音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

座談会
夢の実現! 職業の可能性を探る

 だれでも人は自分でしたいこと、やりたいことがある。「好きこそものの上手なれ」というように、好きなことは長続きする。障害があるから「ダメ」ではなく、本人の希望があれば、その実現を支える発想が大切ではないだろうか。
 今回の座談会では、本人の希望を尊重した就労支援に取り組んでおられる方々にご出席いただき、「本人の希望があれば、その夢は実現する」という取り組みと課題を語っていただく。

出席者(50音順)
栗林茂 東京都立王子養護学校教諭
関宏之 大阪市職業リハビリテーションセンター所長
高林昭子 足立公共職業安定所
前野哲哉 大阪市障害者就労(雇用)支援センター就労支援ワーカー

知的障害者の働く場が広がってき

編集部

 お忙しいところ、お集まりいただきまして、ありがとうございます。今日は障害のある人たちの就労支援について、お話をうかがいたいと思います。よろしくお願いいたします。
 さて今、知的障害の人が働く場が広がっていますが、その理由は何でしょうか。

 まず制度的なことがありました。企業側は障害者雇用率である1.8%をどう満たすのかという課題を抱えています。また、働く側からすれば、就労するということは、身体障害の場合「サラリーマン」になることだったのですが、知的障害の場合には、これまで支援する側も製造業しかない、と思ってきました。しかし最近は、いろいろできるじゃないか、という支援者側の意識に変化が出てきたことが一番大きなトリガーではないでしょうか。

高林

 そうですね。まず支援者側の意識が変わってきました。たとえば、企業では、「知的障害者は計算ができないから難しいですね」と今まで私たちが思っていたようなことを企業側も言うわけです。そのとき、具体的にそれはこの仕事とあの仕事をまとめて一つの部署にしてくれればこの人は働くことができるんですよ、と企業にお願いすると、企業側もこれまでの見方を変えてくれることがあります。そうやって少しずつ働きかけています。やはり支援者の意識が変わってきたからこそ、少しずつ働く場が広がってきたかなと思います。

栗林

 身体障害の場合、都会ではスペース確保の問題があります。たとえば、車いすの場合、階段しかない企業はビルにエレベータを設置したり、駐車場をつくったりということを考えると障害者雇用に踏み出せなかったけれども、知的障害の人にはそういった面のハンディがないので、そのまま普通の職場に入りやすい。彼らは、今までは仕事はないと思われていたけれど、いろいろ探してみたらできる仕事があるんじゃないかと、企業のほうの見方も変わってきました。支援者も企業もお互いに考え方が変わってきたことでしょうね。

 でも、まだまだほんの一部ですけどね。

夢の芽生えを大事に

 本人たちは、本当はこうなりたい、ああなりたいと思っているんでしょうね。大きな夢があったけれども実は支援者たちが「これ以外にない」と言ってきたところはないのでしょうか。

栗林

 ありますね。「君にはここが合っているよ、こういう職業が向いているよ」という私たちの勝手な思い込みがあったと思います。私たちのほうも、就職をさせなければ!とあせって急ぎすぎていたところがあったと思いますね。

 それはすべての障害に共通で、たとえば身体障害の場合、見えなければ見えなくていい仕事、肢体不自由の人は立ってなくてもいい仕事、聞こえない人は聞こえなくてもできる仕事を、と「疾病」に焦点をあてた就労先を見つけてきて、そのとき本人の意思は置いてきているわけです。

前野

 私は、本人が夢を見るとか、夢を実現させてほしいと、自分の思いを表すのは難しいと思うんです。彼らも自分でそう思っているところがあって、それは支援者からの押し付けが原因になっていて「そんなアホなこと言わんときや」と言ってしまって本人も黙ってしまう。たとえ「何言っとんねん?」という話でも、それに少しアレンジしただけで形になったりするようなことがけっこうあるような気がするんです。芽生えみたいなもので、ふだん言っていることを大事にして生かす、という支援者側の意識が変わってきているせいもあって、いい事例が増えてきているのではないでしょうか。
 たとえば、場面緘黙の人で家ではよくしゃべるんですが、外ではしゃべらない。相談に来られたときは、一言もしゃべらない。でもにこやかでとにかく就職したいということは確実に表現ができる。メモで表現するんですが、最初に来られたときは、そういう手段もなかったんです。ただ言いたそうにしてるので「言いたいことがあればメモに書けばいい」とメモ用紙と筆記用具を渡したら、書くようになりました。そのうち自分でメモ用紙を用意してきたり、ペンを持ってくるようになったんです。こちらから問いかけて聞き出すというシチュエーションが多くなってきたのですが、入校して1か月くらいたって本人から「自分はここ(センター)に就職しているのではなかったか?何でそんなに就職のことを言うのか。それは再就職のことか」という質問があったんです。やっぱり、コミュニケーションには気をつけていかなければいけないと感じました。そのことは本人にも自覚してもらう必要がありますね。
 この人はやりとりの中から、大手の事業所の総務のようなところで働きたいという希望が出てきたんです。彼はセンターでパソコンのコースを受けていて、自分も当時テレビではやっていたドラマに出てくるような会社で働きたいと思ったようでした。最終的には、大手の会社に就職できました。自分から一番コミュニケーションが必要とされる部署に行きたいと希望があったので、コミュニケーション手段はメモを中心にしたり、笑顔がいいのでそれを誉めて、本来の力が出せるようになったのです。

