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「競技スポーツ」の現在と未来

小玉一彦

はじめに

 日本中に数々の感動と勇気を与えて閉幕した冬季パラリンピック長野大会(1998年3月)を経て、今、日本の障害者スポーツは大きな“変革・創造期”を迎えています。本年3月にはマスコミ数紙が「長野パラリンピックから1年」を特集し、“支援の輪、着実に一歩”(産経)、“障害者スポーツ踏み出した一歩”(信濃毎日)、“芽吹く障害者スポーツ”(赤旗)をサブタイトルに、一様に今後の障害者スポーツの振興や選手強化の必要性、組織づくりの現況などスポーツ環境条件の1年間の成果や、これからの課題等について報じました。「長野」の成功が障害者スポーツの新時代を切り開きつつあることを実感させられます。

競技スポーツの振興に向けて

 この間の変革、創造の主要なキーワードの一つが「競技としてのスポーツ」の振興という視点です。歴史的に見て、障害者の「全国スポーツ大会」はリハビリテーションの成果を発表する場ととらえられてきました。また、健康の維持・増進、社会参加への動機づけという側面だけが障害者が取り組むスポーツの意義として強調されてきました。
 しかし、長野大会終了後から今日まで、各方面の関係者によって努力されてきた取り組みの多くは「競技性」を意識した組織の拡充や整備であり、支援体制の強化を打ち出したものととらえることができます。その視点から現在までの成果を集約すると、以下のようにまとめることができます。

【国(厚生省)の段階】

1.選手、スポーツ関係者、JOC、経済界、マスコミ、学識経験者の代表による「障害者スポーツに関する懇談会」の開催―報告書の作成(98年6月)……競技力向上のための早急な体制整備の必要性などを指摘。
2.第1回全国障害者スポーツ大会の開催を決定(98年7月)……新世紀の到来を見据えて、競技性を加味した身体・知的両全国大会の統合化(後述)。
3.障害者スポーツ支援基金(300億円)の創設(98年8月)……国の出資により運用益で選手強化、競技用具の研究開発等を図る。

【地域・自治体の段階】

1.静岡県障害者スポーツ協会設立(98年12月)
2.青森県障害者スポーツ協会設立(99年5月)
3.秋田県障害者スポーツ協会設立予定(今年度中)
4.精神障害者を含む3障害者スポーツ大会開催予定(神戸市、今年度中)

【関係団体の段階】

〈日本身体障害者スポーツ協会〉
1.スポーツコーディネーター制度創設(99年1月)……分野ごとに全国の専門家に委嘱し、情報提供や相談業務の充実を図る。
2.日本パラリンピック委員会(JPC)設置(99年9月)……選手育成・強化、国際大会派遣等競技力の向上を担う常設機関(図参照)。
3.日本障害者スポーツ協会に名称変更(99年9月)……知的障害者スポーツの振興も視野に入れる。

財団法人日本障害者スポーツ協会の組織

図 財団法人日本障害者スポーツ協会の組織図

〈全日本手をつなぐ育成会〉
1.日本ハンディキャップサッカー連盟設立(99年2月)
2.日本知的障害者卓球連盟設立(99年3月)……日本卓球協会に正式加盟。体協傘下の競技団体への加盟は日本初。
3.日本知的障害者スポーツ連盟(仮称)設立予定(今年度中)……パラリンピック出場に向けた選手育成・強化を担当。日本パラリンピック委員会に参画予定。
4.同バスケットボール、水泳、陸上競技団体設立予定(今年度中)……パラリンピック種目を中心に計画。

〈身体障害者団体〉
1.日本身体障害者クロスカントリースキー協会設立(98年5月)
2.日本身体障害者アイススポーツ連盟設立(98年10月)
 これらの動きは障害者スポーツ全体の振興からみれば、部分的、端緒的取り組みですが、競技としてのスポーツがようやく市民権を得て、全体としての障害者スポーツを牽引していく役割を果たしていくものと考えられます。特に、日本パラリンピック委員会の設置は選手強化-選考-派遣のシステム化を促していくとともに、協会内の生涯スポーツの振興施策との役割分担を明確にしていくという点でも画期的な試みです。

