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成年後見制度の評価と活用
-知的障害者の視点から-

長谷川泰造

1 はじめに

 知的障害関係の知人から、ヨーロッパでは、何でも民法の改正が論議されており、それが知的障害者福祉と関連している、と聞かされたのは十数年前のことである。わが民法の無能力者制度が使いものにならないものであることは、法律実務家なら、皆承知しているところであったが、これを「成年後見制度」ととらえ、障害者福祉サービスの一環としてとらえる考え方は法律家の発想からは出てこない。だが、当時の精神薄弱者福祉法のあいまいな保護者概念に疑問を感じた者は、当然ながら民法の後見制度に着目すべきであった。

2 改正民法の成年後見制度の評価

 障害福祉の制度として望ましい介護サービスとは何か。最も問題となるのはいつも知的障害者である。なぜなら彼らには介助器具ではなく介助人が、しかも意思表示の介助人が必要とされるからだ。家族がおり、この点の介助に問題のないケースはよいとして、家族のいない人、身内に介助者の引き受け手のない知的障害者には、だれが本人を代理して意思表示を行えるのか。
 現場に詳しい専門家は研究を重ねた。そして、諸外国がこの問題を公の問題としてとらえ、パブリックガーディアン制度をすでに発足させているところから、当然こうした成年後見法を予想した。
 だが、今回の改正民法は家族法の城を出ていない。公後見人のコの字もそこには存在しない代物である。よって、知的障害者福祉の分野からみれば、その評価は30点というところである。

3 活用できる点

 今回の改正成年後見法のうち、知的障害関係者にとって使えるシステムは、補助と法人後見人くらいのものだろう。
 まず、「補助」の制度は、従来は対象とされなかった軽度の知的障害者の世話が可能となったものとして評価し得る。
 次に、法人後見人をうまく使えばパブリックガーディアン制度の実現も夢ではない。家裁を関与させて各地の先進的社会福祉法人が、法人後見人として名乗りをあげ、現実に実務を行ってしまえばよい。
 具体的に例示しよう。
 施設で暮らしている(または地域で親と生活していた)知的障害者がいる。親が死亡し、本人と兄弟が自宅を相続した。遺言はない。情報をつかんだ施設(地域生活の場合は福祉事務所のケースワーカー)は本人の親族、たとえば叔父、叔母、いとこに働きかけ、後見開始の審判を申立てさせ、後見人として県や市の法人格のある親の会、さらには、社会福祉協議会や弁護土会を候補者として推薦させる。親族がいないまたは断られたときは市町村長に申立てさせる。家裁の審判が下りたら、法人後見人が本人の自宅を改造し、グループホームとして利用し、本人の兄弟には、相続分に相当する賃料を分けてやればよい。また、グループホーム生活に適さない場合は、自宅を処分して本人の相続分を法人後見人が管理、本人のために使用すればよい(本人は施設入所する場合が恐らく多かろう)。
 右は重度の知的障害者で後見開始に適する場合だが、知的障害の程度がそれほどでなく、保佐や補助の類型にあたる場合も基本的には同様である。本人の給料、年金、その他財産管理につき本人の介助が必要であれば、家裁の審判を経て本人に最も身近で、利害関係の少ない法人が法人保佐人、法人補助人として対応すればよい。
 地方によっては適当な法人がないところも多かろう。そんな地域は、何も社会福祉法人や社団法人といった、設立に面倒な手間のかかる法人をつくる必要はない。熱意のある弁護士や親を中心に有限会社でも設立し、目的を知的障害者の財産管理と人権擁護とうたって重度障害者の後見人となったり、軽度障害者と契約を結んで財産管理を行えばよい。
 こうしたことは現在でも行えるし、行っているところもあると思う。だが、新しい法の下に、家裁によって選任された法人成年後見人としてオーソライズされれば、だれにはばかることもなく介助ができるのである。無論、経費は本人の財産から支出されてしかるべきで、本人も自分の財産に応じた相応の生活ができることになろう。
 問題は家裁が、パブリックガーディアン制度に理解を示してくれるかである。いくら新法が法人後見人を認め、現場の人たちがやる気を出しても、肝心の審判機関の家裁が、後見は親族の問題、といった態度に終始すれば、新しい制度は機能しない。
 その意味で、昨年10月に発足した、社協中心の地域権利擁護事業や、東京、大阪の弁護士会が開設した財産管理中心の各センターに注目せざるを得ない。

4 おわりに

 世界中の成年後見システムを見て最も理想的な制度は、カナダのオンタリオ州の代行決定法であると思う。そこには、本人を支援する社会的資源が十分に存在することを前提に、後見人の権限を「本人に知的障害なかりせば本人がなすであろうすべての行為」と定めている。何とわかりやすく、何と本人本位の、何と力強い法規であろう。
 わが国の知的障害者の権利擁護事業は、始まったばかりである。

(はせがわたいぞう 弁護士)