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自立生活運動の歴史とその哲学

樋口恵子

国際障害者年以前

日本の自立生活運動は脳性マヒ者がつくってきた

 日本で最初の公立肢体不自由児学校である光明養護学校の卒業生からスタートした「青い芝の会」(1957年誕生)は同窓会的な親睦団体から、次第に脳性マヒ者の全国的な集まりとなりました。
 70年に始まる神奈川を中心とする「青い芝の会」の障害児殺しの母の減刑嘆願を批判する運動、また、府中療育センターでの移転反対と待遇改善を求め、都庁前にテントを張り、1年あまりの座り込みの闘争があげられます。そして、川崎駅のバス籠城事件など、健常者社会に対して昂然と、挑み続けてきました。
 それは健常者社会に対する障害者のアピールであるとともに、自分たち障害者の中にある刷り込みや常識と闘い、自分たちのありのままを取り戻す、開放への過酷な戦いだったのです。そして、親元や施設から離れ、地域で協力者を求め、生活をつくってきたのです。その始まりの時期は、アメリカの自立生活センターの動きと、ほぼ同時です。しかし、方法論の違いは大きく、アメリカはマイノリティーを含めた消費者運動として世論を味方・力にし、日本は脳性マヒ者だけの運動として障害者の中でも孤立して展開していったのです。日本の、特に全身性で言語障害を併せもつ人たちが置かれてきた状況は、あまりにもすさまじく、“障害者だから仲間”と思えるような土壌はできていなかったし、妥協を許すと自分たちの存在が危ぶまれるといった危機感をもっていたのでしょう。

国際障害者年以降

障害者の情報が国際的に得られる時代

 81年の国際障害者年が始まる少し前から、海外の障害者の情報が入ってくるようになりました。障害者夫婦が養子を育てている(アメリカ)、サリドマイドの子どもの里親制度(スウェーデン)、自立生活センター所長のエド・ロバーツ氏(アメリカ)の来日講演(79年)、障害者の生活が分かる情報誌「リハビリテーションギャゼット」の日本語版発刊などです。そして、DPI(障害者インターナショナル)の発足の呼びかけ、第1回世界会議がシンガポールで開催される(81年)など、一気に世界への窓が大きく開かれました。
 そして、この後の障害者の国際化に大きく貢献したのは、この年以降に実施されている財団法人「広げよう愛の輪運動基金」の障害者リーダー育成米国研修プログラムです。これは81年から毎年10組のさまざまな障害をもった人たちに1か月から1年間、自分のテーマに沿った研修を支援するというプログラムです。
 肢体不自由者の多くは、バークレーの自立生活センターでの研修を受け、当事者運動のパワーと成功の姿に大きな影響を受け、それを日本に持ち帰りました。

日米自立生活セミナーの開催

 83年、脳性マヒの人たちを中心とした実行委員会で、アメリカの自立生活(IL)運動のリーダーを招いて全国数か所で日米自立生活セミナーが開催されました。しかし、この来日メンバーには脳性マヒ者は含まれておらず、アメリカの脳性マヒ者の自立生活を知りたいという期待は、彼らを労働に参加できる障害者の集団として、自分たちの運動との隔たりが明確になりました。一方、障害者としてのアイデンティティを見出したいと模索していた、頚椎損傷やポリオなどの脳性マヒ以外の障害者には大きなインパクトを与えました。

自問研から自立研へ

 89年当時、東京都障害者福祉センターや日本社会事業大学などの障害者福祉の専門家が中心となって、自立生活問題研究全国集会が開かれました。翌年、大阪で故定藤丈弘氏を実行委員長として第2回が開催され、第3回東京と会を重ねる中で、障害者の参加が増えて、第6回の東京集会からは、団体名から「問題」をはずし、「自立生活研究全国集会」と名称を変更しました。研究者から声をかけられて参加するかたちから、障害者が中心になって企画し、研究者と連携するかたちが全国自立生活センター協議会(JIL)発足後にできてきました。
 より大きな連帯を模索し、73年以降隔年で行われてきた車いす市民全国集会との合同の集会として、熊本集会(95年)を手始めに、障害者市民フォーラムin郡山(97年)、同鳥取(99年)と開催してきました。自立研の中では、国内の連帯にとどまらず国際連帯を模索し、日米自立生活セミナーの開催(96年)、アジア支援の国際自立生活フォーラムの開催(98年)など、国内外で大きく育ってきました。どの国で暮らしていようとも、障害者が自信と誇りをもち、生活できる社会を構築するためのキーワードとして「自立生活」を用い、国際連帯を強めていくことを確認しました。