眠っている夢を掘り起こす

 私のセンターでは、ちょうど2年前から知的障害のある人たちを対象にしたコンピュータのコースをはじめたので、そういう要望にも答えられるようになってきました。こちらが変わっていくことが重要ですね。王子養護学校の場合は、基本的にみんなで要望を聞いて、そこから職場開拓をされるというスタンスがいいですね。何年くらい前からこういった取り組みがなされるようになったのですか。

栗林

 13年ぐらい前からでしょうか。知的障害のある生徒は、夢をしっかり言い表したり表現することが、なかなか上手にできない人が多い。私たちとしては、彼らにできるだけわかりやすく、職業に関する情報を噛み砕いて提供しながら、彼らの夢を掘り起こしていく、ということを大切にしているわけです。だから職種のことも「製造業」や「サービス業」という言い方ではなく、彼らがイメージできるように「ものを作る人」「人の世話をする人」と彼らの表現に合わせて、彼らが選べるようにしています。7年くらい前ですが、「人の世話をする仕事」という分類をつくったんです。そしたら四肢の体幹機能障害のある生徒が「私はこれをやりたい」と言ってきました。「人のお世話をするというのは、どんな仕事をやりたいの」と聞いたら、保育園の先生になりたいと言って、当初はとても困りました。でも言った以上、実現させなきゃいけないと、必死で進路担当がアタックしました。保育園の園長先生に「お世話されるほうじゃないの」と言われる中、保育園は難しかったので特養老人ホームで実習してもらいました。そしたらそれなりに満足してもらえましたね。最終的には、障害児保育に理解のあるところに就職できました。もう7年くらい仕事をしています。仕事の内容は、実際は保母の資格がないので、朝はまずおもちゃ拭き、おしぼりの洗濯、給食の準備、ふとん敷きをしてというようにこまごましたことをやっているようです。ご飯を食べたあとに子どもと一緒にお昼寝の前にお話を聞くわけです。そうすると子どもより先に寝ちゃった、ということもあるようですが(笑)。その生徒は、なかなか希望を言い出せなかったし、“働く“というイメージをもっていなかったから、こういう形でも働けたことはよかったです。こういう支援のあり方が、彼らの新たな社会参加の扉を開いていくことになるんじゃないかと思います。

みんなが夢をもつ

 学校卒業後は、前提として施設を選ぶか働くか、という選択をさせますが、そういった選択の強要には疑問がありますね。今までは、働くためにはADLや作業能力がどうかという、本人の体の状態や知的状態をみて決めていました。でも夢の実現にそれは関係ないんですね。

栗林

 本人がやりたいということをやっていくと、その人本来の能力を超えたものが発揮されたりするんです。本人がやりたいと思えば道は開けていくところがあるんですね。

 以前はここしかないから、といって就職していましたが、今では自分たちで行きたいところを最低でも4か所ぐらいから選ぶようになってきていますね。
 私は視覚障害関係の施設で支援者として13年間働いていて、夢を実現した人は、落語家になった人1人しかいませんね。彼は先天性の全盲で、盲学校を卒業してきたんですよ。そばを食べるといったようなしぐさができないので、それを教えてほしいと。その時は、めちゃくちゃ言うな、と思いましたが、結果的には、笑福亭松鶴師匠の門下生になって今はプロの落語家になっています。先天性の全盲の人がしぐさをイメージするのは難しいけれど、その時にしぐさがおかしいとか言ってしまっていたら、1人の落語家は生まれなかったわけですから。

