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21世紀の夢。
当事者主導で真のノーマライゼーションを

小沼洋行氏 東京兄弟姉妹の会 代表
阿部由美氏 国分寺市手をつなぐ親の会 会長
金村厚司氏 愛媛県視覚障害者協会 厚生部長
鈴木絹江氏 船引町・障がい者自立生活支援センター「福祉のまちづくりの会」 代表
大杉豊氏 全日本ろうあ連盟 本部事務所長
阪本英樹氏 東京都身体障害者団体連合会 国際部長
伊藤利之氏 横浜市総合リハビリテーションセンター長、本誌編集委員

それぞれの活動・自己紹介

伊藤(司会)

 本日は、21世紀の初頭の座談会ということで、21世紀を担う比較的若手のリーダーの方々にお集まりいただきました。21世紀の夢、向こう10年から15年ぐらいで実現可能な夢を、みなさんに語っていただきたいと思います。小沼さんから、自己紹介を兼ねて現在の活動状況をお話いただけますか。

●同じ立場の仲間と「SST」に取り組む

小沼

 「兄弟姉妹の会」の小沼と申します。三つ上の兄が精神障害者です。兄弟姉妹の立場は、孤立無援といいますか、兄弟姉妹の会は25年も前にできているのに、保健所でもその存在を教えてくれません。私は母親が入っている家族会のほうで兄弟姉妹の会があることを知り、9年前に入りました。よかったと思うのは、同じ立場の仲間がいることです。入ったころは、月に一度10人ぐらいで集まって話をしました。女性は姉や妹の立場でより家族に密接なので、一心同体ということがあるのだと思いますが、毎回話をしながら泣く人が多くて、つらくて何度も会を辞めようと思いました。そんな中、3年前にみなさんに推薦していただいて、3代目の代表になりました。
 活動は、精神病や保健福祉についての勉強会、作業所とかグループホーム、あるいは病院などの施設見学会などを行っています。いちばん簡単でなかなかできないことは、バザーに行くことです。精神障害の場合は、兄弟も攻撃の目標にされ、暴力が向かってくることがありますので、なるべく離れている世界に行きたがるのですが、バザーに行くと兄弟なのだ、同じ社会で生きているのだということがわかります。また兄弟の違う面を見ることができるのがいいと思います。
 最近とくに力を入れているのは、SST、ソーシャルスキルトレーニングです。兄弟との接し方を1か月おきぐらいに例会で学んでいます。過去のことをいろいろ悩んだり泣いたりするよりも、これからの接し方を勉強していこう、取り返せない時間を埋めていくような勉強をしていこうと考えています。

●親たちができる事業を立ち上げ

阿部

 私は、国分寺市の「手をつなぐ親の会」の会長をしております。国分寺市は人口10万人ほどの小さなまちですが、知的障害者の親たちの会は約35年の歴史があり、会員は150人ぐらいです。保育園に通うお子さんをもつ親から、50歳代の息子さんのお父さんまで、会員の年齢は幅広く、ニーズはさまざまです。
 主な活動は、知的障害に関する勉強会や行政に対しての要望や要請などですが、平成15年から知的障害者の福祉も市区町村に移管されますので、親の会の市区町村での活動が重要になってくると思います。
 行政主導の施策は通所施設などに限られていますので、日中の生活の場は確保されても、それ以後の生活の場の確保や余暇活動についてはなかなか見えてきません。親たちでできるところはやってみようと、いくつか事業を立ち上げてきました。学校が終わった後の余暇活動の場を保障したり、作業所や会社で働いていても、休日に遊びに行く場所が少なかったり、一人で遊びに行くことができなかったりする人が多いので、その支援をしたり、また将来、生活寮、グループホームなどで暮らすようになるまでのステップとして、親から離れて宿泊の体験ができる場を確保したりしています。

●国、県、市、草の根…。市民活動家として

金村

 愛媛県松山から来ました金村です。国、県、市、草の根と、いろいろな活動に携わっています。まず国レベルとしては、社会福祉法人日本盲人会連合青年協議会の会長をしています。全国に3千人ほどの会員がいて、視覚障害の青年の要望などを中央レベルで反映していく活動を主たる目的としています。県レベルでは、財団法人愛媛県視覚障害者協会の厚生部長をしておりまして、行政への働きかけが主な活動です。
 松山市でいちばん力を入れているのが、障害者活動とはあえて分けているのですが、NPO活動です。ノーマライゼーションにもとづくバリアフリーのまちづくり、社会づくりを実現しようと、任意団体として5、6年活動をして、99年10月にNPO法人「スクランブル」を立ち上げました。会員は半数が健常者です。また、松山市のNPO法人、ワーカーズコレクティブ「とも」の理事をしています。「とも」は、高齢者の介護保険下のグループホームで、高齢者の立場でノーマライゼーションを推進したいと考えています。
 そのほか、松山市のボランティア体験学習研究会では、小学校から依頼を受けて講師をしています。ほかに、音楽活動もあります。このように、障害者運動に携わるというより、市民活動家だと思っていますので、この場にそぐわないのではないかと心配しています。

