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ほんの森

松兼功著
ショウガイ ノ チカラ

〈評者〉花田春兆

 ショウガイとワープロで打つと、障害・生涯・渉外・障碍・傷害などという文字が浮かび上がってくる。
 私の場合は使用頻度の関係で、障害が一番先に出てくるのだが、人によって浮かんでくる文字はそれぞれに違うだろう。カタカナの書名は、そのどれからでもアクセスしてくださいとの誘いなのだ。
 クイズ風に文字遊びしてみれば、生涯を障害で過ごすには渉外の力が必要だし、その渉外は生涯を通じて障害をエネルギーにした力に支えられる、となるのも一興。
 文字遊びなんてのんき過ぎるという人も多そうだけれど、世の中どうも“ゆとり”がなさ過ぎるのではないかとも言いたくなる。
 著者は必要以上にダイエットに走る女性たちに、体を無理に痩せさせることが、心を痩せさせ、精神を貧困にさせてしまうのだ、と警告している。
 好みから言っても私も大いに同感なのだが、“ゆとり”などもち出すといかにも恵まれた人という印象を与えかねない。
 だが、-お酒はストローで、ラブレターは鼻で-と自分で興じられるまでの試行錯誤と努力、言語障害がもたらす言いようもない深刻な悲喜劇。不遇の押し売りを好まないだけのことだ。
 恵まれているとすれば、-積極的なあきらめ-、-挫折をプラスにかえる潜在的な工ネルギー-、-違いを越えて心を結び合う“人生の共通項”-と自ら記しているような、心の強さであるに違いない。
 言語障害という大きなハンディを負いながら、それだからこそなお渉外の力にウエイトをかけようとする著者。
 渉外とはもちろん外部とのつき合いなのだから、ショウガイとは離れてしまうのだろうが、当面の相手とか周囲の人々とどう付き合うかが問題なのは言うまでもないとして、私たち障害者は、障害をもつ自分との付き合い方を会得しなければならない。
 その点、著者はその付き合いにも緩急自在、ときに厳しく、ときに甘やかし、絶妙の自由さを発揮してみせる。
 それはアメリカに始まり、韓国、モンゴルと舞台を広げても、常に身近な問題として受けとめているのと、相通じていよう。
 などと少し堅くなったが、車いすの身でありながら、階段だけの地下の飲み屋の常連という著者の、その自由さに向き合って一献傾ける気持ちで、楽に読むことをお勧めしたいエッセイ集だ。