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ワールドナウ

アメリカ
キャンパスから見えるアメリカ

林令子

 サンフランシスコ州立大学はその名のとおりカリフォルニア州サンフランシスコ市の南西に位置し、アメリカ障害者自立運動発生の地であるバークレー市から車で約30分のところにあります。その大学の社会福祉学部でこの3年ほど働いている経験から、障害者に関する状況と課題をいくつか紹介したいと思います。
 いろいろな人種の住んでいるカリフォルニア州、その中でもサンフランシスコ市は種々多様な住民の存在で知られています。サンフランシスコ州立大学の社会福祉学部は人種、性別、国籍、性的指向(同性、異性、または両性愛であること)、そして障害の有無による差別を禁止しています。私の学部の学生も黒人、白人、アメリカ先住民、アジア人、メキシコ系、中南米系、そして混血の人たちと色とりどり。先祖代々ここに住んでいるという人から、数年前に命からがら独裁政権の国から亡命してきたという人までさまざまです。ゲイの人もいれば、障害者もいます。自分自身の経験や家族の歴史に基づき、学生は一般的に、社会差別に対して高い問題意識をもっています。
 この3年間に、脳性マヒで言語障害のある人、交通事故による脳障害のある人、車いすの人、学習障害(LD)のある人、視覚障害者、聴覚障害者、免疫疾患のある人、労働災害によって身体障害者になった人などが障害のない学生と一緒に私のクラスを受講しました。

障害者リソースセンターの活動

 大学には障害者リソースセンター(DRC)と呼ばれる部門があり、障害のある学生への援助を行っています。たとえば、聴覚障害のある学生のためには手話通訳者がクラスに配置され、試験を受けるとき静かな部屋を必要とするLDの学生のためには、クラスメートとは別の部屋と試験監督者が用意されます。教授陣の教育もDRCの仕事です。教授を対象とする障害に関する勉強会を開催し、また各教授に対し必要な援助の要請を行います。学期の初めに、教授たちはDRCから援助要請の手紙を受け取ります。たとえば、視覚障害のある学生が登録したクラスを受け持つ教授は、黒板に書く時には声を出して読むようにと要請されます。

障害研究所と車いす連合

 DRCのほかにも障害者関連の組織が学内にあり、学生だけでなく社会、世界での障害者のアクセス推進のために活動しています。
 そのひとつ、障害研究所(Institute on Disability)は歴史学教授ロングモア博士が所長を務め、自立生活の観点から学内外の教育活動に携わっています。ジョージ・ワシントンに関する歴史の専門家であるロングモア教授は、ポリオによる障害者であベンチレーターの使用者でもあります。また、教授は、障害学の先駆者の一人でもあります。彼の下でカウンセリング学部、特殊教育学部、教育学部、芸術学部など専門学部の枠を超えた障害者と健常者の教授や学生たちが学内外にむけたイベントを企画実行しています。その中には、介助者資格取得にむけたクラスの開講、自立生活に関する講演会、障害者差別抗議のデモ、障害者関連政策に関する声明の発表などが含まれます。今年の3月には「障害、性、文化」と題する国際学会を大学構内で共催しました。
 工学部にある国際旋風車いす連合(Whirlwind wheelchair international 以下、車いす連合)は、その名のとおり国際的な活動をしています。所長のホチキス博士は車いす使用者で、彼の指導の下、車いす連合は発展途上国での車いす生産の援助を行ってきました。発展途上国の障害者は、先進国で開発された車いすを購入する財源がありません。また、先進国の舗装された道路状況を前提に作られた車いすは、無料で進呈されたとしても、発展途上国では役に立たないことが多いのです。車いす連合は発展途上国の障害者をサンフランシスコに招き、また世界各地を訪問して車いす作りの講習を行っています。障害者自身が機械工の技術を取得し、地元で車いす製作所を開き、地域で手に入る資材を使って、軽く、安く、性能が良く、長持ちする車いすを作り、そして地域で自立していくことが車いす連合の目標なのです。
 以上のように述べると、アメリカの大学は日本の大学より、障害者に対しずっと進歩的であるという印象を与えるかもしれません。しかし、この状況ははじめから存在していたわけではありません。ここ30年以上にわたる学内外の障害者による草の根市民権運動によって、地道に勝ち取られてきたものなのです。

