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ケアについての一考察 第7回

盲ろう者の通訳介助者は
信頼関係が基本

吉田正行

 今、私の目は光を失いつつあります。
 16歳の時、結核にかかり、この治療に使用した薬の副作用で音を失いました。そして25歳の頃、目に異常を感じ、眼底検査を受けた結果「網膜色素変性症」と診断されました。この病気は原因が不明で、だんだん視野が狭くなる病気であることや、治療の方法がないことを説明されました。
 音に続いて光も失うのです。「死を告げられる」とは、こんなことなのかもしれませんね。現在48歳。右目は物を捕らえる力はなく、左目は500円硬貨程度の視野が残っているだけです。白内障も始まり、その視力は弱いものです。
 私のように目と耳に重複障害をもつ身体障害者を「盲ろう者」と言います。
 私は、被災が最も甚大だった神戸市長田区で、一人暮らしをしています。阪神淡路大震災をきっかけに、私は今「自立と社会参加」に挑戦しています。盲ろう者が社会参加をするのです。家の中にいては何も知ることはできません。
 では、街に出てみましょう。まず、歩道がない。あったとしても狭い。さらに、この狭い歩道の中央に電信柱が立っている。私はこいつに額をぶっつけて何度も血を流し、痛い目にあいました。溝には蓋のない所もあり、駐車違反と不法駐輪に泣かされています。途中で方向が分からなくなって、街行く人に道を尋ねましたが、同じ日本人なのに話が通じません。やっとの思いで目的地に着けば、階段ばかりでスロープがない。トイレに行こうとしたら、障害者用は2階。それで2階に行ったら、障害者用は使用中。待っていると、中から出てきたのは健常者。冷や汗をかいて用を済ませた後、聴覚障害者の事務所に行くと、情報不足で「今日は休み」で閉まっている。
 私たちの世界では、このようなことが日常茶飯事で毎日のように発生します。情報の入手と移動の自由は、盲ろう者の切実な願いです。それを可能にするには、通訳と介助が一体にできる「通訳介助者」が必要不可欠です。
 「通訳者」と聞けば、皆さんはどのようなイメージをもつでしょうか。TVで、同時通訳をしている通訳者や、外国から来られた人への通訳、それに手話通訳を思い浮かべることでしょう。
 では、盲ろう者への通訳介助者は、何をするのでしょうか。
 一般に「通訳」とは、「音声言語」の通訳を意味します。しかし、盲ろう者への「通訳介助」は、おおよそこの世の中にあるものすべてが、通訳の対象になるのです。盲ろう者は、通訳介助者からコミュニケーション支援と自立更生支援を受けて、自立と社会参加をします。他者と交わるにも、新聞を読むにも、移動中であっても、通訳を受けて社会のことを知ります。この通訳介助の方法が、盲ろう者一人ひとりによって異なります。
 盲ろう者は、視覚障害者でもなく聴覚障害者でもなく、全く独立した多様なニーズを抱える障害者です。私たちが開催している「盲ろう者向け通訳介助者養成講座」では、盲ろう者の概論・疑似体験・現在考案されているコミュニケーション手段(指点字・触読手話・指文字・手書き等)の技術・介助の基礎を学びます。
 盲ろう者と通訳介助者のかかわりで、一番大切なのは「信頼の形成」です。信頼関係を築くためには、盲ろう者とかかわりをもち続け、交流を重ねていく必要があります。盲ろう者と通訳介助者が連携することにより、盲ろう者は移動の自由が図られ、多くの他者と交わることができるようになります。そういうことで、盲ろう者の思考による判断が現れるようになります。そして通訳介助者の支援を受けつつ、自らの改善を加えることによって、自立と社会参加が促進していきます。通訳介助者は、「通訳介助者の思考や意思が働かないように」最大の注意を払って通訳します。感情や雰囲気のつかみにくい盲ろう者に、相手の表情や会場の雰囲気も伝え(通訳)ます。だから、人の温かい心に触れることができるのです。
 通訳介助者は、そんな「パートナー」であってほしいと願っています。

(よしだまさゆき 兵庫盲ろう者友の会会長)