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ハイテクばんざい!

重度障害者への機器利用の普及をめざして

―重度の人も機器の利用で生活改善を―

吉澤千恵

 マジカルトイボックス(以下「MTB」という)は、現在、養護学校内の同好会と全国規模のイベント事務局とに分かれて活動している。前者は校内での情報交換、実践を各々第3水曜日と第1または第3土曜日に行っており、会員はこの学校に籍を置く者に限定している。また、後者は前者の動きが元で始まったものとはいえ、当初からこれとは全く別の事務局で構成し、テクノロジー利用を全国的に広めるのを主な目的に、年1回のイベントの他、講演会や他イベントへの参加などを行っている。
 MTBは、これまでの同好会にかかわった現役の養護学校教諭が3人、保護者である私の計4人で構成される事務局と、パソコンやスイッチ類のメーカーを含むたくさんの方々の協力を得ながら活動しているボランティア団体だ。
 相互の情報交換をめざして今夏、初めてニュースレターを発行、全国各地へ郵送した。

マジカルトイボックスの誕生

 どんなに重い障害があっても、この子は私たちと会話をしている。自分で遊び、物を動かしたいと思っているだろう…。
 そんな祈りにも似た、しかし確信に満ちた思いをこの11年間抱き続けてきた。
 今年小学校6年生になる私の息子直輝は、夫の転勤でアメリカに住み始めて2年程経った生後13か月、インフルエンザによる高熱から痙攣を起こし、何らかの原因で重度の重複障害児となり現在に至っている。
 栄養摂取のほとんどを胃瘻による経管栄養に頼り、寝返りも打てない、いわゆる寝たきりだが、視線、指の開閉、挙手、声、表情などで意思を表現し、コミュニケーションを図る。
 また、スイッチ操作のパソコンや玩具、ラジオなどの日常生活用具を自分で操作し、テレビのアクションシーン(若くて奇麗な女性も)が大好きな普通の少年だ。障害は、彼の機能に関するものであって、心ではない。
 彼の最初の入院直後から、医師をはじめ教師やセラピスト、親が一体となって、リハビリが続けられた。感触遊び、簡単操作の玩具、スイッチトイを使用して5年、医師には「植物人間確実」とまで宣告された子が、遂にはWOLFという機器を使用して二者択一で絵カードを選び、意思表示ができるまでになった。
 帰国して1か月後。「日本でもぜひ重度の子への対応を」という私の願いに、新1年生として入学した養護学校で、対応してくださったのが現MTBの事務局の先生方だ。
 間もなく始まった土曜日の放課後のマンツーマンの自主講座は、仲間も増えて3年後には同好会MTBとして発足した。
 その年の秋には、校内の文化祭に参加。この文化祭の成功と、当会の先輩格の福岡起風会に倣ってもっと広めたいという思いが、イベントMTB誕生へとつながった。

マジカルトイボックスで私のめざすもの

 MTBの活動を通して、私は重度の障害児にも目を向けて欲しい、見捨てないで、そして機能障害をサポートする機器の利用を“認めてあげて”と訴えてきた。
 さらに、自分たちの本当に欲しいものは天から降っては来ないのだから、子どもの良き理解者である親も運動の中心となろう、とも思ってきた。
 日本では、確かに障害者向けの機器もある。ところが、利用者の多くは1人で操作可能かあるいは理解力のある人で、我が子のような重複障害児が利用している例はあまり見られない。
 しかし、どんなに障害が重くても自分でやりたいと思う気持ちはある。本人の機能に合わせたスイッチをつないで物や道具、機器を動かすと、かすかな笑みや真剣な表情に出くわすことがある。この子と共に生きていてよかった、と思える瞬間でもある。
 むろんテクノロジー利用ですべてを解決しようというのではなく、他のコミュニケーション法や訓練、生活向上の技術も大事にしたい。が、直輝の状態や、将来のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)を考えると有効な選択肢の1つだと思う。
 MTBは、どんなに障害が重くても意思や感情があることを、親や家族以外の他人にも分かる“共通言語”を表現できる有効な手段だとも信じている。
 また、これは私の個人的な夢ではあるが、宿泊施設付きの専門家常駐のセンター、だれでも利用できるものができればと願う。
 現状は、各メーカーや教師、OT、PTなど、知識と経験のある人たちを探し当て、頼りにするしか道はない。機器の利用のサポートはもとより、そこに至るまでの過程(感触遊びやいろいろなコミュニケーション・意思表示法、運動機能)も合わせて総合的にサポートできる場が早く欲しい。
 ノーマライゼーションとは何だろう。
 私にとってのそれは、みんなが何でも同じようにする表面的な平等ではなく、障害があっても社会の一員として(苦楽を含めて)暮らせることだ。機器の利用を、福祉政策の一環としてではなく、一般的な社会サービスの1つと考えれば、対象者は必要とする人たち全員となる。利用するか否かを、障害の程度・有無や年齢、周囲の都合で決めたり、また、選ばれた幸運な特定の人が研究対象になったりして恩恵に浴するのではなく、だれもが利用できるものであってほしいと思う。