訴訟を起こした障害のある学生たち

 その草の根市民権運動の成果として、障害者の基本的人権を確立した「障害のあるアメリカ人法」(ADA)が1990年に制定され、大学もその規定を満たすよう定められています。実は昨年、障害のある学生たちがサンフランシスコ州立大学を相手取って訴訟を起こしました。ADAが制定されてから9年もたつというのに、障害者のアクセスを推進する大学側の努力が十分でないというのが理由でした。
 大学のビルの中には車いす用トイレがないところがある。エレベーターの付いていないビルがある。化学の実験台に車いすで使用可能なものがない。視覚障害者用のコンピューターの設置が遅れている。学内バス運行の時間帯が不定で、クラスヘの遅刻を余儀なくされている。DRCの資金不足のためサービスの時間が限られているなどなど、学生の不満が噴出したのです。大学側は非を認め、改善を約束したため、訴訟は取り下げられました。
 ADAがあってもその施行を怠り、妨げようとする動きも社会には強く、ADAの精神を現実のものとしていくための活動が続けられています。

まだまだ残る差別意識

 また、ADAがあるからといって、人々の心の中にある差別意識が消えてなくなるわけではありません。社会福祉学部の教授の中にも、障害者を医療や福祉の対象としてしかみることができない人がいます。障害者を学生として、同僚として、主体的な人間として受け入れることに対する抵抗がまだ存在してます。
 冒頭で、当学部の学生は自らの経験をとおして差別に対する問題意識が高いと紹介しました。しかし、自分が差別された経験があるからといって、他の人の経験する差別に対して理解があるとは限りません。たとえば、アジア人の学生は人種差別による痛みを経験し、強い反人種差別意識をもっているかもしれませんが、障害者差別やゲイの人々に対する差別にはまったく無理解かもしれません。白人の男性障害者は、障害者差別への問題意識は強くても、女性差別や人種差別については無知であるかもしれません。障害者同士でも、身体障害のある学生が、目に見えない隠れた障害(免疫疾患、神経障害など)をもつ人に偏見をもっているかもしれません。

まとめにかえて

 自らの痛みから差別の存在に目覚め、その状況の改善を目標に学位取得をめざしているとしても、自分の痛みだけに止まっていては発展がありません。どのグループがいちばん差別に苦しんでいるかといった被差別者の地位獲得競争に陥ってしまい、他の差別の存在を軽視するようでは、本当に差別のない社会をめざしているとは言えません。私のクラスでは学生たちに、内なる差別意識、差別を温存する社会構造と国際関係について問題提起し、どのように障害者差別を含めたすべての差別のない世界をめざして行動していくのかという討論を行っています。
 アメリカでは、障害者の草の根市民権運動が奮闘を続け、その指導者の一部が政府の重要な役職に取り上げられ、障害者の人権擁護のための法律の制定と施行に携わっています。その一方、まだ多くの障害者が人間としての当然の権利さえ無視され続けているのも事実です。
 私が大学で出会う障害のある学生たちは幸運な人たちだと言えるでしょう。他に行くところもなく養老院に入れられて、職員が介護しやすいからと裸のままベッドに放置されていた30代の身体障害者の話、隔離された作業所での知的障害者への性的虐待や低賃金搾取の話などを耳にします。
 ADAがあるからといって安心してはいられません。権利は与えられるものではなく闘い取っていものであると言います。障害者の基本的人権擁護に向けた闘いを、大学で、法廷で、政府組織で、施設で、職場で、地域で、これからも続けていかなくてはなりません。

(はやしれいこ サンフランシスコ州立大学・社会福祉学部助教授)