高林

 本人も相当強い意志をもっている場合もあるでしょうけど、もしかしたらみんなに反対されるかも……と思っていて、そこでくじけてしまう時もあると思うんです。周りで「そうだねそうだね」と言ってくれたら、押されて頑張れるときもあるでしょう。
 バイクに衝突されて手がまったくマヒしてしまった20歳の男性ですが、これからあれこれやろうと思っていたのに「俺、障害者になっちゃったよ」と窓口に来たんです。ニコニコと明るい青年で、障害者枠での求人はいくらでもあると思ったのですが、本人の希望は車が好きなので、車関係に就職したいということでした。車に乗っていて事故に遭ったのですが、やっぱり車がいいということでした。そういう時は、車関係の販売職とか、車に携わると本人も楽しいようです。

 われわれのようなセンターでは当然なんですが、王子養護の場合は、企業まで巻き込んでおやりになっていますね。養護学校が企業を巻き込むというのは、非常に珍しいのではないでしょうか。

栗林

 教員はけっこう頭が古くて、この生徒たちにはこの職業しかないと思っていたわけなんです。2年前の例ですが、おもちゃ屋さんで働きたいという生徒がいました。町のおもちゃ屋さんというと小さいところが多いので、就職は難しいかな、と思ったんですが、最終的に、原宿の大きなおもちゃ屋さんに就職ができました。会社のほうでは、知的障害のことをあまり知らなかったのですが、「こういう子がいて仕事をしたいと言ってるんです」と企業側に問いかけをしたら、裏方の仕事でということで就職ができました。今までは希望があっても「おもちゃ屋さんには就職できないよ」と言って終わっていたんですが、子どもたちから話があると「じゃあ探してみようよ」という気になるわけです。でも問いかけがないとその企業とは縁がなかったと思うんです。「やりたい」という問いかけがあって初めて、問いに答えることができるんですね。自分の希望を言える環境をつくることが大事だと思うんです。それがあれば、あとは支援者が考えられるんですが。

トライアル事業を利用

 養護学校には使えないのですが、昨年から行っている障害者緊急雇用安定プロジェクト(緊急雇用プロジェクト)のような制度を広くみんなが使えるようになると、もっと職種が広がると思うんですね。

高林

 あのプロジェクトの1か月の実習はうれしいですね。本当に1か月だけだったら働いてみてもらいましょうか、と受け入れてくれる企業もあるので、本人がやってみたいという職種があれば、「企業がいいと言ってるんだからいいじゃない」と、そういう意味では始めやすいんですね。だけど1か月くらいやってみると、企業でも「意外とできるじゃない」というところも発見してくれる。それにこちらが1か月を過ぎるころ、次に3か月どうですか、6か月どうですか、そして、せっかくここまでもったんだから、いっそのこと正社員にと。トライアルをもっと柔軟に利用していくのも彼らの夢を実現させてくれるのではないでしょうか。

 そうですね。支援者だけが頑張っても限界がありますから。だからそれを裏付ける社会システムとして、今回の緊急雇用プロジェクトはよかったですね。高林さんこそ夢を実現させた人なんですよ(笑)。

理解者がいて、夢がかなう

高林

 そうですね(笑)。もともと私は海外で障害者の就労支援のことを勉強したいという夢がありました。今までの事例と同じで、やりたいという気持ちがあるんですが、何をどうやればいいか、わからない。すでに今の職場に勤めていたので、「今のままでいいじゃない」「そこまでして行かなくても……」と最初は反対にあいました。でも1年間海外で障害者の就労を勉強してくるのは、絶対に帰ってきてから仕事に生かせるし、私自身も勉強になるし、体験にもなると、強く思っていたんです。でも夢の実現までのプロセスを考えると、1人でやるには難しいと思うんです。「障害をもっていて、仕事を辞めて、留学から帰ってきてどうするの?」と言われて、私自身も不安になりました。やはり障害ゆえに心配になることもありますし、不利になることも今までの経験からわかっていたので。その時に「何で仕事を辞めなきゃならないの」という発想の転換があったんです。本当は辞めないで行きたいという希望があったのですが、そんなこと言い出せないよなぁ、と私もあきらめていたところがありました。そのとき、「仕事を辞めなくても、十分留学ができるよ」「こうやろうよ」と関さんたちの力を借りて、今も同じ職場で働いています。

