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文学にみる障害者像 52

乃南アサ著
『鍵』

-聴覚障害少女が活躍するミステリー-

関義男

 昨今、ミステリー(推理小説)・犯罪サスペンスをうたい文句にした娯楽小説が大流行している。新顔作家が次々に現れ、海外の翻訳物まで加えると、毎年生み出される作品数は膨大である。数が多すぎてとうてい読みきれるものではないが、このジャンルの作品群の中には、サスペンスを盛り上げる手法の一つとして、障害者をプロットの主要部分に取り込んだものが少なくない。 たとえば、足が不自由なために襲撃してくる犯人から逃げられない。聴こえないために忍び寄る犯人に気づかない。盲目であるために犯人の顔が分からない。私たちはこのような内容の話を小説でなくても、映画やテレビドラマでしばしば観ることがある。
 一般にミステリーは謎が明かされ犯人が分かってしまうと、そこで面白さも終わってしまい二度読まれることがない。記憶に残る作品が少ないのは、事件が主役で、描かれる人間が作為的で説得力に欠けるからだろう。
 過去にミステリーが探偵小説と言われていた時代には、代表的な江戸川乱歩の例を持ち出すまでもなく、障害者は非現実的、荒唐無稽に描かれ、暗いイメージを強調するものが多かった。
現代ではさすがに偏見を助長する描き方は一掃されたが、障害者をサスペンスを盛り上げるための道具立てに組み込んでいる場合がほとんどで、総じて人間観察、障害者認識の底が浅いのである。

 乃南アサの『鍵』は1人の聴覚障害少女の活躍を描いた長編ミステリーである。この作品について結論めいたものを先に述べてしまうと、読者は聴覚障害少女の生き方に共感するだけでなく、結末に至ってこの少女から勇気を与えられ、湧き立つような喜びの気分にさせられてしまう。そして「障害」をハンディとしてでなく、その人固有の個性であるという視点で少女を描いた作者の創作姿勢が好感を持たせ、数あるミステリーの中で傑出した作品となっているのである。
 乃南アサは1996年『凍える牙』で直木賞を受賞して以後、広く世に知られるようになった作家で、サイコミステリー、サイコサスペンスなどの異色作を数多く発表し高い評価を得ている。
 『鍵』は1992年発表の比較的初期に属するもので、ミステリーとして十分な面白さを保ちながら、兄妹の友人たちを巻き込んでの齟齬や葛藤、そして和解に至るまでを描いた家庭小説としても楽しめる、二重構造をもった作品である。
 物語の内容については、これから一読しようとする人のために、作品の性格上これをあからさまにする愚を犯したくないので、ここでは登場人物とその周辺の状況に限定して述べることにする。
 主な登場人物は、この物語の主人公で高校2年生の麻里子、姉の秀子、25歳になる兄俊太郎の他に、俊太郎の友人で新聞記者の有作、麻里子と同級の親友雅美の5人である。
 物語は矢継ぎ早に両親を失って、穴のあいたように淋しくなってしまった三姉兄妹の家庭の情景からはじまる。彼らにとっては、父の死より母の死のほうが精神的影響が大きかった。これからの三姉兄妹は互いに支えあって生きていかなければならない。しかし兄俊太郎の麻里子に対する態度は、母の死以後冷たくなり、話を交わすことさえ面倒くさがるようになっていた。
 麻里子は兄を頼りにし、相談したいと思っていることがあるのに、なかなかきっかけがつかめない。俊太郎は商社を退職してしまった学問好きの青年で、現在は無職。彼にとって母の死の痛手は大きく、しかも母は麻里子のために寿命を縮めたのではないかと疑う彼にしてみれば、麻里子にじっと見つめられることが最近にわかに鬱陶しく感じられ、彼女の相談など聴く気にもなれないのだった。
 兄の麻里子に対する冷たい態度は、姉の秀子、友人の有作や雅美たちをも巻き込んで、互いに居心地の悪い関係に変わっていく。
 その頃、世間では奇妙な通り魔事件が頻発していて彼らの間でも話題になっていた。それは女子のカバンばかりを狙うひったくり事件で、すでに7件も発生しているという。
 ある日、親友の雅美が麻里子の家から帰る途中、この通り魔に襲われてしまうことから、この事件はにわかに他人事ではなくなってしまう。やがて通り魔事件の犯人が殺人死体になって発見されるに及んで、事件は凶悪な様相を帯びてくる。
 これら一連の事件が、麻里子が兄に相談できずにいる事柄と重大な関係があるとは、この時点ではだれも知らない。
 麻里子が聴覚障害者であることが明らかにされるのは、物語が佳境に入ろうとするあたりからである。うかつな読者は文章の随所にある麻里子が聴覚障害であることの伏線に改めて気づかされる。作者のこのような工夫と展開の仕方が面白いだけでなく、この作品に一貫して流れている障害者観にもつながっていく。
 「でも、みんなはお耳が聴こえるでしょう?なぜ、麻里子には聴こえないの」
 麻里子がそう言う時、母は一番つらそうな顔になった。けれど、次には必ず叱られた。「違うから、何だっていうの。そんなことを言うものじゃない。人は皆、少しずつ他の人と違うのよ。麻里子は聴こえない点以外は、誰とも何も違っていないでしょう」。
 「誰とも何も違っていない」から作者は麻里子の障害をことさら強調せず、ごく当たり前の、明るい少女のイメージを壊さないように描いていく。
 麻里子は相手の口唇の動きを見るだけで言葉を読み取ることができる。兄の友人有作はもとより、親友の雅美と対等に交際し、学校生活を楽しんでいるごく普通の少女なのだ。
 しかしその一方において作者は、作中の兄俊太郎に家族ならではのこだわりを持たせている。障害児が家族の一員としていることは、決して外側の人が見るほど平穏なものでなく、負担と犠牲を伴うものなのだという一端を俊太郎の言葉を借りて表現する。
 「末っ子で我儘一杯に育って、甘ったれ。しかも女でそのうえ耳が聴こえない。(姉が結婚してしまえば)あとは俺があいつを見なきゃならない。(母は人生の後半全部を犠牲にして寿命を縮め、その間姉と俺は放っておかれて)『麻里子のために』の一言で何でもかんでも我慢させられてきた。(母は自分をすり減らして麻里子を育てたが)今度はそれが全部俺にのしかかってくる」
 友人の有作は、この物語では家族の調停役を担っているが、麻里子に冷たい俊太郎の本音を、子どもじみた狭い了見だと反発するのである。
 麻里子は兄がそんな気持ちでいることを理解できないから1人傷つき、それは深まっていくばかりだった。そして「ある事」について兄に相談することを諦め「自分で考えて、自分で考えたとおりに行動し、解決しよう」と決心する。
 これまでのように姉に甘え兄を頼ってかわいそうな自分の世界に浸っていれば、それはそれで安全な道を歩むことができるかもしれないが、そうすると自分の世界は今よりいっそう狭まって、せっかく生まれてきたのにほとんど何も知らずに生きていくことになってしまう。だれの手も借りずに自分で考えたとおりに行動することによって、自分が一人前になれたことを証明したい、皆に認めさせたいと麻里子は思う(このことが彼女を凶悪な犯罪の渦中にただ一人立たせることになる)。
 作者は『鍵』について、ブックカバー折り込み(講談社ノベルス版)の“著者の言葉“として次のように書いている。
 「世の中に、まったく同じ条件を兼ね備えた人というのはいません。(略)大切なのは、与えられた条件の中で最大限に輝くこと、そして、自分と異なる条件のもとに生きている人を恐れず、拒絶せず、共に受け入れることだと思います。ハンディ・キャップさえ最大の個性として受け入れ、みずみずしく生きている人は大勢います」 この言葉どおり、作者は麻里子が障害を個性として受け入れ、成長し、みずみずしく輝いて生きる姿を描いた。
 別の見方をすれば、作者は聴覚障害少女がいっそう輝いて成長していくために、卓効はあるが「危険な劇薬としての事件」を処方したと言える。そしてその劇薬の効果は、家族や友人たちそれぞれの成長をも促し、齟齬が生じて綻びかけた人間関係を、一挙に和解へと導くものであった。
 この作品のもう一つの注目すべき点は、「障害」の文字がほとんど使われていないことである。記述上必要な箇所にわずかに「障害}の文字を見る以外に、この言葉はない。
 先にも述べたように、「障害」を、人それぞれがもつ「個性」の一つと捉えて主人公を描いた作者の障害者観は、大多数の読者の共感を呼ぶのである。