強まる競技性、多彩な競技大会

 国際パラリンピック委員会(IPC)設立からちょうど10年。国際パラリンピック運動(もう一つのオリンピックの実現とさらなる推進)は、急激な勢いで競技中心主義(forcus athleticism)の傾向を強めています。IPCが「主催」を始めたバルセロナ大会(1992年)以降、パラリンピックのみならず、国際選手権大会等はすべて標準記録の設定・ランキング制の導入、予選の義務化によって、「障害者が最高の技を競う場」(IPC会長)と位置付けられてきました。
 国内においても、パラリンピックを頂点とする競技志向の国際化の影響を受けて、90年代前半までは車いすバスケットボール、アーチェリー、卓球、水泳種目程度しか見受けられなかった、いわゆる種目別日本選手権大会がその数を急速に増やしています(表参照)。パラリンピックへの国内の“関門”と言われるジャパンパラリンピック大会の開始も1991年からスタートしています。

“競技性”を重視した国内・国際選手権大会等一覧(1999年度)

国内 大会及び事業名称 開催場所 障害種別
平成11年度ジャパンカップAR・AP障害者選手権大会 神奈川県 肢体・視覚
内閣総理大臣杯争奪第28回日本車椅子バスケットボール選手権大会 東京都 肢体不自由
第4回関東身体障害者陸上競技選手権大会 東京都 身体障害者
第18回東海身体障害者卓球選手権大会    
第10回九州身体障害者水泳選手権大会 福岡県  
第6回中部障害者水泳選手権大会 名古屋市  
日本ボッチャ選手権大会 大阪市 C1C2クラス
第13回関東身体障害者水泳選手権大会 東京都  
’99東アジア選抜車いすバスケットボール選手権大会 北九州市 肢体不自由
第18回東海身体障害者水泳選手権大会    
第8回東日本車椅子バスケットボール選手権大会 長岡市 障害区分1-5級
第5回中国四国身体障害者水泳選手権大会 広島市 身体障害者
第25回のじぎく杯争奪車椅子バスケットボール選手権大会 兵庫県 肢体不自由
天皇陛下御即位10年記念’99ジャパンパラリンピック水泳大会 大阪府  
日本車椅子テニス競技大会 厚木市 肢体不自由
第16回日本身体障害者水泳選手権大会 宮城県  
第28回厚生大臣杯争奪全国身体障害者アーチェリー選手権大会 伊勢原市 W1W2立位各男女
平成11年度西日本障害者ビームライフル射撃選手権大会 神戸市 肢体・視覚障害者
天皇陛下御即位10年記念’99ジャパンパラリンピック陸上競技大会 東京都  
第11回全国車いすマラソン大会 兵庫県 肢体不自由
第4回日本障害者オープンゴルフ選手権   肢体不自由 知的 視覚
第19回大分国際車いすマラソン大会 大分県 肢体不自由
第14回全日本視覚障害者柔道大会   視覚障害者
第12回津山国際交流車椅子駅伝競走大会 兵庫県  
第17回小田原JBMAマラソン大会 小田原市 視覚障害者
平成11年度全日本身体障害者ビームライフル射撃選手権大会 熊本県 肢体・視覚障害者
第5回日本電動車椅子サッカー選手権熊本大会 熊本県 肢体不自由
第4回国際クラス別卓球選手権大会 大阪市 肢体不自由
天皇陛下御即位10年記念’99ジャパンパラリンピックアーチェリー大会 埼玉県  
第10回全日本女子車椅子バスケットボール選手権大会 神戸市 肢体不自由
全日本身体障害者野球選手権大会 兵庫県 肢体不自由
ウィルチェアーラグビー日本選手権大会 千葉県 四肢マヒ
第3回日本シッティングバレーボール選手権大会 広島市  
第9回日本身体障害者バドミントン選手権大会・東京 東京都  
’2000チェアスキー競技会 未定 下肢障害者
第11回全国車いす駅伝競争大会 京都市内 車いす使用者
第10回日本身体障害者陸上競技選手権大会 大阪市 肢体・聴覚・視力
99ジャパンパラリンピックアイススレッジ大会 未定  
99ジャパンパラリンピックスキー大会 未定  
国際 国内選手権大会兼招待国際馬術選手権大会 フランス すべての障害
ヨーロッパ車椅子ラグビー選手権大会 スイス 車いす使用者
ヨーロッパフットボール選手権大会 スウェーデン 脳性麻痺
自転車ヨーロッパ選手権大会 フランス 視覚・切断・車いす・他
世界ドレセージ選手権大会 デンマーク  
第1回世界陸上競技選手権大会 スペイン ISOD公認
第26回スイス車椅子選手権大会 スイス  
第2回FESPIC卓球選手権大会 タイペイ  
オランダオープン陸上競技選手権大会 オランダ  
ロッテルダム車椅子マラソン オランダ 車いす使用者
サザンクロス障害者選手権大会 シドニー  
ワールドカップ車椅子フェンシング大会 ハンガリー  
国際バドミントン大会 イスラエル  
2000年シドニーパラリンピック アジア・オセアニアゾーン予選会 ニュージーランド 車いす使用者
アジア・オセアニア地域車椅子バスケットボール予選会 ニュージーランド又は、韓国(未定)  
アルペン世界選手権大会 スイス  
ノルディック世界選手権大会 スイス  