●就職活動を機に障害者運動へ

阪本

 日本身体障害者団体連合会の下部組織である東京都身体障害者団体連合会(都身連)の国際部の部長をしております。私は1歳9か月のときにポリオにかかり、四肢および体幹の不完全マヒになり、障害者手帳は1種1級です。小学校から高校までは普通学校に通い、大学時代から少しずつ自立生活をスタートさせて、現在は外資系コンピューターメーカーに勤めております。
 大学2年生の1984年に都身連の末端組織、中央区身体障害者団体連合会に入りましたが、自分が障害者だという自覚はなく、大学院生の最終年まで一般会員として参加していました。1991年夏頃に就職活動を始めて、社会の風当たりの強さにびっくりして、これは自分から進んで障害者運動をしなければと、広報担当の役員などを10年くらい務めました。98年に国際部ができたときにご指名を受けて部長になり、アジア・太平洋障害者の十年のキャンペーン会議に参加したり、アジア太平洋地区の障害者団体との交流などを行ってきました。
 都身連では、地区協会の一般会員は、新年会と総会、春秋2回のピクニック、年1、2回の宿泊旅行に参加できます。また役員たちは、月1回の役員会、研修会、セミナーなどに参加したり、広報紙の編集をしています。会長、副会長の役割は、役員会の招集と議事進行、資金集め、地域の行政主催の会合に出席して情報の収集、伝達や、もめ事の仲介役などです。

●専従として、やりがいのある日々

大杉

 全日本ろうあ連盟の本部事務所長です。私は、まったく耳が聞こえません。やかましい音もまったく入ってきません。3歳から小学校2年生まではろう学校で教育を受けました。その後、地域の小学校に通い、身振りや筆談でコミュニケーションを図りました。大学に入ると、講義の内容がつかみきれず、手話通訳をつけてほしいという運動もしましたが、力不足で、限界を感じ、3年で中退しました。そのころ、人形劇団「デフ・パペット・シアター」に参加して、7年以上にわたって、日本全国を回りました。
 その後、名古屋で手話を教えたり、京都大学霊長類研究所でチンパンジーと手話でコミュニケーションをする研究に参加した後、障害者のリーダー派遣事業で選ばれて、アメリカに行きました。アメリカでは手話通訳の制度がしっかりしていましたので、もう一度大学にチャレンジしたいと思い、アメリカの大学で6年間学び、言語学の博士号を取得しました。言語学の教師をして充実した生活を送っていましたが、日本に帰りたいという思いもつのってきたところに、全日本ろうあ連盟から声がかかり、2000年に帰国しました。
 全日本ろうあ連盟の会員は約2万7千人です。聞こえない人たちの声を集約して、政府と交渉することが基本的なスタンスでたいへんですが、やりがいがあります。全国ろうあ者大会はいちばん大切な事業ですが、各県持ち回りのシステムをとることで、地域の障害者理解を広め、お互いが連携しあえるところに大きな意味があると思っています。これからは、社会福祉制度が変わっていく状況を踏まえて、ほかの障害者の人たちとさらに連携をとっていくこと、日本だけではなく、アジア太平洋地域の国々とどうかかわりをもっていくかが重要だと考えています。