続編『窓』について

 『窓』は1996年の作で、前作『鍵』の続編にあたるミステリーである。聴覚障害の麻里子をはじめ登場人物は同じである。
 ある日、毒入りジュース事件が発生して、大勢の被害者がでる。この事件の犯人ではないかと疑われた人間が、同じ聴覚障害のアルバイト少年であることを知った麻里子は、少年の無実を証明したいと思う。
 事件を起こす犯人は、陰湿な歪んだ性格で、現在世上を賑わせている少年事件、家庭問題を彷彿させる内容である。
 前作で障害を「個性」として描いた作者だが、『窓』では、「耳が聴こえない」とは具体的にどういうことなのか、という聴覚障害の世界に一歩踏み込んだ作品にしている。「聴こえない」ことによる周囲との微妙なずれ、誤解、不満、苛立ち、理解されない悩み。「聴こえない」ことが心に落とす翳に重ねて、思春期の多感で傷つきやすい姿を、作者は同時進行で捉えようとしている。
 作品名の『窓』は、聴覚障害者の心の〈窓〉、人と人が互いに開きあう〈窓〉等、さまざまな意味を象徴する。
 『窓』が前作と異なる形のミステリーの面白さを追いながら、思春期における聴覚障害問題を描いて違和感を持たせないのは、この作品に注いだ作者の真摯な姿勢と、力量によるものだろう。

(せきよしお 東京都障害者福祉会館)


〈追記〉 アメリカの作家ジェフリー・ディーヴァー『静寂の叫び』(1995、ハヤカワ文庫)は、聴覚障害少女が、残忍な脱獄囚グループの人質になりながら果敢に戦いを挑む物語である。口話主義とろう者独自の世界を築く基となったALS(アメリカ式手話)の対立、生まれながらのろう者と中途聴覚障害者との区別等にも言及されている。
 上下2冊の長編だが、わずか一昼夜の息詰まるようなサスペンスが連続する、緻密に計算された完成度の高い作品である。
 乃南アサの作品と比較すると、それぞれの障害者観の質的な相違がわかり、興味ある問題が引き出されるだろう。
 ◎『鍵』と『窓』は講談社文庫として刊行されている。