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ただ一人の文化

リンコ・ニキ

 24世紀の宇宙。宇宙船エンタープライズDでは、異星人の神経兵器の力で、クルー全員が記憶を失ってしまった。地球人も、クリンゴン人も、ベタゾイド人も、それどころか、アンドロイド(人工生命体)までが(注1)。皆と同じように記憶を失ってしまったデータ少佐は、なぜこの船にはアンドロイドは自分しかいないのだろうと疑問を抱く。
 「私は人工生命体の代表として乗っているのだろうか。母星には仲間が大勢いて、私の知らない文化と歴史を生きているのかもしれない」
 「新スタートレック」の一場面、ふだんは地球人の行動を夢中になって分析・模倣している彼が、実は文化的根なし草であることを思い出し、はっとさせられるシーンだ。
 自閉(ここでは狭義の自閉症、つまりカナー自閉ではなく、自閉症スペクトル障害、DSMの用語で言えば広汎性発達障害という意味で使っている)の人々には「スタートレック」に夢中になる人が多いと指摘する声は少なくない。
 グランディンは著書の中で、社会常識を直観で理解できない私たちの様子を、データ少佐に譬えているし(注2)、セクラー、ブレークは自閉者をヴァルカン星人と比較している(注3)。またレイティ、ジョンソンは、このシリーズにはアスペルガー症候群の女優がたびたびエイリアン役で出演しているという挿話を紹介している(注4)。
 私たちには、皆が当然と思っている約束事を肌で感じる能力がない。直観に障害がある分、論理で補おうとひたすら観察し、解釈する。相談相手もなく、1人で。私たちはどこの国に生まれようと、必ずその国の文化を身につけ損ない、「ヨソ者」として育つ。
 自分の異質さを理解できる程度に障害の軽い人々はよく、自分を宇宙人のように感じているものだ。異文化共存の理想を掲げたこの番組に夢中になり、「観察者」であるスポックやデータに自分を重ねる者が多いのも当然かもしれない。スタートレックを「発見」する前に私が支えにしていたのは「花嫁はエイリアン」と「コーンヘッズ」だった。どちらも異星人が異文化の中で奮闘する映画である。
 私たちはソーシャルスキルもお粗末なうえ、静かな時間を多めに必要とする。もともと群れる本能が弱いという者も少なくない。そのため、あまりたくさんの人と知り合う機会に恵まれない。そのうえ、絶対人口も少ないから、自分の同類と出会うというのはかなり難しい。私たちの多くは非自閉者社会の中で1人ずつ、仲間の存在を知らずに成長する。ろう学校もなければ民族学校もない。私たちはいわば、母星をもたない異星人なのだ。
 ところが、こうしてそれぞれが孤立して育ったはずの私たちだが、お互いの顔も存在も知らないまま、遠く離れた町で、同じように積み木や糸巻きを並べ、同じように扇風機を見つめ、同じように「機関車トーマス」のビデオをすり切れるまで繰り返し(注5)、同じように電話帳や時刻表を熟読し、同じようにスタートレックやコンピュータに熱中する。
 仮に文化というものを「価値観を共有する集団によって育まれるもの」と考えるなら、互いに独立に同時発生する私たちの嗜好・性向を文化と呼ぶことはできない。それは文化よりさらに深いレベルのもの、何かもっと生理的な性質に根ざしたものなのだ。たとえば、私たちが狭い範囲の趣味や仕事に深く激しく熱中するのも、単調な繰り返しを好むのも、全体よりも細部を重視するのも、急な予定変更を嫌うのも、どれも意識の切り替えの遅さから派生したものではないかと私は考える。
 しかし、たとえそれが厳密には文化と呼べないにしても、私たちと周囲との間に起こるトラブルには、文化摩擦と呼ぶしかないものが多いのは事実だ。
 かつて、セント・ジョーンズ自閉症メーリングリストにおいて、成人自閉者・周辺者の参加者と非自閉の参加者(自閉児の親、専門家等)の間で起きた問題がその好例だろう。
 ネットという場で初めて同類に出会い(注6)、喜んだ成人自閉者・周辺者たちがリスト上で「こだわり」を丸出しにして言葉遊びを始めたため、非自閉の参加者から「無意味な投稿でメモリを浪費している」という苦情が上がったのだ。その理由の一つは、自閉者・周辺者たちが仲間の投稿を抜粋せず全文引用するため、投稿が無制限に長くなることだった。自閉者にとっては、長文の引用はエコラリア(オウム返し)の変形であり、被引用者とのつながりを確認するコミュニケーションでもあったのだが、他の参加者にはスペースの無駄にしか見えなかったのだ。結局、多くの自閉者・周辺者がこのリストを離れ、新たに自分たちのリストを持つことになる。
 文化的摩擦は、周囲との間だけではなく、個人の内面でも起きる。障害の程度が軽く、あるいは障害を埋め合わせる能力が高く、診断が遅れた者の場合、自分が自閉症スペクトル上に位置する障害をもつことを知らないため、「症状」とは呼べない自閉の嗜好・性向を自分で受け入れられずに苦しむこともある。
