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二千年紀の自立生活運動の視座

中西正司

1 日本の状況

 1986年自立生活センターの第1号であるヒューマンケア協会を立ち上げたとき、二つの目的を立てた。その一つはこれをモデルとして日本中に数多くのセンターをつくること。二つめはそれを力にして自立生活センターを国の制度として確立し、全国どこでも自立生活センターが当事者中心に運営できるようにすること。
 これらの目的を達成するため障害者が完璧に運営の責任を負えることを社会に知らしめる必要があった。そのため障害種別と地域の境界を越え、有能な人材を集めた。そして自立生活プログラムを開発し、それをマニュアルに仕立てあげ出版し、実績を広報した。またピアカウンセリングを開発し、全国で講習会を開催し、ピアカウンセリングブームを障害者の間だけではなく健常者の間にもつくりあげた。ほとんどの障害者が学歴がなく、それにもかかわらず地域の当事者支援においては専門家であるという位置付けを社会的に認めさせるために、ピアカウンセラーという新しい言葉を意図的に使い、従来の身障相談員との違いを明確にした。3年後にはこの言葉は新聞紙上でも使われ出し、厚生省も使い始めた。
 そしてついに10年後の1995年には、厚生省から自立生活プログラムとピアカウンセリングを必須事業とした新規事業を始めたいので協力してほしいとの相談があり、市町村障害者生活支援事業として実を結んだ。現在、自立生活センターは全国に85か所となり、全国自立生活センター協議会が職員研修や新規センターの運営協力をしている。

2 世界の状況

 1999年9月21~25日、ワシントンDCで世界50か国から障害者のリーダー100人以上を集めて、歴史上初めての自立生活運動の世界会議が開催された。自立生活センターの世界連合がついに完成したのである。この会議を開こうとしたきっかけは、98年11月に、日本で開かれた全国自立生活センター協議会が主催した自立生活フォーラムにおいて、ジュデイ・ヒューマン氏も参加して自立生活センター世界ネットワークの結成が決議されたこと、カッレ・キョンキョラ氏、アドルフ・ラッカ氏からも同じころジュデイ氏のところに同様の提案があったことによる。自立生活運動がアメリカで始まってから30年、今やアメリカに400、日本に85、カナダに18、イギリス、ドイツ、フィンランド、スウェーデンヘと広がってきたことは、世界ネットヘの機運が熟し始めてきていたと言える。
 この30年間に自立生活センターが達成してきた成果は偉大である。アメリカにおいては1978年、いち早くリハビリテーション法504号法案を強烈な運動の結果勝ち取り、自立生活センターを国に認めさせた。そして1990年、世界で初めての障害者差別撤廃法であるADA法を提案し成立させた。現在は政権の中枢に多くの障害者リーダーたちが参加し、まさに国を動かし始めている。また国のメディケアの介助サービスの委託を受ける自立生活センターが増えてきている。カナダでは81年のDPIの成立後、自立生活センターが生まれ、89年に自己管理介助料直接支給法(セルフマネジドケア・ダイレクトファンディング)を各州で成立させている。イギリスではコミュニティケア法の中に介助料直接支給法(ダイレクトペイメント)をつくらせ、自立生活センターが地方自治体への普及事業を国から委託されている。スウェーデンでは、当事者アセスメントによる自己管理型の介助サービスが介助利用者協同組合の支援によって行われてきて、すでに14年になる。

