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1000字提言

見えにくい障害をもつろう者にもっと理解を

土谷道子

 昨年の晩秋に第20回総合リハビリテーション大会が東京国際フォーラムで開催され、JICAアジア大洋州諸国ろう者リーダーコースの研修員一行がほかのJICAコース研修員たちとともに招かれたおり、私も参加しました。出席した分科会で、ろう者リーダーコースの研修員の1人は、ろう者への理解が不足しているという問題を指摘しました。障害者関係者の間では、障害をもっている人の障害を軽減する、またはそれを克服することに向けて最大の努力が払われているが、CBRや情報の確保などの面では、ろう者への理解がきわめて不十分で、ほかの障害者と比べて非常に遅れているということでした。
 世界的にみても、障害をなくす努力が日夜行われており、技術の革新による恩恵は障害者にももたらされ、その改善は実にめざましいものがあります。それでも、ろう者は障害者でありながら、外見では健康な人との区別は容易ではなく、直ちにろう者を障害者として見分けることができません。またろうであることは、実に見えにくい、目立たない障害であり、この障害ほど誤解されやすく、軽く見られがちな障害はありません。
 とくに問題なのは、ろう者でない人とのコミュニケーションです。ろう者同士のコミュニケーションは共通の言語、すなわち手話を使っているので問題はありませんが、ろう者でない人と話すとき、使う言語が違うので、手話がわからなければコミュニケーションを成立させることがかなり困難です。社会生活のなかでは、多くの場合、手話通訳が必要になります。
 また、最近は聞こえる人たちやほかの障害者と会議をすることが増えてきましたが、そのときこそ、コミュニケーション問題は真っ先に浮き彫りにされます。というのは、会議がほとんど聞こえる人のペースで進められているため、せっかく手話通訳をつけてもらっても、その会議のペースに乗れず、ろう者は発言の機会を逃がしてしまうことが多いからです。
 現在、社会におけるあらゆる面でのノーマライゼーションが重視されていますが、大学では手話通訳がないため、聞こえる人以上の苦労を強いられるろう学生の権利はどうなるのでしょう。また公共機関・施設などに手話通訳や非常事態を報知する設備などの設置が推進されていない状況では、ろう者の「知る権利」と「知らされる権利」はどう保証されるのでしょう。完全な社会参加をするためには、視覚的な情報の活用で、ろう者がいつでもどこでも、ろう者でない人たちと同じ情報を確保することだということをもっと知ってほしいと思います。

(つちやみちこ 聴力障害者情報文化センター)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1998年2月号(第18巻 通巻199号)36頁