 私がアスペルガー症候群と診断されたのは30を過ぎてからだったが、それまでは、一つのことに強烈に熱中する自分の性質を狂気の前兆かと思って脅えたり、細部にこだわって全体を見られないことを恥じたり、丸暗記や様式のコピーはできるのに、独創性がないことを卑下したりしていたものだった。「まんべんなくできなくてはだめ」「丸暗記よりも独創性が大切」といった言葉を、文字どおりに「規範」と思いこんでしまったせいもあるだろう(発言の意図や文脈が理解できないというのも私の障害の一つだからである)。
 診断によって、いや、より正確には、自分の性質は同じ診断名をもつ仲間たちと共通のものだったのだと知ることによって初めて、私はその思い込みから逃れることができた。
 本を読んでも、概念の理解よりも用語の発音の面白さに囚われてしまうこと。音楽も、自分の内面の表現より、記憶の中の音の再現に興奮すること、一つの冗談が気に入れば、皆が飽きても延々と繰り返してしまうこと――それらはみな、私たちにとってはむしろ正常なことだったのだ、恥ずべきことではなかったのだと納得することができた。
 だから、厳密には文化ではないにせよ、文化という比喩は、自分の不適応を理解し、自分の性質を肯定するためのツールとしては有用なのだ。また、自分たちの特質を尊重してほしいという要求を伝えるときにも。
 私たちは、異文化というよりは異人種、異民族というよりは異星人に近い。しかし、母星の文化を身に付けてから地球にきた異星人とは違い、私たちの生活様式は、自分の脳の特質とホスト社会の文化とをすり合わせて、たった1人で作り上げてきたものだと言える。
 冒頭でも紹介した「新スタートレック」のアンドロイド、データ少佐は、別のエピソードの中で、ピカード艦長に「なぜ他国の文化ばかり参考にするんだ」と問われ、「私には、自分の文化がないからです」と答えている。
 そんなデータをピカードは励ます。
「いや、あるともさ。君1人の文化だ。10億人が支える文化にもひけをとらん」(注7)
 1人1文化。そんな概念をもし認めるとしたら、私たちにも自閉文化があるのだ。そして、自閉者同士はみな、姉妹文化なのだということができるだろう。
 私たちには、生身の人間との長時間の接触は苦手という者が多い。しかし、文字を媒介すれば苦痛を避けられる。私たちの仲間探しがペンパルバンクやメーリングリストに大きく頼ってきたのは、決して偶然ではない。
 また、年に数度の非日常としてなら、そして、私たちの生理的条件に配慮した場でなら、私たちだって仲間同士集まることができる。
 1996年以来、国際自閉ネットワーク(Autism Network International)は年に一度、ニューヨーク州中部のキャンプ場で集まっているが、その会場は蛍光燈もなく香料も禁止。突然肩を叩かれる心配もないし、体を揺すろうと手を噛もうと、だれも変な目で見ない。同じ話を100回繰り返しても「まだその話してるの?」と言われる心配がない。そこは、私たちが地球人に遠慮せず、堂々と宇宙人(あるいはアンドロイド)でいられる場なのだ(注8)。
 全員を一つの下位文化としてくくるにはあまりにも多彩すぎ、あまりにも群れる本能の弱すぎる私たち。後ろ楯になる文化集団をもたない私たちが尊重され、誇りをもって生きられる社会があるとしたら、それこそが究極の多元主義社会だと言えるかもしれない。

(大阪府在住)

<参考文献>

注1 「新スタートレック」第112話「謎めいた記憶喪失」
注2 T・グランディン「自閉症の才能開発」(カニングハム久子訳 学習研究社)181頁
注3 R・セクラー、R・ブレーク「スタートレック脳科学大全」(沢木昇訳 扶桑社)232頁
注4 J・レイティ、K・ジョンソン「シャドー・シンドローム」(山下篤子訳 河出書房新社)312頁
注5 L・ウィング「自閉症スペクトル」(久保紘章他監訳 東京書籍)60頁
注6 自閉とコンピュータの相性についてはGary H.AnthesがComputerworldに発表した“Computer savants”(http://www2.computerworld.com/home/online9697.nsf/All/970414anthes)、また、自閉者どうしのネット上での出会いについてはMarie Deatherageの“What kind of place is cyberspace for people with disabilities?”(http://www.nyise.org/mailbag4.htm)に引用されているjim Sinclairのインタビューを参照。
注7 「新スタートレック」第140話「バースライト(前編)」
注8 ANIのウェブページはwww.ani.ac