(平成11年度日本身体障害者スポーツ協会スポーツカレンダーより作成)

 これら国内外の選手権大会の隆盛の一方で、アジア・太平洋地域の“普及”を最優先の理念として発展しているフェスピック大会(極東南太平洋身体障害者スポーツ大会(IPC公認))の存在はユニークです。1975年(第1回大分大会)から始まった本大会は、発展途上国や地域のスポーツ振興に多大なる貢献をしてきましたし、日本の関係者はその主導的役割を果たしています。
 しかし、本年1月に開催された第7回大会(バンコク)では、各国の競技志向が強まる中、大会独自の“紳士協定”(国際大会初参加者は、各国とも3分の1以上)が蔑ろにされる傾向さえ現れてきています。今後の“普及”か“競技性追求”かの間で、フェスピック連盟の対応、方向付けが必要な段階に入ってきています。

全国大会統合化の意義

 今秋の大会で35回目を迎える全国身体障害者スポーツ大会(身障国体)と「国連障害者の十年」の終結を記念して1992年から始まった全国知的障害者スポーツ大会(ゆうあいピック)は、新世紀の幕開けの年(2001年)から統合大会になることが決定しました(98年7月)。
 両大会は歴史的経緯の違いによって別々に開催されてきましたが、このたびスポーツの新時代に向かって“統合”の方向が提案されたことの意義は極めて大きいと思います。さらにまた、第1回宮城大会から“競技性を加味して”運営される大会となり、従来のリハビリテーションスポーツ、参加型大会から競技スポーツにわたる、一生涯を通してのスポーツへの継続性を促す方向が打ち出されたことは、画期的な変革の第一歩になることが期待されます。
 今日、多くの障害者がさまざまな動機や目的によってスポーツに親しみ始めているように、スポーツが本来もつ対等・平等の精神、そして、すべての人の全面発達を促す文化としての障害者スポーツの可能性が広く国民の中に認知されてきたことが大きな要因になっています。
 今後、日本の障害者スポーツ界は国際パラリンピック運動の大きな潮流に合流せざるを得ませんが、一方で、この大会のリハビリテーションや社会参加の機会としての意義も十分考慮し、継承していくべきだろうと思います。
 21世紀を目前にして、障害者のスポーツはオリンピック運動の100年の歴史を10倍以上の速さで突き進もうとしている感さえうかがえます。
 オリンピックの巨大化、商業主義化、勝利至上主義化、環境問題等諸問題が噴出している現在、パラリンピックだけがそうした問題を回避できる特別な存在ではあり得ません。すでにドーピング問題やプロ化をめぐる問題が顕在化しつつあり、トップアスリート(エリートスポーツマン)をめぐる矛盾や退廃的現象が現実のものとなる危険性をはらんでいます。しかし、まだ現時点だからこそ、この折に、日本の障害者スポーツの関係者、団体によって未然の対策やあり方が大いに論ぜられ、検討されていくべきだろうと思います。

(こだまかずひこ 宮城県障害者スポーツ協会会長・東北福祉大学教授)