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北米における権利擁護とサービスに関するシステム 連載15

ADA(障害をもつアメリカ人法)10年の歩みと
日本における障害者権利法(JDA)の方向性
(その3)

北野誠一

 前回では、ADAの原案に至るまでのプロセスを、市民的権利法(CRA)からの流れとリハビリテーション法からの流れの中で見てきた。今回は、法成立までを、NCDを中心とするADA原案作成のプロセスを中心に見ておきたいと思う。

NCD(全米障害者評議会)を中心とするADA原案作成のプロセス

 NCDは、一九八六年に“Toward Independence(自立に向かって)”(注1)と題する歴史的文章を刊行した。一九七三年リハビリテーション法の改正によって生まれたNCDは、大統領の任命による障害者に関する法や施策の包括的な評価と問題提起を行う機関である。そのNCDが、一九八三年に出した”全米の障害者政策″はレーガン政権の不評を買い、そのことを連邦議会に訴えた結果、NCDは一九八六年までに連邦議会の求める報告書を提出するという条件付きで、一九八四年のリハビリテーション法の改正で、一定の独立性が認められたのである。
 議会がNCDに求めたのは、連邦政府の障害者に対する政策のうち、どのプログラムがどの程度障害者の自立や尊厳に寄与して、地域や学校や職場での完全な統合を促進する、あるいは阻害するプログラムかを評価することであった。NCDが一定の独立性を得たと言うことは、障害者勢力と障害者政策が一定の独立したプライオリティーと評価を与えうる存在であることが連邦政府や議会に認められたことを意味しており、その意味でも″自立に向かって″は重要な意味を担っていたわけである。
 NCDはそれに対して、以下の一〇のテーマを取り上げて、全体として四五の勧告(Recommendation)を行った。
 これらの一〇のテーマに対する四五の勧告が、連邦政府によってどの程度実施されたのかについて、議会から評価を求められて出されたのが、一九八八年の“On the Threshold Of Independence(今、自立の時)“ である。NCDはその中で、連邦政府や議会によって三つの勧告は完全に実施され、三一の勧告は部分的に実施されており、全体として七五%について取り組みがなされたと評価している。また、この″今、自立の時″にはADAの原案が載せられており、故定藤丈弘はその重要性に気づいて、一九八八年にアメリカ留学から帰国するなり、すぐにそれを翻訳して日本に紹介している(注2)。
 ここではこの一九八八年の″今、自立の時″における一〇のテーマに対する実施レベルの評価をも含めて、そのテーマを取り上げ方とその中身についてADAとの関連でコメントしてみたいと思う。 

 1.Equal Opportunity Laws ・・・・・機会平等法
 2.Employment ・・・・・雇用
 3.Disincentive to Work under Social Security Laws ・・・・・社会保障法上の就労阻害要因
 4.Prevention of Disabilities ・・・・・障害予防
 5.Transportation ・・・・・移動交通
 6.Housing ・・・・・住宅
 7.Community-Based Services for lndependent Living ・・・・・地域自立生活支援
 8.Educating Children with Disabilities ・・・・・障害児教育
 9.Personal Assistance : Attendant Services,Readers,and interpreters ・・・・・パーソナルア シスタンス(介護サービス、朗読、及び手話通訳)
10.Coordination ・・・・・コーディネーション


1.機会平等法

 ″障害者の市民的権利法″ ではなく、“機会平等法″という表現を取ったのはなぜであろうか。レーガン政権を強く意識したものと思われるが、NCDの内部にも意見対立があり、この表現に落ち着いたようである。市民的権利法(CRA)が黒人運動の場合のように、障害者に対する一定割合での優先入学や割り当て雇用を求める積極的差別是正策(Affirmative Action)と連動しているというニュアンスを避けるためにこの表現を選んだと言われている。そのことがADAを障害をもつアメリカ人の権利法(American with Disabilities Rights Act ADRA)”ではなく、”障害をもつアメリカ人法(Americans with Disabilities Act ADA)″と命名したこととつながっている。

2.3.雇用と雇用を阻害する社会保障上の要因

 障害者の福祉への依存(dependence)を減らし、ひいては連邦予算を削減するためには、障害者の経済的自立を促す各種の雇用促進プログラムと、就労へのインセンティブを妨げる医療扶助の打ち切り等の問題に対する対策が重要だという考え方がその根底にある。ADAにおいても、まず第一章で雇用上の差別の禁止が取り上げられているのはそのためである。問題は、連邦政府の予算削減が強調されてしまうと、就労と経済的自立だけが障害者の地域での自立生活の目標とされてしまい、より重度の障害者に対する自立生活支援が切り捨てられる可能性があることである。このことは9の介助の問題と連動している。

4.障害予防

 このテーマはさまざま問題をはらんでいる。ところが本文ではあっさりと2と3の続きで、障害を予防することによって連邦予算を削減させることが強調されている。「連邦政府の障害予防のイニシアチブは、わが国の保健ケア支出と障害の高い発生率に伴う人々の苦しみを実質的に減らすことができる。効果的な予防等はアメリカ国民の障害と医療ケアの支出を削減し、近い将来の連邦支出を削減し、将来の世代の障害の発生率を減らす」。
 さすがに、このことをADAに盛り込むことによって、障害者団体に不協和音を起こさせる愚は避けたようである。別に ”The Prevension of Disabilities Act(障害予防法)″なるものの必要性を強調するのだが、私にはこの表現は、アメリカにおける長く深い優性思想の流れと、第二次大戦後も続いた障害者の断種等の問題に対する認識と反省の甘さが感じられて仕方がない。

