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シリーズ 働く 43

小規模作業所
「しののめハウス」を訪ねて

山下博三

 俳句と湯の町として知られ、穏やかで人情豊かな町、松山。その松山の観光のシンボルとしてにぎわいをみせる日本最古の道後温泉からほど近く、路面電車で三つ目の電停を降りて一歩路地を入ったところに、小さな看板がかかる作業所があります。ここが紹介する小規模作業所「しののめハウス」です。
 私が初めてここを訪問したのは、昨年のことです。作業所の通所者の中に就職希望の方がいて、職業センターが行う「小規模作業所との連携による職域開発援助事業」を利用したいというのがきっかけでした。援助事業を担当しているカウンセラーと共に説明に伺ったのがはじまりで、この時指導員の山田きぬ子さんが応対してくださいました。
 私たちが山田さんを訪問すると、つい話し込んでしまい時間を超過することも度々で、作業所の運営でお忙しい中、いつも明るく朗らかに応対してくださいます。その山田さんに、作業所の運営や山田さん自身のことなどについて伺ってみました。
 しののめハウスは松山市精神障害者地域家族会「明星会」が設置・運営する小規模作業所の一つで、平成4年7月に開所しました。明星会は精神障害者を抱える家族の会で、昭和56年に結成され、三つの作業所と二つのグループホームを設置していて、家族会員数は約120人です。しののめハウスには、1日15~20人の精神障害者の方が通所しており、土曜、日曜を除く毎日、午前9時から午後4時まで、現在は主にクッキー作りを行っています。
 クッキーは、市内を中心に展開する大手そば屋さんからの注文を受け、お店のそば粉で作り納品するというもので、「そばごまクッキー」という商品名で売られています。「季節や日によって受注量が違いますが、年末やホワイトデーなど忙しい時はネコの手も借りたいくらいなんですよ。昨年はそばとクッキーの詰め合わせが、ゆうパックとしても取り扱われるなど盛況でした」と山田さんは明るく話してくれました。
 現在のようなクッキー作りは昨年秋からだそうで、最初訪問したころは、トラベルセットの袋詰めをしていました。それと同時に、地域のお年寄り数人に昼食サービスも行っていました。もともとは弱電メーカーの電子部品の内職をしていたのですが、メーカーからの依頼が次第に減ってきて、この仕事はなくなってしまいました。内職の募集広告があると、すぐに問い合わせてみるのですが、精神障害者だと分かるとほとんど断られたそうです。それでも「ブラブラしているよりも、たとえ10円でも20円でも働いて収入を得たい」というメンバーの希望で、これまでいろいろな内職をしてきました。いずれも指導員や家族、メンバーが苦労の末探してきたものばかりです。「障害者であっても、きちんとしたものを作ることが大切で、責任をもって正確に作ることが信用につながる」という考えで取り組んできたそうです。
 現在のクッキー作りは、地域の方の紹介によるもので、その方がそば屋さんの知り合いであったことから始まりました。クッキー作りそのものは、ずっと以前からしていましたが、新たなメニューとして、そば粉を使ったクッキーが生まれました。作業場には、磨かれたステンレス製の作業台が座り、調理場には業務用オーブンと撹拌機が並んでいます。作業台には、真新しい白衣にマスク姿のメンバーが並び、練りあがった生地からパチンコ玉程の粒を丁寧に手で丸めて作っていきます。その傍らでは、ほかのメンバーが、その粒をオーブン用トレーに整然と並べていきます。作業台の上では細い指や少しごっつい指が行き交い、バラエティーに富んでいます。メンバーの皆さんは食べ物を作るだけに衛生面には細心の注意を払いながら、言葉少なに、かつやりとりは和やかに作業をしていたのが印象的でした。
 このような雰囲気で作業所運営がなされている背景には山田さんの存在、役割が非常に大きいように思われましたので、山田さん自身のことについて伺ってみました。
 まず、作業所の仕事に携わるようになったきっかけは、松山市社会福祉協議会が市の広報紙に出した『精神保健ボランティア養成講座』という記事に興味を抱き、第1期生として応募し、そこで初めて精神障害者のことを知ったとのこと。7か月間受講して「なんだ、障害者といっても、私と全然変わらないじゃない」と思い、先入観や偏見がなかった分、自然に入れたそうです。平成5年に明星共同作業所の指導員になり、その後、同じ明星会のしののめハウスに移りました。
 山田さんは、結婚以来20年間ずっと専業主婦として、家庭で過ごしてきましたが、そんな人がどうして障害者とかかわることになったのだろう、私の疑問はどんどん広がりました。
 「以前住んでいた団地で、一人暮らしのお年寄りが、亡くなってから発見されるという出来事があったのです。そこで、友人2人と『黄色い旗』運動を始めたんです。お年寄りに、朝起きると黄色い旗を掲げてもらい、夜寝る前に取り込んでもらうんですね。そうすることで、無事朝が迎えられたか、変わりなく就寝できたかが確認でき、変事に少しでも早く対応できるんです」。なるほど、手作りの共生システムに携わる始まりだったんですね。「お年寄りがボケた時のことを考えている時、精神保健ボランティア講座の記事があり、関係がありそうに思えたので受けてみたんです」。人生何が縁となるか分からないものですね。それにしても「人への慈しみ」があったから、今があるんですね。
 現在、しののめハウスでは、開かれた作業所として、町内会など地域の行事にも積極的に参加して交流を深めています。ほかにも、市内の短大や専門学校5校から実習や見学を受け入れて、学園祭にも招かれるなど若い人との交流も盛んです。
 「人とのふれあいが財産です」と言う山田さん。「指導員だけでは何もできません。メンバーや家族、地域、関係機関の方々に支えられながらこれまでやってきました。専門教育は受けていませんが、母から正義感は教わったような気がします。おばさんにしかできないことをやっているだけです」。作業所のメンバーとのやりとりを傍らで見ていると、まるで、お姉さんでありお母さんであり、1人で何役もこなしているように見えます。「ボランティア精神だけでなくプロ意識も必要だと思います。挑戦する姿勢をいつまでももっていたい」と意欲的です。悩みは、現在地を後3年で明け渡さなければならないことと、移転先がまだ見つかっていないことです。「将来、移転先が見つかれば、その地域により密着し、今までは障害者がサービスを受ける側でしたが、これからは障害者がお年寄りや地域へのサービス提供者となれるような作業所づくりができればと思います。障害者が地域とともに生活できることがノーマライゼーションだと思います」と語ってくれました。夢が現実になる日が楽しみです。
 取材を終えて帰る頃には、クッキーの芳しい香りが漂ってきました。にわか雨に打たれての帰途でしたが、なんだか妙に心が温まり、私のほうが『心のケア』をしていただいたひとときでした。

(やましたひろみつ 愛媛障害者職業センター)