 高林さんは実感として、ピアカウンセリングができるんですね。本当はそういう体験をした人たちがもっと職安にいてくれればいいのですが。

栗林

 私たちの学校では、卒業生の話を聞く会を開いているんですが、最近はこんな形で進路を決定してるんだよって話したら、卒業生たちは、以前自分たちのときはこんな対応はなかったよと言われるわけです(笑)。だから、高林さんのように自分で選びとって前向きに仕事をしている人たちが意見を出してくれるといいですね。たとえば「トライアル雇用で受け入れてくれるところがたくさんあるよ」と経験を通して言える人がどんどん出てきていろんなところで話をするといいと思います。
 王子養護の場合、全部のところが受けてくれるわけではないのですが、「体験だけならいいよ」というラーメン屋さんや花屋さんがたくさんあるんです。就職には結びつかないことが多いですけどね。でもそういうところで実習を何回かやりながら、進路選択の一材料として経験させて雇用につながるところにぶつけていく、そういう企業を抱えているという点は、先生方の努力によるところも大きいなと思います。そういう面も用意しないと夢の実現は進まないでしょうね。

 最終的には、本人の自己決定ですからね。こちらが自己決定してはダメですね。

栗林

 本人に「やりたい!」という強い意志があれば、周りの支援者も「ようしっ!」と動こうという気になるじゃないですか。だから本人の意志をはっきりさせるという努力も必要ではないでしょうか。

夢はいろいろな経験から出てくる

高林

 医者になりたいという人がいました。周囲はもちろん無理だと口をそろえていて、理由を聞かなかったのですが、改めて「何で医者になりたいの?」と聞いたら、病院で働くことにあこがれていて、病院で働くなら医者だ、と思ったらしいんです。そこで医者になるには、大学に行って、国家試験があって、研修があってというプロセスを話したところ、「学校に行くのはいやだ」と言う。「勉強をしないと医者にはなれないよ、じゃあ何をしたい?」と。彼は本当は何をしたかったかというと病院の中で働きたかったんです。実は今まで清掃の仕事をやっていたことがわかりました。病院にもいろいろ仕事があって、病院の清掃はどう?ということになって病院で清掃をすることになりました。結局、短い期間しかできなかったので、夢が実現したサクセスストーリーではないのですが。

前野

 「病院で働いた」という経験が大切だと思うんです。夢にもいろいろあると思うんですよ。実際に経験をしたことの中から発想は進むと思うんですよ。やってないことがたくさんなのに、「何になりたいか?」と聞くのは難しい話です。「夢出して来い」ではなくて、そこに至るまでいろんな経験ができるように、こちらも働きかける責任があると思うんです。

 彼らと1泊で旅行に行ったりすると、きれいに皿洗いができたりして、「えー、こんなこともできるの?」という発見がある。支援者としては、言葉だけではなくて、具体的な行動からも発見する目をもっていないと。そこから夢がつながっていくんじゃないですかね。

必要な支援者のネットワーク

 夢の実現のためには、当事者がいて支援者がいて、そしてそれを支える社会システムがあって、これが一番の基本だと思うんです。

高林

 もともと知的障害のある人が養護学校にいる例だけでなく、知的障害があるけれども普通学校にいる人の例もあるんですね。私も身体障害があるけれど、普通学校で過ごした経験と肢体不自由の養護学校にも1年くらい通ったことがあるんです。自分の両方の体験を通して、やっぱり学校の中の自分のポジションの違いを感じるわけです。養護学校にいたら比較的何でもできるし、「勉強もできるのね」「あっ、これもできるのね」といろいろ言われるのに、普通学校だと「あれもできないこれもできない」と言われてしまう。そうなると自分は何にもできない人間のような気がするわけですよ。知的障害の人も養護学校の中では、専門の先生たちが「あー、すごいね」と誉めて育ててくれたかもしれないけど普通学校では、「ちょっと普通学級では苦しいから、心障学級に行ってみませんか?」というふうに移されたりという感覚なんです。その中で夢をもつというのは課題なんです。支援者も少ないでしょうし、親もまた、普通学校に行かせるというのは、子どもの障害の認識がまた違うわけだから、こういう人たちがいて窓口にきた時に、改めて「夢」というと、今まで考えたこともない、考えさえさせてももらえなかったという答えが返ってくる。