●自立生活支援センターを拠点に

鈴木

 人口2万4千人の福島県の船引町で自立生活支援センターをしています。私は、ビタミンD抵抗性クル病という、骨が骨折しやすく、骨が曲がりやすいという障がいです。地域の小学校から郡山養護学校に入り、中学高校を過ごしました。
 たまたま船引町に越してきた女性たちが、自分のいた地域と比べて何の制度もないねというお茶のみ兼愚痴話をしていて、それなら自分たちで声を出して制度をつくっていくことが必要なのではないかと1994年から勉強会を始めました。自立生活運動はアメリカですでに始まっていましたが、バークレーで活動しているマイケル・ウインターさんの奥さんの桑名敦子さんは、私の後輩で、ちょうど二人が実家に帰ってきた時に彼を呼んで話を聞いたのが、自立生活センターをめざそうというきっかけでした。
 96年に、主人と二人で8坪ほどの小さな小屋を借りて自立生活センターを立ち上げました。そんな小さな町に必要なの?と言われたのですが、小さな町でも田舎でも障がい者はいるんですよね。コアサービスとして、ピアカウンセリング、自立生活プログラム、介助者派遣、住宅サービスを行っていますが、そのほかに情報提供と人権擁護活動もしています。福島県には6か所の自立生活センターがあり、東京都に次いで多いんです。全国で初めて当事者主体の自立生活センターへの助成金もいただきました。6か所に増えたのも、郡山養護学校の卒業生の仲間が中心になって、25年ぐらい前から活動を始めてきたからだと思います。どういうシステムをつくっていくかが、今後の課題だと思います。

21世紀初頭に実現したい夢

伊藤

 21世紀を担うリーダーとして、10年から15年後を想定して、自分たちの手で成し得る可能性のある夢を語っていただければと思います。

●保護者制度の撤廃と生活支援センターの設立

小沼

 今日は精神障害者本人の会の代表が参加すればよかったのかと思いますが、私が呼ばれたのはたぶんいちばん元気だからではないかと思います。精神障害者の場合は、ほかの障害者の方々より一段ステップが多いのですが、まず家族が責任を追わされる保護者制度の撤廃をしたいと思います。
 実際に一人で生活している精神障害者もいるわけですから、21世紀には一人で生活できることがすばらしいのではなくて、当たり前というところにもっていきたいという思いがあります。鈴木さんが言われた生活支援センターのようなものがもっともっとたくさんできるといいと思います。行政は入院患者が退院できないから、グループホームや作業所などをつくろうと考えられていて、現在、地域で暮らして通院している人たちのことが数字に入っていないのは、つねづねおかいしいと思っています。行政主導ではなく、我々がこれだけ必要なのだということを声を大にしていかなければと思います。
 兄弟の立場としては、(生活支援センターとか小規模授産施設とかの設置が)少ない数字なのに、頭を下げて喜んでいる家族会にも情けなさを感じることがあります。保護者制度の撤廃をしたうえで、自分の住む地域に生活支援センターができるようにがんばりたいと思っています。

●地域で自立生活を実現

阿部

 知的障害が身体障害に比べて福祉が遅れたことの一つの原因は、本人ではなくて家族の発言で運動が展開されてきたことによるのではないかと思っています。お世話になってきているからここまでしか言えないという遠慮があって、施策が進まなかったのです。
 本人の気持ちや意見をどう汲み取り、活動の中に生かしていくかが、これから重要だと思います。国分寺の小さな活動の中でも、遅ればせながら当事者とともに本人部会をつくろうとしています。コミュニケーションがなかなかむずかしい人たちですので、気持ちを汲むための工夫をしなければなりません。たとえば青年たちの余暇活動は、いままでは親や職員が決定して、さぁ行こうと集団で行動するような形が多かったのですが、本人たちが発言しやすいようなたまり場をつくって、いろいろな話が出てくる中で、たとえばお相撲が好きなら相撲観戦をするとか、本人の希望を聞いて活動内容を決めていくことが大事だと思います。それでも、障害の重い人たちの意思をどう汲み取るかという問題は残ります。
 今まで多くの知的障害者は、生活の場が入所施設に限定されてきました。とくに東京都の場合は東北や北海道に入所施設をつくってきたために、本人たちの願いではない、隔離された地方に生活の場があるという現実があります。今後はいかに生活の場を地域に戻していくかが大きな課題だと思います。
 また、東京都では重度の障害をもった人たちの生活寮を制度化しましたが、三つ目に国分寺市が手を挙げて、昨年の2月から障害の重い人でも地域のグループホームで生活できることになりました。厚生省から今後は入所施設をつくらないで、3年間の訓練期間を経て地域に戻すという方向が出されていますが、その受け皿はまったく用意されていない状況です。今回の東京都の制度も補助金は少なくて、ほんとうに障害の重い人たちが地域の中でやっていけるのか非常に疑問ですが、その施策の充実をさらに求めて、知的障害者の地域生活を実現していくのが夢です。