3 自立生活センターの課題

 日本においても介護保険の施行により障害者の介助サービスがどう変わるかが注目されている。我々の主張する自己管理型介助料直接支給方法が採用され、自立生活センターがその支援組織として国の委託を受ける可能性がある。すでに地域での不可欠な障害者の介助サービス組織として、ホームヘルプサービスの事業委託を受けている自立生活センターも多い。
 この状況は世界中共通している。日本の自立生活センターは、すでに世界第2位の力をもつまでになっており、その抱える問題も先進的である。自立生活センターが行政の障害者施策の中で不可欠なファクターとなるのに伴って、当事者主体の理念と運営とは齟齬をきたさないのかという問題も起こる。職員をたくさん抱える自立生活センターは、継続的な運営資金を必要とする。一方、障害者の権利擁護をするためには行政の立場とは異なる地点に立つこともありうる。当事者主体の理念が行政の施策理念に一致するまで運動の力を強められるかが、この鍵となる。また自立生活センターが、その運営の必要性から障害者の敵に立つようなことはないのかという問いがある。この問題に対しては、運営委員の半数以上が障害者であることという運営規約があるため、自分たちの利益にならないことを自立生活センターはしないという安全策がすでに講じられている。

4 21世紀への展開

 今、自立生活センターは世界中の都市に落下傘降下したような状態である。その回りにある福祉資源は、すべて医療モデルと言われる当事者を対象者としてとらえるものばかりである。障害当事者が発想、立案、運営のすべてを担っているものは皆無である。次の10年ですべての福祉サービスの立案、運営を当事者主導に変えていかねばならない。そのためには、これまでのサービスをすべて見直すことから始めなければならない。各国の事例から見て、既存施設職員の地域ケア部門への配置転換を含め現実的な移行策はある。

5 アジアへの展開

 日本の自立生活センターはここ数年でアジア各国への支援を強めてきている。1998年に韓国ソウルで200人を集めて行われた自立生活セミナー、そこで選ばれた20人に対して1週間行われた自立生活プログラムリーダー研修、99年にはその中から男女2人が日本の自立生活センターで1週間の研修を行った。今年はさらに韓国の広州、釜山、済州の三都市で自立生活セミナーを行い、韓国障害者の日本研修も行う。
 99年にはタイのバンコクとマレーシアのクアラルンプールでも自立生活セミナーと自立生活プログラムリーダー研修を行った。
 一方、DPIアジア太平洋ブロックでは加盟各国への自助組織の育成と自立生活理念の普及を行動方針に掲げている。99年5月にはラオスで全国組織が発足し、ベトナムでは今年発足が予定されており、その際自立生活セミナーも行われる。ワシントンのILサミットでも、アジアでIL理念は適応できるのかという疑問が呈されたが、自立生活とは生存の問題であり、どんな国にも適用できるとの主張が受け入れられた。
 今アジアは、施設中心の福祉制度を選ぶか、それともこのまま地域の当事者組織を育成し、それを核に地域ケアのシステムをつくりあげていくかの岐路に立っている。先進国においては、これまでリハビリテーション施設と入居施設の建設と運営に人材と予算が投入され続け、この流れを地域ケアに向けるためにどの国も大変な苦労をしている。知的、精神、身体のどの障害者も本来地域で暮らせる社会資源があるなら地域で暮らしたいに決まっている。家族も他に選択肢がないのでやむを得ない選択として施設を選んでいるに過ぎない。こんな苦労をアジアの諸国で障害者に味わわせてはならない。この30年間自立生活運動はこのために日々闘っていると言っても過言ではない。

6 CBRと自立生活センター

 アジアにはまだリハビリテーションも行き渡っていない地域が多い。そこに専門家であるPTなどが派遣されていくタイプのCBR(地域に根ざしたリハビリテーション)が広まろうとしている。これに反して、スリランカのパドマニメンディス氏は、地域に障害者自身の運営する自立生活センターのような組織があって、それが中心になってCBRを運営していくのが理想であると述べている。当事者が中心に立たない地域福祉システムは長い視点で見れば、必ず利用者から拒否される結果を生む。医者を含めた専門家が福祉サービスの利用者に対して、指導者の立場から支援者の立場に立ちかえり、利用者も専門家の権威にすがらず、主体性をもって専門家の情報から自己選択し、自己決定する福祉サービスに21世紀は変えていかねばならない。そのためにもこの機会に、アジア諸国で当事者組織の設立に向けて支援を強め、確固とした地域ケアの拠点をつくっていきたい。

(なかにししょうじ ヒューマンケア協会代表)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2000年2月号(第20巻 通巻223号)