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裸で挑む社会へのアンチテーゼ
―障害者プロレス“ドッグレッグス”―

入倉多恵子

 「第1試合、ミラクルヘビー級3分5Rを行います!」
 照明を落とした場内、ロープの張られたリングへと続く花道にスポットライトが当たる。入場テーマ曲が流れる中、姿を現すのは、介助者に抱きかかえられた重度の脳性マヒの男。入場コールに応えて振り上げて見せる、細く折れ曲がった手足。彼をマットに降ろす介助者のほうがよほど、プロレスラーのような体格に見える。

 「障害者プロレス」団体、ドッグレッグス。その試合はこんなふうに始まります。
 体の不自由な人間がプロレスをする、そう聞くと多くの人は何事かと思うでしょう。日常の動作も大変そうな者たちが、半裸で殴り合い、蹴り合い、しかもそれを入場料をとって多くの人に見せようというのですから。
 事の始まりは、障害者同士のけんかでした。ボランティアの女子大生を巡って、仲間の見ている前で取っ組み合い、プロレスの技をかけ合う2人の姿に、従来の、身内とボランティア関係者しか足を運ばない、いわゆる「障害者の発表会」のあり方に異を唱え、新しい表現活動を模索していたボランティアグループ「ドッグレッグス」が、その進むべき道を見出したのです。
 旗揚げは1991年。2人のレスラーに、観客5人、ボランティアセンター会議室での初興行でした。現在は、介助を必要としない軽度の障害の者から、車いすで入場する選手、自力では寝返りを打つのがやっとの女子レスラーまで、約20人の障害者レスラーが在籍し、会場も小劇場やホールへと移り、常に数百人を集めるまでになっています。その活動の軌跡は、主宰者であり自らも“アンチテーゼ北島”の名でリングに立つ北島行徳の筆による『無敵のハンディキャップ』(文藝春秋社刊)に詳しく記されています。
 リングの上では、車いすから降り、補助具もすべて外したレスラーたちが、肉体をまるごと人目に晒します。その様子は、しばしば「障害があることを感じさせない」と感心される、いわゆる障害者スポーツとは趣を異にしています。不自由な生身の体を駆使し、時として血を流しながら闘う姿。それを見守る観客は、障害者を単に社会的弱者として見ることへの疑問を、また同時に、障害をもって生きていくことの困難さに何ら目を向けることなく「障害もひとつの個性」と言ってすませてしまうことの危うさを、感じ取ることでしょう。
 見てほしいのは試合だけではありません。セーラー服の下にスクール水着を着込んで入場する男子レスラー。“欲獣マグナム浪貝”“アブノーマライゼーション”といったリングネーム。「8万円のソープへ行く男、アームボム藤原!」「IQ81で愛の手帳がもらえなかった、限りなく障害者に近い健常者、菓子パンマン!!」などのアナウンス。メディアにはまず登場しない、ちょっとこれはいかがなものか、と思えるような障害者たちの一面。本当に「同じ人間」であるなら、そうした決して褒められたものではない部分があって当然です。俗世間に生きる人々にとっては、障害者をより身近な存在として捉えるきっかけにもなるのではないでしょうか。そしてさらに、「共に生きる」姿勢を伝えるために、障害者と健常者が闘う「異者格闘技戦」があります。そこには、たとえ力の差が明らかでも、挑んでくる相手には全力で応えるという、ひとつの共生のかたちを見ることができます。
 さまざまに抱えた憤りを技に込め、世間の代わりに目の前の相手に憤りをぶつけるようにして始まった障害者プロレス。その初期の興行は、彼らの肉体が人々に与えるインパクトの強さをほとんど唯一の武器としたものでした。しかし、回を重ね、格闘の技術は格段に向上し、また多彩な演出を取り入れ、プロレスという形式にも囚われない裾野の広いイベントヘと姿を変えつつあります。より多くの人々を巻き込んでその固定観念を崩していくために。

(いりくらたえこ ドッグレッグススタッフ)