全国自立生活センター協議会発足

 アメリカ型の自立生活センターは、86年に東京・八王子でスタートしたヒューマンケア協会が第1号といわれていますが、それ以前にも当事者組織で自立生活センターと名乗って、作業所や生きる場の活動がありました。
 90年に入って、全国組織を立ち上げようと動き始めました。当時、自立生活センターと名乗って活動していた当事者組織が、東京に5か所、静岡、名古屋、京都など10か所近くになっていました。その主だったところが集まって、JILとして発足したのは、91年の第3回自立生活問題研究全国集会(東京)の前日です。その時の様子は、朝日新聞12月4日の社説「憐れみの福祉さようなら」という記事で大きく報道されました。
 現在、JILには85団体が加盟しており、ピアカウンセリング、介助、地方、権利擁護等委員会独自の取り組みをし、ガイドラインやテキストなど、自立生活センターの活動を分かりやすく広げていくための活動をしています。加盟団体の背景は、活動に賛同し、仲間を募って新しくILセンターとしてスタートしたところ、作業所や生きがいの仲間づくりの場からの転身などさまざまですが、構成員の過半数は脳性マヒ者になっています。JILでは加盟団体や、新しいILセンターの設立援助のための情報提供や資料収集、ニュースの発行、人材育成の研修会の開催、年鑑やマニュアルの作成、行政との交渉、他団体との連携などを行っています。
 以上、自立生活運動を時間的な流れと団体の活動で追ってきました。次に、自立をめぐる考え方と、自立生活センターの位置付けを簡単に記します。

自立

 自立とは自己決定権の行使、つまり自分の生活のひとこまひとこまを自分で選び決めていくことという、アメリカの自立生活運動が明確に表現した自立の概念に接した時、本当にほっとしたのを思い出します。
 これまで、自立とは自分の身の回りのことを自分でできる=「身辺自立」と、大人と言われる年齢に達したら、働くことで収入を得て生活を成り立たせる=「経済的自立」の二つができることだと言われてきました。私自身、幼い時から障害をもっており、地域や家族の中では特別な存在として育ってきて、何とか自立を可能にしなければならないと思い続けてきました。中学時代に私が寝たきりの生活をしていた肢体不自由児施設で出会った重度といわれる障害者は、私の目には自立は不可能な存在として映り、自分がその人たちを置いて出ていく、後ろめたさを感じ続けていました。

自立生活

 自立生活とは「親、兄弟など家族の庇護や、施設という管理された場から独立して暮らすこと」をいうと定義しています。家族と共に住んでいても自立はあるという考え方もありますが、同居している限り、保護・依存の関係を断ち切ることは難しいからです。

自立生活センター

 自立生活センターは、障害をもった当事者が中心となって、地域の障害者の自立生活をサポートするところです。代表、事務局長といった組織の顔と頭脳になるポジションは障害者であること、会の最高決定機関である役員会の過半数は障害者であることなどを規定し、当事者性を重視しています。
 有料の介助者派遣事業、自立生活のノウハウを伝える自立生活プログラム、ピアカウンセリング、制度や住宅などの相談事業、移送サービスなど、地域で自立生活をするために必要なサービスを提供していることが条件です。さらに、これらの事業体とともに、障害者の地域生活を阻むものに対して、権利擁護の運動体でなくてはなりません。

まとめにかえて

 自立生活運動の歴史は、障害者の権利を確立するための取り組みでもあります。障害者だから仕方ないとあきらめてきたものを、障害者だからこうしてほしい、こうしたいという自己主張をし、欲しいものを自立生活センターのサービスとして、つくり出してきました。
 障害を治す、改善すべき、という医療モデルとして捕らえられてきた過去から、自立して生活する主体として自信と尊厳を取り戻してきたのです。それは、進行性の障害をもつ人や、常に医療的ケアの必要な人たちも含めて進んできました。
 昨年末に開かれた第5回障害者政策研究全国集会では、ベンチレーターを使用しながら地域で快適に生きる工夫が報告されました。どんな状況になっても、本人の意思で選び、生活を組み立てていくことが、人間としての尊厳を保ち、自信をもって人生の主体者になることが伝わってきました。障害の種別を越えての連帯も緩やかながら現実のものとなり、知的障害者の自立生活の歴史も始まり、ILセンターが支援しながら共に育ちあっている様子が伝えられました。
 2000年を迎え、4月からは介護保険の実施、それに伴う社会福祉基礎構造改革は、自己決定権の行使、措置から契約へ、利用者保護、権利擁護など自立生活運動の中で主張してきたキーワードがちりばめられています。実質的なものにしていくためには、連帯と情報の共有、障害者基本法にきちんと権利規定を盛り込んでいくこと、政策決定の場に当事者が参加できる仕組みをつくっていくことが不可欠です。

(ひぐちけいこ 全国自立生活センター協議会代表)