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法制度の立ち遅れと欠格条項
はじめに

池原毅和

 欠格条項は、障害のある人たちは能力が欠けている、あるいは、危険であるという障害者像を前提として定められたものであり、その規定の趣旨は、障害のある人を一定の地位から排除することで、社会を守ることにある。欠格条項の根底には、障害のある人に対して、障害をもっていることを理由に一定の社会活動に参加することを許さないという不利益を課し、それによって社会の安全を確保しようという思想がある。障害者にかかる欠格条項の見直しが進む中で、こうした誤った考え方は克服されたかのような概観がある。しかし、「見直し」の具体的方針をみると、結局は前述したような考え方を抜けきることができないでいるようにもみえる。欠格条項廃止をめざす活動は、すぐれて現実的な問題であり、理念だけで何らの成果も得られないような結果に終わらないよう留意する必要があるが、反面で妥協案のもつ問題性も認識しておく必要がある。

「見直し」における具体的対処方針について

 「見直し」の基本方針の第1は、「必要性の薄いものは欠格条項を廃止し、真に必要と認められるものに限って欠格条項を修正する」というものである。しかし、別表に記載されている欠格条項が真に必要であるものとするのであれば、結局ほとんど現状の欠格条項が形を変えて存続することを容認する結果になってしまう。別表に記載された欠格条項からみると、「必要性の薄いものは廃止し、真に必要なものに限定して修正を加える」という見直しの第1基本方針は、ほとんどリップサービスの役割しか果たしていないとみるほかないのではないかと思われる。
 次に、真に必要だとされる欠格条項については、第1に「医学、科学によって対象者を厳密に規定する。能力の判断基準を明確化する」という原則で修正を加えることとされている。しかし、現代の医学や科学の水準で能力適合性を厳密かつ明確に判定することが本当に可能であるのか本来的な疑問がある。実際に職務上の支障が生じたときに、その具体的な職務上の支障とその人の具体的な障害との関連性が調べられるのであれば、障害と適性の関連性は明確になりやすいと考えられるが、たとえば精神障害をもった人が、通訳案内人としてどんな問題を起こすか、あるいは、自動車を運転した時に、交通事故を起こす可能性がどれほどあるかということを一般的に予測することは、おそらく不可能であろう。この問題は、きわめて曖昧な予測に科学や医学の装いをもたせ、欠格事由に一定の権威を与えるだけの結果に終わる危険性をもっている。
 第2は、「絶対的欠格条項から相対的欠格条項への変更を図る」という原則を適用するものである。しかし、絶対的欠格条項を相対的欠格条項に改めても、障害のある人の社会参加促進効果はほとんど望めない。相対的欠格条項は、障害があっても「業務遂行が可能となる場合があることも考慮されるべき」だということから認められるものであり、もともとは障害があれば業務遂行ができないことを原則として想定しているものである。こうした規定は、それ自体が障害をもった人の社会参加への意欲を萎縮させ、社会一般の人に障害のある人は原則としてその業務に適していないことを知らしめるに十分な効果をもつ規定である。
 第3は、「心身の故障、心身の機能などに着目した規定の仕方に変更する」という原則を適用するものである。本来、欠格条項が必要であるとすれば、最低限度、1.実際に就業等した結果、業務等の遂行が困難な事実が現実に発生したこと、2.それが特定の心身の故障と具体的に関連しており、将来的にも同様の事態が反復される可能性が高いこと、3.右二つの要件を公平・公正な機関が判定する手続き及び不服申し立ての手続きがあることが必要である。第3の原則は不十分ではあるが、障害をもっていること、それ自体を名指しで欠格事由としていない点では評価できる原則である。
 「見直し」は、前述の諸原則のほかに、資格・免許等の回復に関する規定を整備することとしている。これに加えて、資格・免許等の取消、停止などの場合に、不服申し立てを行える機関と手続きを明確に定めることとすべきである。

終わりに

 障害者差別禁止法の制定を進めている先進諸国の動向を見ると、障害をもっていることを理由に、その人たちに不利益を加えることを法律が積極的に認めているわが国の法制度の立ち後れには時に絶望を感じてしまう。私たちは、先進国の中でのわが国の置かれている状況をより明確にするために、サミット加盟諸国から障害のある人を招聘して、欠格条項問題についての国際シンポジウムを企画中であるが、「代用監獄」という語が諸外国に例がないので、国連英語でもDaiyo kangokuになってしまったように、欠格条項も諸外国に例がないためにKekkakujokoという恥ずべき国際用語にならないことを願っている。

(いけはらたけかず 全国精神障害者家族会連合会常務理事)