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特集/もう1つのオリンピック 日本の3月、パラリンピック。

メダリストからの声援

自分に勝つ―ガンバレJAPAN―

荒井のり子

 長野パラリンピック大会出場のみなさん、おめでとうございます。毎日の練習と日頃の努力の積み重ねがこのすばらしい出場権を獲得したと思います。
 私は96年、アトランタパラリンピック陸上競技大会で、100メートルを世界新記録で優勝、200メートルで準優勝し運よく金・銀のメダルを獲得することができました。
 私には、近くに車いすで走れる練習場がありませんでしたが、幸いなことに自宅の回りは純農村地帯です。直線200メートル余りの農道を私は練習コースにしました。農家の人たちが「のり子さん頑張って!」と激励してくれました。その一言、一言が私の心の支えとなりました。もっと速く、もっと強くなりたい一心から、本格的な練習をするためにコーチにつき、母の運転で片道2時間かかる遠い道を月2回、千葉県長柄町のエアロビクスセンターへ通いました。ここでの練習は辛いものがありましたが、仲よしの友達に会えてとても楽しかったです。その時、母はコーチにいろいろと指導を受けて帰りました。そして毎日、自宅近くの農道で私と母との二人三脚の練習が始まりました。
 まず県の代表となり国体に出場し、納得のいく走りで優勝しました。この金メダルが私に勇気と根気を与えてくれました。これがきっかけで私は県から全国へ、全国から世界へと競技の場を広げていきました。ジャパンパラリンピックは体調が不十分のまま参加しましたが、自分が思ったより好タイムでゴールイン、これがアトランタへの選考会でした。運よく100メートル、200メートルの日本代表に選ばれました。
 しかし、アトランタへの道は険しく、思ったより厳しい特訓が待っていました。真夏の炎天下での猛練習、暑さと疲労とで走っても走ってもタイムが一向に伸びず、汗と涙の日々が続きました。コーチは大声をはりあげ、そして「集中しろ!」「集中しろ!」の檄ばかりがとびました。身がちぢむような思いをしながらも私にはその「集中」の意味が分かりませんでした。スタートダッシュを気が遠くなる程何回も何回もくり返しました。そして、その「集中」を体で覚えるようになり、100メートルのタイムもダッシュもよくなり、あれ程辛かった練習が逆に、楽しくなりました。体力も自信も激しい練習で身につきました。
 アトランタ出場は夢の中の世界でした。「やるぞ!」「日の丸を揚げるぞ!」と大声で叫びました。世界中から集まった選手はみな大きく、いかにも強そうに見えて走る前から「負ける」とおびえていた私です。いよいよ決勝。ピストル音と同時に絶好のスタート、何位でゴールインしたのかも分からない程、無我夢中で全力を出しきりました。コーチが「ゴールドメダリストだぞ!」と大声で叫んでいました。どっとあふれる涙をもうおさえることができませんでした。あのメインポールの「日の丸」「君が代」「ノリコ、アライ」のアナウンス…。大声援と祝福の拍手。
 私の好きな言葉「自分に勝つ」は母から離れる目標でした。念願の「自立」が今できたことが一番うれしかったです。
 選手のみなさんが大会に向けて練習に汗を流し、頑張っている姿が目に浮かびます。勝負にこだわらず、日頃の練習の成果を十分発揮し、自己ベストを出し、「メダル」に挑戦してください。社会、自分の人生ががらりと変わります。また、みなさんの励みになるよう頑張ってください。私の好きな言葉は「集中」そして「自分に勝つ」です。何事もチャレンジ精神で前向きに歩んでください。ガンバレ! JAPAN、私も力の限り応援しています。

(あらいのりこ 千葉県在住)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年12月号(第17巻 通巻197号)14頁・15頁