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列島縦断ネットワーキング

長崎・10年目を迎えた「瑞宝太鼓」

福岡心治朗

 “希望し、努力し、感謝して生きよと鼓は響く”このテーマのもと活動しているのが、長崎能力開発センター和太鼓クラブとして発足し、今年10年目を迎える「瑞宝太鼓」です。
 発足当初は、センターの訓練の一環として、また仕事以外での体力づくりも兼ね、協調性や意欲を高めることができるものをということで始めました。その後、当初考えていた訓練効果はもとより、本人たちが自主的に、昼休みや訓練終了後の時間を見つけて、太鼓を叩くほどに太鼓が好きになり、さらに終了後も太鼓を続けたいということで、訓練生のみでなく、修了生のグループもできました。
 現在では、瑞宝太鼓会員総勢62名が、それぞれ福祉施設、能力開発センター、修了生グループに分かれ、日々、練習に出演に励んでいます。活動内容も、対外的な出演の機会も増え、本人たち自身が人前で叩ける喜びを感じ、自信につながってきました。また知的障害というハンディキャップがあるにもかかわらずこれだけのことがやれる、また感動を与えることができるということで、障害者問題にかかわる啓発、啓蒙の1つとしても、その効果が認められるようになってきました。
 加えて、平成2年には、長崎県島原半島太鼓連盟にも加盟し、施設内における訓練生と職員のみの関係から脱皮し、地域の方から指導を受けたり、いっしょに活動したりするようになりました。地域の方と共に活動することで、人間関係も学び、また、社会勉強もでき、成長していくことができました。周囲の方にも、障害者を理解してもらえる機会となり、今では自然な形で、いっしょに活動しています。
 さらに、一般の太鼓チームと交流する中で技術的にも向上し、より芸術性の高いものをめざして演奏活動を行っています。そうした中から、さらに活動の幅も広がり、町内、半島内での活動はもとより、5年前には、パラリンピックの応援ということで、スペインにも遠征をすることができました。
 それから5年。その間は、必ずしもすべて順風満帆という訳でもありませんでした。今日においても、余暇活動というもの自体、少なくとも日本社会においては、まだ生活する上におけるウエイトも低く、社会的位置づけも十分ではないと思われます。“余暇”という字のごとく、余りの時間で暇を見つけてしなければいけないという制約も受け、継続すること自体の難しさもありました。また、一人ひとりの能力・特性も違い、会員も年々増え続け、彼らの生活圏も県内各地に広がりを見せる中で、それに対応していくスタッフの拡充も追いつかない状況でした。そうした課題は残しながらも、本人たちの太鼓に対する思いは日々高まってきました。今では、スタッフの力量もしのぐほどに、舞台の上では所狭しと、文字通り全身全霊で表現し、見る人に感動と勇気を与え続けています。
 特に昨年は、瑞宝太鼓の支援母体である南高愛隣会創立20周年、ならびに長崎能力開発センター創立10周年の節目の年にあたり、その記念事業の一環として、瑞宝太鼓のメンバーから勤労障害者文化交流派遣団を結成しました。障害者本人の生の姿を通して、広く地域社会との交流を深め、障害者の雇用、地域生活の促進を呼びかけ、全国および海外公演を実施しました。
 全国公演は、長崎県内の短大等を皮切りに、福岡、愛知、静岡、東京と10か所以上で実施してきました。今回の一連の国内における公演活動では、学生やボランティアの方々などがそれぞれの現地で、演奏場所の確保、観客の動員、派遣団の受け入れなど献身的に動いてくださり、おかげで、たくさんの方々に見ていただくことができ、大成功を収めることができました。
 また、海外公演においても今までの活動が評価され、ニューヨーク国連本部にて、ニューヨーク市長、国連本部事務局等の歓迎のもと、人種、民族の壁を超えて共感の和ができ、本人たちも気持ちよく太鼓を叩くことができました。
 今回の一連の演奏活動を通し、スタッフの一人として改めて本人たちの成長ぶりに驚かされました。発足当初は、スタッフも打ち手の一人として入り、リードしながらでないとまともな演奏はできませんでした。しかし今回に至っては、本人たちだけで、1時間にわたる演奏ができ、他チームと比較しても見おとりのしない、勇壮かつ心に響く演奏ができるようになりました。何が本人たちをここまで高めたのかと疑問に思うこともあります。
 1つには、太鼓自体のもつ魅力もあるでしょう。太鼓は音だけでなく、全身を使い表現する芸能です。音階はなくとも大きい音、小さい音、やさしい音、勇ましい音があり、音は振動として、耳からだけでなくからだで実感でき、心ふるわせられるものがあります。また顔の表情、動き、声など、すべてのからだの機能を使い演奏します。さらには打ち手、あるいは打ち手のその時の気持ちによっていくらでも演奏が変わり、演奏者だけでなく、見る人と一体となってはじめていい演奏ができるのです。
 たかが太鼓、されど太鼓。太鼓道とも呼ばれるほどに、よりよいものをめざす志あらば奥の深いものがあります。これまで支えてくださった数多くの方々に感謝し、交流を大切に、なおいっそう努力していきたいと思います。

(ふくおかしんじろう 長崎能力開発センター)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1998年3月号(第18巻 通巻200号)66頁~68頁