 特に知的障害のある人は、それが強いですから。

高林

 これからもそういう人が出てくると思います。そういう人たちが夢をもてる方向へ行くには、リハビリテーションの段階でどうすればいいかが課題ですね。

 専門機関を利用している人たちは楽だと思うんです。だけどそうじゃない人たちが問題ですね。やっぱり職安もダメで結果的に在宅しかない、と。

高林

 職安でも、一般のコーナーから障害者のコーナーに移られた人が就職するまでに長くかかるわけです。そういう人たちは、「私は○○をしたい、○○になりたい」なんて考えたこともないし、だれも考えさせてくれるよう促してくれることもなかった。社会システムの中に埋もれてしまった年齢的に30代、40代の人たちに、一度はそういうことを一緒に考えるという機会があってもいいと思います。

 そうですね、われわれのところには、何らかの形で障害を認識している人しか来ないですが、実はそういう人のほうが多いかも知れませんね。

高林

 私たちの課題は、そういう人たちにも「やれることは何か」ではなくて、どういうことがやりたいのかを引き出すような相談ではないかと思います。でもせっぱつまっている人が多いので「何がやりたいか」より「とりあえず仕事をしたい」と言う人が多いですね。

栗林

 きっとそういう人は普通学校でも頑張ってこられたと思いますし、学んできたことは多いと思います。でも、自己肯定感がもてなかったり、今まで見つめなかった障害という部分を、仕事を探すときに初めて見つめなくてはならなくなる。その辺の受け入れが難しいとよく聞きますね。

 旋盤工の方で、その人は知的障害があるんですが、49歳でリストラに遭いました。ここまで頑張ってこられたんだから何とか……、と思って、センターで一緒に考えようということになりました。

前野

 とにかく、確認しなくてはいけないと思ったんです。なにせ30年近くも旋盤工としてやってこられたのですから、まずは気のおける企業にお願いして旋盤に行ってもらうことにしました。現場のほうからもご本人さんにとっても最終的には合わなかったのですが、その最終の見極め(評価)の時にご本人さんが「周りの人がよかったから自分はやってこられた」とポツンと言われたんです。今はパソコンを使って事務系の仕事をされています。でもやっぱりいい顔をされています。たぶん最初からコースに合わせたカリキュラムを申し上げていたら、いい顔をされなかったと思うんです。最初「旋盤に行きましょう」と言ったとき、その方は言葉には出さなかったんですが、ちょっと顔が微笑んだような気がしたんです。

 面接のときに彼は、「旋盤の仕事はもうないんだ」と言っていました。だから紆余曲折を経ながら、彼なりに自分の思う仕事をイメージしていたんだと思うんです。でも「もう一度働きたい。周りに応えなきゃ」という気持ちはあるんですね。いわゆる「あっせん型雇用支援センター」のようなものがあちこちにたくさんできて、職安と連携して、うまくいかなくてもいいし、転職してもいいと思うんです。希望をかなえるのも大事だけど、せっぱつまった人にとりあえず食べていけるようにしなければという課題もありますね。

高林

 でも中途障害の高齢の方の問題は、ちょっと難しくて……、こうなってしまったからもうダメだと、本人があきらめる場合が多いですね。

 中途障害の人は、現職復帰を原則としなくてはならないんですけどね。

高林

 とび職をやっていて車いすになった人がいて、絶対に現職には戻れないから、何をやったらいいの? 事務もやったことがないし、という相談がありました。こういうときは、支援者も1人では苦しいのでいろいろな機関とつながっていけるシステムがあるといいですね。そういう人たちの応援チームができるといいんですけど。

支援者は夢を引き出す努力を

高林

 夢の実現を妨げる原因として、その現実感に押されて支援者もとりあえず行けるところに行け、ということがあります。
 職安に来る人は養護学校の卒業とは違う経路で、卒業して何年か仕事をしたけど、何かの事情で辞めて窓口に来る人が多いので、今さら自分の希望を言っちゃいけないんだと思い込んでいる人が多いと思うんです。「あなたは、1回失敗してるから、安全なところがいいに決まってるでしょう」という雰囲気が読めたら、本人は希望なんで言わないと思うんですね。「ここはダメだったけど、じゃあ次はどんなことがやりたかった?」という支援者の姿勢が必要ですね。職安の窓口では自分の希望など言ってはいけないと思っている場合もあると思うんですよ。そういう思いを打ち砕いてあげないと、夢も希望も言えなくなってしまうと思うんです。それを支援者がもう一度、どう引き出していくかということは、今後の課題になると思います。
 本人が「僕にはやりたい仕事があるので、転職します」と言うと「何を言っているの。あなたここにやっと落ち着けたんだから、転職なんてとんでもない……」と。本人は十分考えて、やっぱりやりたいことを追っかけようとしても、支援者が冒険させることを怖がるところがありますね。いつ辞めてもOKというくらいの受け皿が整っていないところが多いので、仕方がないのかもしれませんが。本人にとっては、第2のチャレンジなのに、「ちょっと待って」という、われわれの体制と本人の第2のチャレンジへの希望はいつもすれ違ってしまうような気がします。

