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1000字提言

変わらなきゃ…お寺が、坊さんが

高橋卓志

 ぼくの寺は信州浅間温泉のはずれにある。この寺はヘンな寺として全国的に有名だ。
 旧ソ連チェルノブイリ原発事故後の原発障害の治療支援に信州大学の医学部を巻き込み、半端でないNGO活動を行っているその事務所を置いていたり、年数回行われる「ほてら劇場」と名付けられた大騒ぎのコンサートを行ったり(ああ、そうそう、ほてらとはホテル+お寺の意味で、コンサートを聞いた人たちがたくさん泊まっていくからそんな名が付いた)、若いボランティアが集まり、地域を騒がす計略を練ったりと、日々人の出入りが途切れないという寺なのである。つまり簡単に言えば、死んだ人の数より生きた人間の出入りの方が圧倒的に多い寺なのである。
 先日も新しい企画「尋常浅間学校」をスタートさせたところ、400人を超える生徒(?)が集まって大混乱だった。明治初年の廃仏棄釈でこの寺がつぶされ尋常小学校となったことを思い出し、現代の硬直化した学校教育にはない面白い学びと遊びをやってみようというコンセプトで始めたのが当たったらしい。
 校長は永六輔さん、教頭は無着成恭さん、ぼくが小使となり、常時100名近い各界のスペシャリストが先生として登録されているという豪華な学校である。この学校は年10回、10年間で100回の授業を目指し、内容も歌舞音曲のたぐいから、ターミナル・ケア、高齢化の問題、癒しなどかなりシリアスなものまでを予定している。また、修学旅行と称してカンボジアへのスタディ・ツアーが12月に予定されている。これらの企画を運営するスタッフは、ボランテラと呼ばれている。もちろんお寺で行うボランティア活動という冗談からできた集団だ。学生が中心となり、彼らは無料で各種の授業に参加できるという特待生の資格をもっているが、出世払いを義務付けている。
 寺とは本来そういうものなのだ。かつての寺は祈りの場だけでなく、医療や学問の中心地であり、公民館の役割をもち、悩み事の相談所でもあった。また、行き暮れた人々や、身寄りのない人々の安息の場所でもあったのである。それが忘れられて久しい。全国に8万もあるといわれる寺と、そこに住まいする坊さんたちの意識が社会に向いていけば日本も確実に変わるのにと思う。
 寺の在り方、坊主の生き方が地域を変えていく時代の到来を、ぼくはあまり期待感を抱かずに待っている。

(たかはしたくし 浅間温泉神宮寺住職・日本チェルノブイリ連帯基金副理事長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年8月号(第17巻 通巻193号)30頁