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ケアについての一考察 第6回

聴覚障害者には疑問の介護保険

中園秀喜

 介護保険が今月より適用になる。簡単に言えば、高齢者で介護を必要とする人に「歩けるか」「1人でトイレに行けるか」など85項目の調査をしたあと5段階にランクづけして、その点数によって必要な介護を受けられるようにするというシステムだ。しかし、私たち聴覚障害者はどうなるのか。ほとんどの聴覚障害者は「聞こえないことを除いたら後は問題なし」と言われてしまう。おかしいのではないか。
 介護保険には、二つの問題があると思う。一つはこの判定には医師など5人が立ち会うことになっている。この判定がどのような形で行われるのか。たぶん、判定者は聴覚障害に関する知識はゼロに近いだろう。聴覚障害者のコミュニケーション手段については多様な方法があり、個々に応じた方法が必要ということをご存じだろうか。
 専門家であると思われている医者ですら、聴覚障害者=手話だとか、補聴器をかけている人を見たら大声で話せばよいだろうという程度に考えている人もまだまだ多い。理解不足のために、障害が軽視される恐れが強いと感じている。専門家だから大丈夫だとは信じがたい。こうした誤解は「シルバーハラスメント」となり、調査や介護を受ける人たちの尊厳を傷つけることになる。
 厚生省の発表によれば、加齢とともに聞こえなくなった人が全体の64%以上を占めている。ところが厚生省は70デシベル以上の人を聴覚障害者と認定している。その数は約35万人。しかし、WHO(世界保健機構)ではこれより軽い40デシベル以上の人を聴覚障害者としている。世界的には人口の平均5%が聴覚障害者と推定され、日本では約600万人と推定される。2050年には800万人に増加するという予測もある。
 障害の種類によって聞こえ方も違う。特に高齢者の場合は感音性難聴がほとんどである。程度の差はあるが、感音性難聴の人は、音を大きくしても言葉が聞き取りにくく、話の内容までは分かりにくい。そのため、それをカバーするためのコミュニケーション手段が必要になる。これには、補聴器、筆談、読話、手話、盲ろう者向けには振動伝達などの方法がある。
 マスコミでは聴覚障害者=手話という図式ができているように思える。しかし、厚生省が平成8年に実施した実態調査では、身体障害者手帳を持っている聴覚障害者のうち手話ができる人は約17%だと判明している。残りの約83%の人は手話を習得していない。個人的には手話は良い方法だと思うが、特に高齢の聴覚障害者の手話の習得は難しい。
 聴覚障害者の中には、手話しか理解できない人もいれば、逆に書き言葉しか理解できない人もいる。さらに、同じ手話でも日本語の文法に対応した手話や、独自の文法をもった手話もある。周囲の人しか理解できない身振りのような手話もある。社会にはさまざまな聴覚障害者がいることを頭に入れておいていただきたい。
 2番目の問題としては、一般的に聴覚障害者は行動上の制約はないので、肢体・視覚障害者よりは軽い障害と思われがちなことである。しかし、聴覚障害は音声情報やコミュニケーション面での情報障害である。情報障害から二次的に引き起こされる行動面の制約や、尊厳を傷つけられるといった心理的影響などの困難はずっとつきまとう。
 聴覚障害は、他の障害とは比較する基準が違うのだ。肢体不自由者などの行動上の制約は、物や建物などハード面を整備すれば解決できる面が多い。だが情報障害は物や建物では解決できない面が多い。言ってみれば、面積、勾配などを計るメートルと情報量を計るビットの違いなのだ。
 あえてもの申す。言い方は悪いが、寝たきりの人も聴覚障害者も火事にあう可能性はどちらも同じだ。その時、寝たきりの人は火災に遭遇して動けないで焼死する恐れがあるように、聴覚障害者は火災を告げる非常ベルの音が聞こえなくて焼死する恐れがある。生命に危険があるのはどちらも同じだ。命にかかわらずとも、生活の面で不利益や精神的な苦痛を受けることも多い。行動できるかどうか以前にもっと大事な、生命の危険や人間の尊厳が考慮されていないと感じる。これまで聴覚障害者の尊厳はほとんど無視され続けてきたのだ。介護保険が国民の税金を使って実施する以上、だれもが納得する公平な方法で検討されなければならない。5年以内に障害者と介護保険の関係が見直されるようだ。この機会に、人間の尊厳にかかわる情報障害の問題を見つめ直してほしいと思う。

(なかぞのひでき 株式会社ワールドパイオニア代表取締役)