 センターに帰ってくる人は帰ってきますけどね(笑)。

栗林

 バタンと倒れて立ち上がれなくなるほど落ち込ませてはいけないと思いますね。だから引き際というのがあるだろうな、と思っています。どこまで応援したらいいか、悩むことはありますね。転職するとリフレッシュして仕事を頑張っている人もいますからね。

 夢の実現でもタイミングがあるでしょう。会社を辞めても、すぐまた大手の会社に就職できたり……。それから、精神的に落ち込んでしまったときに、会社から1、2か月でも休んでいいと言われると本人も元気がでてきたりね。

高林

 本人たちが相談する人を知らない場合もありますね。就職して何年かしてしまうと、学校やセンターなどとのつながりも切れてしまっているんですね。だから、とりあえず仕事がないかと思って職安に来てみた、という人もいます。そんなとき最初の窓口でどれだけその人に利用できる機関などの情報提供ができるか、けっこう責任が重いなぁ、と思いますね。

前野

 地域の窓口などもあちこちにあればいいですね。○○に行かなくてはだめだ、というのでは出会いが少ないような気がします。これはまさに口コミによる出会いの例ですが、あるお母さんからまた聞きされたお母さんが、たまたまわれわれが企業内指導を行っていた事業所のパートタイマーの方で、その人が世間話のときに自分の息子さんを語ったときに出会いがあったんですね。たまたまと言えばそれまでなんですけどね。そういうのは、本人にとってはパッと花が咲いた感じに思ったでしょうけど。この人は、10年働いても給料が上がらない、努力をしていても、自分を表現するのがうまくなかったんですね。いよいよ辞めようという時に出会いがあったわけなんです。最初に会ったときは目も合わせない。「とにかく信用できない、あんたは何を聞いてくれるの」という感じでした。でもここまで来てくれたので、そういう彼の複雑な思いを感じて、こいつはいい奴だと直感で思ったんですよ。もともと能力がある人なので、今は職場で昇給もして、権限も上がりました。いい職場に出会ったら、人間がこんなに変わるのかというくらい変わりました。彼は結婚するときに、きちんと自分で謝辞を用意してきて話しました。彼のそういう変化を見て、逆にこちらがこうやればこうなるという夢をもてましたね。僕が夢を見せてもらったことは、職業人としての私にとって、かなり大きな出来事でした。

 彼は会社で選んだ今年のナンバーワンワーカーに選ばれたそうです。「障害」というのを本人の中に見てはいけなくて、われわれの対岸に人間があって真ん中に障害があって、これをどういうフィルターを通して見ているか、そういうところに気がつかなくてはならないのでしょうね。

これからの就労支援

栗林

 今は、希望する仕事がないという若者が多いじゃないですか。そういう中で彼らは早いうちに社会に出て行くわけです。彼らに何をやりたいかはっきりさせなさい、と言うこと自体、私たちが改めなければならないことだと思うんです。やりたい仕事を見出したり、夢が言えるような精神的なプロセスをしっかり踏んであげるという、根本的に支援のあり方を変えていかないといけないなと思います。
 それから先ほど前野さんがおっしゃっていたんですが、彼らが夢を実現していくことによって、「こんなこともできるのか」「こんなに人が変わるのか」と僕らがあっと驚くことがあるんですね。私たちも支援しながら、彼らに夢を見させてもらっているんだなという気がしますね。

 やはり、僕らが夢を見ていなかったら、この人たちに夢を見てもらえないんだなということですね。

前野

 雇用条件を設定する場面でも、窮屈にしてしまわないように、何でも笑いあえるような雰囲気がないと、妙に遠慮とかしてしまって本人も夢を表現できないのではないかと思います。

高林

 そうですね。本人が夢があっても言い出せないような雰囲気を変えていかなければならないと思います。あとは本人が夢を持てるような、言えるようなふだんの生活も大事だと思います。その二つがかみ合わないと、到底夢の実現には至らないと思います。

 リハビリテーションは障害を分析する科学できたけれども、人を人として見直す科学なのかもしれませんね。
夢の実現という方向から見ていくことが大切ですね。

編集部

 本日はありがとうございました。