレッテルをはられることがどんなに嫌か、ということを話し合っていたときに誕生しました。「他の人にどんなふうに知られたい?」と聞かれて、「まず第1に人間として」と答えたことから、人間=ピープル・第1=ファーストという名前ができました。
 知的障害をもつ人たちの当事者運動は、1970年代当初から始まりました。スウェーデンではレジャークラブといった形で、意思決定のトレーニングに取り組み、やがて会議の準備のためのトレーニングに関心をもつようになったと言われます。本人による権利主張という考えは、1973年にカナダのブリティッシュ・コロンビア州とアメリカ太平洋北西部の知恵遅れのレッテルをはられた人たちが、一緒に会議をもつ中でだされてきました。
 カナダで初めてピープル・ファーストのグループができたのは1974年で、施設に入っていた何人かの女性と男性が始めました。その後、ピープル・ファーストの運動は各地に広がり、1984年にピープル・ファーストをカナダ全域に広げるプロジェクトができて、1991年に世界で初めて全国組織が結成されました。アメリカでもほぼ半分の州にピープル・ファーストが組織され、多くのヨーロッパ諸国にも活動が広がっています。
 日本の知的障害をもつ人たちとピープル・ファーストとの出会いは、1993年にカナダのトロントで開かれた、第3回ピープル・ファースト国際会議に参加したことから始まりました。帰国後、参加者が交流を重ねる中で、1995年12月に東京のグループが「ピープル・ファーストはなし合おう会」を結成しています。会は、代表、事務局長をはじめ知的障害をもつ人たち自身で運営し、なかまの支援やレクリエーション、機関紙の発行などをしています。愛の手帳や住宅、仕事、自分で選べる援助者のことなどをめぐって、東京都との懇談会ももっています。
 ピープル・ファーストと名のるわけではありませんが、全国的な交流集会ももたれるようになり、どのように生活したいか自分たちで話し合い、なかまとともに実現していく自己権利擁護組織とその活動が、日本でも広がり始めています。

(いしげえいこ 前飯田女子短期大学教員)

〈参考文献〉 第3回ピープル・ファースト国際会議感想報告文集『もっともっとピープル・ファースト』ピープル・ファーストはなし合おう会発行


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年5月号(第17巻 通巻190号)30頁