5. 6. 7.地域の自立生活に不可欠な諸支援

 5.移動交通はADA第二章第三章で、6.住宅は“一九八八年改正公正住宅法で、また7.地域自立生活支援は”リハビリテーション法“第七章の自立生活センターと自立生活プログラムの予算化で一定実現することとなる。

8.障害児教育

 日本における障害者権利法を考える時、障害児の教育における権利の問題は、避けて通ることのできない問題である。アメリカでは一九七五年に“全障害児教育法(EAHCA)“が成立しており、最も制約の少ない環境(the Least Restrictive Environment)の中で、一人ひとりの教育支援計画(Individual Educational Plan IEP)を、本人および親の同意のもとに作成する権利が確立している。
 ここでは次の大きなテーマである学校を中心とする生活から、地域での一般就労や社会的就労を中心とする生活に移行するに当たっての移行計画の確立が強調されている。

 

9.パーソナルアシスタンス(介護サービス、朗読および手話通訳)

 このテーマは、″自立に向かって″や″今、自立の時″の中でそれなりに強調されたテーマであると共に、ADAで完全に切り捨てられたテーマでもある。
 前回にも書いたように、エドやジュディーの率いるWIDは、そのこともあってADAの次のターゲットを″自立生活のための本人介助支援法案(Personal Assistance for Independent Living Act of 1989 PAILA)″の実現に絞り込んだのである。このテーマはその後、ADAPT(注3)を中心とする“地域アテンダントサービス法案(Community Attendant Service Act of 1995 CASA)“、そして”メディケイド地域アテンダントサービス支援法案(Medicaid Community Attendant Service and Support Act of 1999 MiCASA)“ へと引き継がれていくこととなる。この一連のアメリカの”地域介助支援法案“については、ADAの次に、このシリーズで取り上げることにしたい。

10.コーディネーション

 このコーディネーションの中身は、残念ながら三つの次元を混同している。というのも、コーディネーションを時には連邦政府と州と自治体間の調整の意味に使い、時には一定のエリアにおける必要なサービスの全体的な把握と必要な社会資源の計画化、つまり社会計画(Social Planning)の意味で使い、ある時には個別の利用者がそれらのサービスの狭間で混乱してしまうことへのサービスのケースマネジメント的な意味で使っているからである。アメリカにおいては、発達障害者に関しては、非常に綿密で組織的な州計画(State Plan)が作成されており、これをすべての障害者に普遍化することが念頭にあったものと思われる。発達障害者に関する州計画についても後に詳しく取り上げてみたいと思う。
 このようにNCDは一連のテーマを取り上げて、あるテーマは既存の法律の改正の中に取り込み、あるテーマについては別立ての法案を想定し、主に雇用と移動交通および公共・民間サービス、そして電話リレーサービスにおける障害者への差別の禁止を中心とするADAの原案を練り上げていったのである。
 このADAの原案作りには批判的な声もあった。市民的権利法(CRA)の改正によってではなく、独立した形でADAを作ることは、他のマイノリティーからの障害者の分離を強め、かえって差別を強めたり、権利が弱められてしまうことが危惧されたからである。
 そのこともあり、ADAによって既存の法の解釈が弱められることを避けるために、ADAはリハビリテーション法五〇四条項や全障害児教育法や公正住宅法を包括する一般法ではなく、既存の障害者関連権利法をそのままの形で切り離して残しておき、それ以外の雇用や移動交通や公共・民間サービス、電話リレーサービスの分野のみを扱う権利法として法案化されたのである。このことは逆に、連邦政府から補助金等を得ている民間企業は、リハビリテーション法五〇四条項とADAの二つの法律から規制を受けることとなり、その運用が混乱することを危惧する声が、特に裁判の問題でビジネス界から起こったのも事実である。それについては連邦議会において、一定の調整がなされた。
 そしてそれらをサポートしたのが、さまざまな障害者関連のシンクタンクの調査研究であった。特に、国際障害者センター(ICD)がハリス調査研究所と行った二つの全米の障害者の実態調査(1)“メインストリームを求めて″と、(2)“障害をもつアメリカ人の雇用″は、NCDのADA原案に必要な裏付けとなる数量的データを提供した(注4)。あのADAの第二条にある四三○○万人という障害者の数や、就労のニーズと実態の乖離を明らかにしたのは彼らであった。
 前回で述べたように、日本における障害者権利法の制定に向けて障害者の声とニーズを理解し、それを数量化できるシンクタンクが必要不可欠であろう。

  (きたのせいいち 桃山学院大学)


(注1)“Toward Independence”は、一九八八年に国際障害者年日本推進協議会によって翻訳されている。ただし“Toward Indepence”からの引用は私訳である。
(注2)定藤丈弘「一九八八年の障害を持つアメリカ人法について」『社会問題研究』第三八巻第二号、一〇〇~一一四項(一九八九年、大阪府立大学)
(注3)ADA制定以前は、American Disabled for Accessible Public Transit[悪戦渋るな公共交通を目指すアメリカ障害者]:American Disabled for Programs Today[今すぐアテンダントプログラムを目指すアメリカ障害者]と呼ばれている非常に活動的な障害者運動のグループである。
(注4)(1)については翻訳が出ている[メインストリームを求めて-米国障害者の生活と意義-](日本社会事業大学社会事業研究所 全身性障害者問題研究所 一九八八)
(2)“The ICD SurveyⅡ:EmployingDisabled Americans”(ICD R.Harris and Associations,Inc.1987