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静岡
静岡障害者自立生活センター

渡辺正直

グループホームから自立生活センターへ

 静岡における自立生活運動の始まりは、約20年前「地域であたりまえに暮らしたい」という思いを抱く障害者たちが、施設や親元を飛び出して「ひまわり寮」というグループホームをつくったことにさかのぼる。
 メンバーたちは、車いすで納豆売りなどの行商をしたり、バザーや廃品回収をしたりしながら、少しずつ地域の中に溶け込んでいった。
 重度障害者たちの生活面を援助する支援者たちの輪も徐々に広がり、そんな中、アメリカの自立生活運動などに刺激されたこともあって、1984年に寮のメンバーが中心となり「静岡障害者自立生活センター」を正式にスタートさせた。
 こうした経緯を見てもわかるように、静岡の自立生活運動の特色のひとつは何よりも「地域とのつながり」を大切にしている点である。どんなに重度な障害をもっていても、地域社会の中で、普通の人と同じように学び、働き、生活をし、社会活動に参加していきたい、そんな思いが自立生活運動を始めた仲間たちの原点なのである。

活動内容

 地域で生きていくうちに直面するさまざまな問題に取り組んでいく中で、静岡の自立生活運動は、有料介助システム「ホットハート」や車いすの貸し出しを行う「車いすセンター静岡」、障害者が働く場としての「静岡福祉工場・富士見作業所」などへと広がっていくことになる。こうした仲間の組織は、それぞれが独立採算制でありながらも、「静岡障害者雇用事業団」の名のもとにゆるやかな連携をもってネットワーク化されている。
 これらすべてを大きな意味での自立生活センターととらえるならば、静岡の自立生活運動のもうひとつの特徴ともいえる「障害種別を越えたさまざまな者を受け入れる多様性」が浮かび上がってくる。コンツェルンのように、役割の異なる組織が肩を並べ、互いの連携プレーの中で、さまざまな障害種別に応じた多種のニーズに対応できるよう努力しているのである。
 実際、「静岡障害者自立生活センター」には、いろいろな人たちが出入りをする。自立生活センターは事務所であるのと同時に、多種の人たちが集い情報交換をし、ネットワークを広げる場でもあるのだ。

自立生活プログラムの充実

 さて、最近の「静岡障害者自立生活センター」の活動であるが、この1年は「自立生活プログラム」にかなりの力を注いできた。
 行政からの資金援助がまったくない、このような団体の実情として、これまでは本来的な活動よりもむしろバザーなどの財政活動に多くの労力を割かねばならなかったのであるが、市町村障害者生活支援事業の受託をも視野に入れて、「ピアカウンセリング」「相談事業」「自立生活プログラム」などのサービス部門のよりいっそうの充実を図ったのである。
 「自立生活プログラム」では、これから自立生活をめざす、あるいは自立生活を始めたばかりの仲間たちを対象に、自立生活の理念や、介助者とのコミュニケーションのとり方、いろいろな制度の活用法、介助者を使った生活の組み立て方などについて、すでに自立生活を営んでいる先輩の当事者たちが自らの経験をもとにアドバイスをしている。時には、バスや電車などの公共交通機関を使って、レクリエーションを兼ねた外出体験もするし、今年は介助者を使いながら実際に料理をつくってみる「障害者のための料理教室」も連続プログラムとして組み、なかなか好評であった。
 次回は、すでに自立生活をしている仲間の住居に宿泊し、先輩の生活ぶりをつぶさに見ながら、自分自身も介助者を使って一晩過ごしてみるという「ホームステイプログラム」も実施する予定である。
 こうしたプログラムをとおして実際に自立生活を始めた仲間の多くに対しては、「静岡障害者自立生活センター」の介助派遣部門が介助派遣のサービスを行っている。両者のサービス部門の連携がうまくとれて初めて充実したサービスが提供できるわけであるが、なかなか思い通りにいかないのが現状である。

車いすの市議会議員誕生

 この1年の、静岡の自立生活運動をとりまく動きのうちでも、最大のトピックと言えるのが、「静岡障害者自立生活センター」の代表であった私が、静岡で初めての“車いすの市議会議員”となったことである。私は24時間介護を必要とし、人工呼吸器を使用する重度の障害者でもあり、そんな私が車いすで市議会に乗り込んだことは、さまざまな点で静岡の市政に波紋を投げかけている。
 今後は「静岡障害者自立生活センター」と議員の活動とをうまく連携させながら、これまで以上に静岡の福祉行政に深くかかわっていきたいと思っている。

(わたなべまさなお 静岡障害者自立生活センター)