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レナードの朝

村田信男

 この映画は1991年頃に日本で封切られたが、私はちょうどその頃「浦島太郎と玉手箱」について興味をもち小文を書いていたので、浦島太郎的状況が現実に生じうることを改めて知らされ、「心に残る映画」の一つとなった。
 これは実話の映画化である。1930年代頃にアメリカで流行した嗜眠性脳炎に罹患した少年レナードが、それから数十年経てから、熱心な医師や看護婦等の治療により、結果的にはつかの間ではあったが、長い眠り(植物人間状態)から「目覚め」て社会復帰を試みる物語である。主観的時間意識としては少年期で断絶していた彼は、客観的時間の推移により中年男になっている己の顔を鏡で見て驚く。
 浦島太郎の物語では、「たった一夜の宴」と思っていた主観的時間意識と、実際には数十年という客観的時間のずれが、「玉手箱」により統合されていくが、この映画では鏡がその役割を果たし、主観と客観との両者のずれが徐々に統合されていくのである。
 この映画を見て感動したのは、このような浦島太郎的状況が心身の疾患による精神障害によって現実に生じうることと、このリハビリテーション過程の中に、薬物療法、作業療法、そして精神療法がきちんと組み込まれていることである。もし精神的な絆がなくて薬物療法のみがなされれば、薬物実験という見方もなされかねないし、また作業療法も苦役としてしか感じられないかもしれないからである。
 リハビリテーションの原点は何か、を改めて考えさせられた映画でもあった。

(むらたのぶお 前東京都多摩総合精神保健福祉センター)

<参考文献>

「お伽話や昔話などにみるノーマライゼーション」:『ノーマライゼーション』1998年3月号

レナードの朝

(1990年、アメリカ)
監督/ペニー・マーシャル
主演/ロバート・デ・ニーロ
   ロビン・ウィリアムズ
   ジョン・ハード

ストーリー

 1920年に流行した病気により30年間もの間、半昏睡状態だったレナードは意識があっても話すことも、身動きもできない重度の障害者だった。彼の障害に興味をもった病院の新米ドクターのセイヤーは、パーキンソン病の試験的な新薬を投与すると、ついにレナードは30年ぶりに奇跡的な目覚めを迎える。