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文学にみる障害者像 42

クリスティ・ブラウン著 長尾喜又訳
『マイ・レフトフット』

瀬山紀子

 1932年6月5日、アイルランドのダブリンで1人の男の子が生まれた。母子共に生命が危ぶまれるほどの難産だったため、母は出産後まもなく別の病院に移された。その間、名前を与えられないまま、男の子は病院で過ごした。彼に名前が与えられたのは、母が病院を出て彼を教会に連れて行ってから。もちろん、その男の子こそが脳性マヒをもち題名どおり左足(レフトフット)で本書を綴ったクリスティ・ブラウン。
 彼は、生まれて1年後に、医師から「精神的にも、身体的にも絶望であり、今後もその絶望が続くだろう」と宣告される。彼は言語障害をもっていたために、言葉を解さないと周囲から思われ、長い間、自分を表現する手段を求め続けてきた。本書は、彼がいかにして自らの表現手段を探り、作家として活動するに至ったのかを書いた自叙伝である。
 生まれて1年後に、身体的にも知的にも「絶望」であると医師に言い渡された彼は、その医師の言葉を聞き入れなかった母親の働きかけを受け、福祉施設に入れられることなく、たくさんの兄弟と一緒に家族の元で暮らしていくこととなる。しかし、その母親の熱心な働きかけに答える術を彼はもっていなかった。いや、彼は、母親の働きかけに対して、何度も、答えを返そうと母親の髪の毛をつかんだり、「うつろなほほえみ」を投げかけたりしてきた。しかし、彼のやり方は、周囲の人を満足させるには至らなかった。周囲の人々は、「絶望」を言い渡された彼に、言葉を解する力があるとは思っていなかった。だから、彼がどんなやり方をしても、それが彼の意志を表明する方法であるとは思わなかった。
 そんなある日、彼は周囲の人を満足させるやり方で、彼自身の意志を周囲の人々に伝える術を見つけだした。それは左の足指を使って文字を書くことだった。彼は、左の足指に挟んだチョークで、床の上に「A」という文字を刻んだ。それは周囲の人々に彼が意志ある存在であることを認めさせるのに十分だった。彼は言う。「床の上になぐり書きされたあの一文字こそは、私を新しい世界へと導く道であり、閉ざされた精神の扉を開く鍵であった」と。「ゆがんだ口の奥で言いたいことも言えずにむずむずしていた」彼は、左足指で文字を書くことで、自分には「言いたいこと」があるということを周囲の人に示すことができたのである。
 この本の中で、主人公であり書き手であるクリスティは、常に、自分が感じ、知っている自分自身と、他の人がまなざしを向け、知っている「クリスティ」とに引き裂かれた存在として描かれている。彼は、鏡に映る自分を見ながら、他の人から見ると自分がこのように見えているのだということに気づかされる。
 彼が知っているクリスティは、ただ、ほかの人のように自分で食べたり、走り回ることができないという、なぜかはわからないけれどほかの人とは「すこし違った存在」だった。しかし、そのような違いは彼にとって日々の生活の中で「じきに忘れてしまう」類のものであったし、どちらかと言えば「忘れてしまいたい」ものだった。
 彼は、左足を使った表現手段を手に入れてから、ヘンリーと名付けられた手押し車を手に入れ、それに乗っていつでも兄弟や友人たちと町に繰り出した。幼い彼の友人たちは、彼をある種畏敬の念をもって見つめ、どこに行くにも彼を連れていった。彼は存分に危険を冒す権利を行使していたのである。しかし、ある時そのヘンリーの車軸が折れ、二度とヘンリーに乗って友人たちと外へ遊びに行くことができなくなってしまった。そのことが一つのきっかけとなって、彼は自分が自分のほかの兄弟や友人たちと違い「どこかに故障があるのだ」という「奇妙な想念」に駆られるようになる。幼い彼は、兄弟や友人たちと一緒に遊びに出かけられなくなることで、自分自身と向き合うことになる。
 彼は、鏡に映る自分を見つめる自分自身の奇異なまなざしに気づく。自分自身が、鏡に映る自分を凝視できないことにいらだちを覚える。彼自身が獲得してきたまなざしが、鏡に映る彼を欺くまなざしにほかならなかったのである。彼はくり返し、自らを欺く自らのまなざしと格闘している。ある時は、鏡を叩き割ることで、まなざしそれ自体をなくしてしまおうと、ある時は、ひたすら同世代の女の子に恋することで。しかし、彼の格闘は、鏡を叩き割ることでは解決されるはずもなく、恋した相手には哀れみのまなざしを投げかけられ、過酷なものとなっていく。
 一体、そのようなまなざしは、だれによって作られたまなざしなのだろうか。自分自身を徹底して欺くまなざしの中に置かれた彼は、どのようにしてそこから新たな自分自身への信頼を獲得していくことができるのだろうか。そのまなざしは、生後まもなくの彼に「絶望」を言い渡した医者のまなざしであり、彼を哀れむ周囲の人々のまなざしである。
 自分自身のまなざしとの格闘は、本書の一貫したテーマである。しかし、彼がもっている「不幸」な自分自身という「絶望」のまなざしは、最後まで彼の中に居座り続けている。彼は、「君を治すことができる」と言う医師に従って、治療やリハビリテーションを続け、そのために一度は左足を使った表現手段さえも手放してしまう。どのような代償を払おうとも、もし自分の障害が治るのであれば、なんでもやる。それが「最後に勝利」をもたらすことになるだろうと彼は書く。彼のまなざし、彼にとっての「勝利」、それが徹底して彼の障害を否定するものであることに変わりはない。
 翻訳者は訳者あとがきで、本書が「不幸な身体障害者とその関係者、周囲の人々にとって」、必ず「救いと希望と喜び」、そして「教訓と反省」をもたらすだろうと書いている。また、「脳性マヒ患者の手記から、一貫して人生の意義と生きる喜びを教えられたのは意外であった」とも書いている。一見すると、本書から生きる喜びを与えられたという主旨で書かれた訳者の弁は、同時に脳性マヒ者を「不幸な身体障害者」という枠に閉じ込め、そのような人々が人生の意義や生きる喜びを語ることができるとは思えなかったという訳者のまなざしを顕わにしている。
 このようなまなざしこそが、クリスティを引き裂いてきたまなざしだったはずではないか。確かに、本書を通して著者自身が障害をもった自らの苦悩をくり返し描いている。しかし、本書は苦悩を抱えながらもその精神力で「不幸」を脱した男の話ではなく、「絶望」や「不幸」という外からの烙印と格闘しつづけた、1人の障害をもった男の物語だと言えるのではないだろうか。

(せやまのりこ お茶の水女子大学大学院)