テクノロジーの利用―我が子の例から

 当初、直輝は昼夜を問わず高熱と痙攣に見舞われ、全身は硬直したままだったので、まず、ボディブラッシングやさまざまな感触のものに触れさせる、感触遊びから始まった。
 感触→押す/叩くの動作で動いたり音の出る玩具→仕掛けのある玩具→スイッチトイ→スイッチ付きの日常生活用具・玩具・教材、あるいはコミュニケーション機器としてのテクノロジーの利用というように、次第にその利用範囲を広げてきた。自分の意思を表現でき、原因と結果が分かるにつれ、彼は単純な物では飽き足らず、より複雑なものを要求するようになってきた。しかし、そういう物はたいてい、手先の不自由な彼には操作が難しく、一点入力スイッチでコミュニケーションから日常生活用具までカバーできる機器の利用は、とても有り難い。
 スイッチトイは、文字どおりスイッチを何らかの方法でつけて使いやすくした玩具だが、ポラロイドカメラ、ミキサー、ラジオなどの電化製品やパソコンなど、ほとんどの電池・電気製品にはスイッチという入力装置をつけて、利用することができる(写真 略)。
 よくあることだが、保護者が「ちょうどよい機器がないから、うちの子はだめ」などと決めつける。機器は、本人の希望や障害に合わせて調整していくもの(主体は人間で機器は副)だから、諦めたりせずに、トライして欲しい。
 スイッチや教材選びでは、この子にとって使いやすいスイッチは何か、スイッチが必要か、スイッチに手が出ないのはその位置が悪いのか、つなげてあるもの(教材)に興味がないのか、理解できないのか、など素人ながら私なりに取り組む姿勢や内容に留意しながらやっているつもりだが、学校や病院のセラピストの指導により、彼の新しい一面を発見できることがある。だれか一人の思い込みではなく、本人が発信できない分を補うべく、多くの人がチームの一員としてかかわっていくことが、親の立場としては有り難い。
 また、これらを通して残っている機能を生かすことはもちろん、機能回復も期待したい。

自分の意思で暮らす

 アメリカでの直輝の入院中、付き添いを始めて2か月くらい経った頃から、何とか医師や看護婦の言っていることは分かるようになっても、自分の思いを伝えることができないもどかしさと同時に「分かっている」ことを分かってもらえない悔しさを、私は常に感じていた。
 今よりももっと症状の重かった時から今日まで、直輝はいつも何かを訴え、話しているが、直輝の“話”は彼の言語に慣れている人たちにしか、分からない。私が、「何とか自分自身で自分の意思を伝えたい」と考えたのと同じように、もしも彼がもどかしさや悔しさを感じているのなら、慣れた人たちの“通訳”がなくても会話ができたらどんなにいいことか、といつも願っているに違いない。
 機器利用はすべての問題を解決するものではないが、ひょっとしたら親亡き後の強力なサポーターになってくれるかもしれない。

(よしざわちえ MTB事務局)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年10月号(第17巻 通巻195号)46頁~49頁