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特集/施設は今―地域施設最前線―

施設から町の中へ

―知的障害をもつ人たちへの地域生活支援―

小林繁市

障害をもつ人たちとともに生きる町 「伊達市」

 伊達市は、北海道の太平洋岸に位置する人口3万5000人の小さな町です。この静かな町に現在約220名の知的障害をもつ人たちが、アパートやグループホームなどで生活しています。
 なぜこの町に、こんなにもたくさんの障害をもつ人たちが住むことになってしまったのでしょうか。それは伊達の東山の中腹に、入所定員400名の「北海道立太陽の園」という大きな施設があり、そこで暮らしていた人たちが伊達の町に移ってくるからです。
 地域に住む220名の人たちは、全部で68戸の住宅に住んでいますが、これらの建物は町の中のごく普通の民間住宅です。障害をもつ人も普通の市民として、施設のように町のすみっこで生きるのではなく、町のど真ん中で堂々と生きていく、ということを目標にしています。
 地域に暮らす人たちの支援には4つのタイプがあります。グループホームなどで共同生活している人たちへの支援、アパートなどで単身生活している人たちへの支援、結婚してカップルで生活している人たちへの支援、そして家族と生活している人たちへの支援です。
 伊達にいる限り、どこで、だれと、どのように暮らしても、一生涯にわたって支援を継続していく、ということを目標にしています。

施設を出て町に暮らす

 知的障害者の総合援護施設「北海道立太陽の園」は、今から約30年前の昭和43年に開設されました。
 当時、入所施設はまだまだ不足しており、狭き門を突破して太陽の園に子どもを預けることができた親たちは、「これでこの子を残して安心して死ねる」と喜びました。しかし、親の思いとは裏腹に、実際に施設に入所した本人たちからは「1日も早く施設を出て、町の中で普通に暮らしたい」と言う声が多く聞かれました。
 こうした本人たちの願いにこたえるため、太陽の園は開設以来、一貫して入所者の「社会自立」に取り組み、これまでに300名を超える人たちの地域生活を実現してきました。社会復帰する際、本来であれば施設入所以前の生まれ故郷に戻るのが当然だと思うのですが、多くの場合、出身地に受け皿はなく、結果的に3人に2人は伊達市及び周辺地域に就労の場、生活の場を求めることになりました。
 昭和48年、伊達市は太陽の園を巣立つ人たちの「施設生活から地域生活移行への中継基地」として「伊達市立通勤センター旭寮」を開設しました。このことによって太陽の園を出て町の中で暮らす人たちは飛躍的に拡大し、現在は220名もの人たちが一般企業や地域共同作業所、通所授産施設に通いながら、生活寮、グループホーム、民間ホーム、アパートなどで暮らすまでになりました。

地域生活支援センター旭寮

 知的障害をもつ人たちが安心して地域生活を継続していくためには、一生涯にわたる支援のシステムが必要です。ところが実際には、「どこ」の「だれ」が「どういう支援」を行っていくのかということになりますと、ほとんど援助の仕組みがなかったり、あっても福祉、教育、労働、医療、行政などの連携がばらばらで、支援を求める人たちに対して十分なサービスを提供できないという場合がしばしば見られます。
 太陽の園と旭寮は密接な連携のもとに、開設以来たくさんの人たちを、施設から町の中に送り出してきました。しかし、そのときいつも問題になるのが、卒園後「だれが面倒を見るのか」ということです。もし何の支援も受けられないとしたら、多くの人たちは地域の中で孤立し、失敗してまた施設に戻ることにもなりかねません。ですから、施設は卒園後もアフターケアという形で支援を継続することになります。
 こうして入所者の地域生活への移行が進むにつれて、アフターケアの対象者が拡大することになり、施設の負担が大きくなります。そこで、太陽の園と旭寮は地域生活者の援助にあたる「地域援助センター」を構想し、再三にわたって設置を関係者に求めてきました。
 その努力が実って、平成3年、旭寮は北海道より「地域援助センター活動事業」の指定を受け、さらに平成5年には国の「生活支援事業」が付加されました。この2つの事業の指定によって、旭寮は名実ともに「地域に暮らす人たちの支援拠点」となりました。
 よく人生は綱渡りと言いますが、障害をもつ人たちの人生はまさに綱渡りの連続です。それだけに、一生涯にわたる「地域生活支援システム」が必要なのです。こうした仕組みをつくりあげていくためには、何よりも本人たちを中心として家族、学校、事業主、住宅提供者、行政などが一致協力し、きめ細かな援助の仕組みをつくりあげていくことが必要です。
 伊達市では各分野が密接に連携しあい、「伊達市障害者団体連絡協議会」「地域生活推進会議」「心身障害者職親会」などさまざまな団体を組織し、障害をもつ人たちが一人も網の目からこぼれることのないように、支援ネットワークづくりを進めてきました。これらの組織のコーディネーターとして、旭寮はさまざまな組織の事務局を担当し、支援ネットワークの中核的存在として活動しています。

地域生活支援を障害福祉の主流に

 日本精神薄弱者愛護協会が、毎年行っている全国の関係施設の実態調査報告書によりますと、平成7年度の就労自立率はわずか0.86%にしか過ぎません。この数字は一部の幸運な人たちを除いて、他の圧倒的多くの人たちが、1度施設に入ってしまうと、望む望まないにかかわらず、一生涯を施設の中で暮らす結果になるということを示しています。
 精神薄弱者福祉法によりますと、「更生施設及び授産施設は、指導や訓練を行うことによって、更生あるいは自活させる」ということを目的にしています。こうした実態から見て、現状の施設にリハビリテーションの機能を期待することは極めて困難である、ということができるかと思います。
 1度施設に入所した人たちを再び地域に戻していくことは、地域の中でそのまま生きていけるような仕組みをつくるよりも、何倍もの労力が必要なのです。
 では障害をもつ人たちを、地域から切り離さないようにするためにはどのようにすればよいのでしょうか。それは、対象者を一定の場所に集中的に集める現在の収容型福祉の流れを変え、地域の実情にあわせて、きめ細かなサービスシステムをつくりあげていく地域支援型福祉に発想を転換することだと思います。
 しかし、現在の日本においては、地域福祉は掛け声ばかりで制度的な保障も十分でなく、従ってほとんどの市町村に地域支援システムが根付いていないというのが実情です。このため、本人や家族はどうしても入所施設に依存せざるを得なくなり、このことが施設に対する過剰なニーズを生み出すことになります。
 もっと地域生活支援システムが充実すれば、入所施設からもっと多くの人たちが地域で生活することができるようになり、必然的に施設が空いてくることになります。そこに本当に施設を必要とする人たちが入所すれば、新たに施設を増設する必要はなくなります。発想を転換して、お金の流れを変えていけば、入所者にとっては地域生活が実現し、施設も滞留化から抜け出して活性化することができます。
 収容型福祉から、地域支援型福祉に。
 関係者の発想の転換が強く求められています。

(こばやししげいち 伊達市立通勤センター旭寮)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年9月号(第17巻 通巻194号)16頁~18頁