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1000字提言

身障スポーツのもつ意味

山崎泰広

 3年前に私が日本初の身障者のためのスポーツ情報誌として創刊した『アクティブジャパン』(以下AJ)の目的は、身障者に情報を提供し、健常者にアクティブな身障者のことを理解させることだった。特に「目標となる身障者」を紹介することには重点を置いてきた。アトランタ・パラリンピックでの日本選手の活躍により、身障スポーツに対する興味や理解は急速に高まった。マスコミに取り上げられる選手も増え、身障スポーツが欧米のように市民権を得はじめたことはうれしい限りである。
 ところが、アトランタでメダルを獲得した選手の中には仕事もせずに年金に頼って暮らし、1日中スポーツをしている者がいることに気がついた。年金に頼って暮らしていながら、仕事をしないことを「自分はスポーツのプロだから」と言い出す者も現れ、「目標となる人物」を紹介したかった私はジレンマに陥り、最終的には編集長を辞任した。
 欧米ではパラリンピックに参加する費用でさえ国からは支給されず、選手自身がスポンサーを探して工面しているケースも多い。そのため多くの選手は車いす会社等の企業からスポンサードを受けているが、その最低条件が「フルタイムで働いている者か学生」であり「人間的にも他の身障者の目標となる人」なのである。それに対して日本の企業にはそういった理念はまだ存在していない。スポーツ誌であるAJではこれらのトップ選手を紹介しない訳にはいかなかったが、彼らの生き方まで目標にされては困るのである。しかし私の心配は現実となり、社会人として仕事をしながらスポーツ選手としても活躍していた者が「年金で暮らしていてもスポーツで成果を上げることでチヤホヤされるなら自分たちも仕事なんかしたくない」「スポーツだけ楽しんで生活できれば、こんな楽なことはない」と言い出すようになり、実際に仕事を辞めたり、間違った「プロ」への道を歩み始めた者も出現した。
 これは日本に本当の意味での目標とされるべきトップアスリートが少ないことと、仕事を続けるインセンティブがないからである。今までは「何もできない」と思われていた身障者にスポーツを与え、スポーツができたことで喜んでいた。しかし仕事もせずにスポーツだけしていたら、選手生命が終わった時はどうなるのだろうか?
 少子高齢化社会の到来で現在のような手厚い年金システムがいつまでも維持される保証はない。日本の身障スポーツの父と呼ばれる大分・太陽の家の創立者、故中村裕博士が英国からもち帰った本当の意味での身障スポーツの考え方がより多くの人に理解され、スポーツによって職場復帰し、経済的にも自立する身障者が増えることを望んでやまない。

(やまざきやすひろ アクセスインターナショナル代表取締役)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1998年5月号(第18巻 通巻202号)37頁