●身近な交流を通して、心のバリアフリーを

金村

 結局は、心の問題に集約されていくと思います。先入観だとか偏見だとか、これがまたいちばん難しい問題ですが、一人ひとりが身近な人との交流を通して、障害者や高齢者に対してのバリアを取り除いていくようにしていくのが基本ではないかと思います。心がバリアフリーの人々が寄りあって社会が成り立っていけば、世の中は変わっていくと思います。行政とか、制度とか、上からのバリアフリーを唱えることよりも、一般市民の方々の心のバリアフリーが増えていくことがいちばん大事だと思いますので、そのような活動をしたいと思います。全国的な活動もしましたが、そこに尽きるのではないかと考えています。
 私は障害者団体は、ある意味で一時は衰退するのではないかと思っています。障害者としての団体という意識だけでは、閉塞感が出てきていると考えているからです。それを打破するには、市民的な活動をすることです。市民的活動の中からバリアを取り除いていって、それがひいては障害者の活動にフィードバックされていくと思っています。

●組織の民主化、地域で活動、新リーダーの養成も

阪本

 金村さんの話は、共感をもってお聞きしました。都身連もいろいろな問題を抱えています。具体的には四点あります。第1に障害程度の重度化、および高齢化の加速、第2に若手の新入会者が極端に不足、第3に財政基盤が不安定、第4に将来像があいまい、の四つです。
 21世紀の最初の10年から20年の間に、これだけはやっておきたいということが三つあります。一つは、障害者団体の組織体制を変えることです。いままでの障害者団体は、権利を要求する圧力団体という形でしたが、これからは受け身の福祉ではなくて、地域に役立つようなことをもっと積極的に展開できる団体にしなくてはいけない。つまり障害者団体だけではなく、いろいろな市民団体と横のつながりをどうもっていくかが大きな課題だと思います。そのためには意識改革が必要です。
 二点目として、地域の一員としての自覚をもつことです。最近、「えんとこ」という映画を見て感動しました。寝たきり状態の重度障害者の主人公遠藤さんが、人にやってもらうとか、していただくという姿勢ではなくて、自分の生きる姿をいろいろな人に見せて、地域の人との接点を得ながら生きていく。支えるのは、行政に頼まれた人たちではなく、ボランティア的にかかわっている人たちです。重度の障害者の方でも社会貢献ができるならば、我々ができることはたくさんあるはずです。
 三点目としては、新しいタイプのリーダーを育成できればと思います。他の障害者団体と情報を共有化するために、とくに役員の人たちは努力しなければいけないと思います。私がコンピューターの会社に入ったきっかけは、8年前に東京都・ニューヨーク障害者交流事業でアメリカに半月ほど行き、アメリカの障害者たちがコンピューターを使って、いろいろな形の社会参加をしているのを見て感動したからです。地元でパソコンを広めようと1995年から97年頃に活動しましたが、お年寄りにコンピューターアレルギーがあり、活動資金の不足や支援体制の不備などとあいまって、結局、活動の中止を余儀なくさせられました。いまの世の中には、携帯電話をはじめ、PHSとかEメールとかファクスも含めて、いろいろなコミュニケーションのツールがあります。若手のリーダーたちには、そういう技術を身につけてほしいと思います。
 私が所属している団体の中には、同じ方が長年会長を務めているところもあります。個人的にはいいかもしれませんが、組織としては民主的な評価制度をつくらなければいけないと思います。
 これはすべての障害者団体に言えることだと思いますが、活動資金は国や地方団体にはあまり期待できませんから、我々自身が活動資金を確保するために、たとえばネットワークの形でロビー活動を継続的にできるような体制をつくることも考えていかなければと思います。

●手話通訳養成所の設立、聴覚障害者の医師の誕生

大杉

 最近、全日本ろうあ連盟で成果がありましたのは、資格・免許の取得を制限している「欠格条項」の差別法改正運動です。聴覚障害学生懇談会、難聴者団体、難聴児をもつ親の組織、PTAなどいろいろな団体の方たちと力を合わせて、2年間運動を行いました。最初の目標は100万人署名でしたが、220万人以上の署名を集めることができ、自信をもつことができました。その流れに乗って連盟役員たちが、法改正の各委員会に出席し、意見、要望を述べてきました。21世紀には、うまくいけば10年以内に聴覚障害者の医師が誕生するだろうと期待しています。
 これからもいろいろな団体と情報を交換しながら、活動を進めていきたいと思います。
 連盟は来年度、手話通訳の養成を全国レベルで推進する社会福祉法人を設立します。手話通訳者の団体と一緒に準備を進めていますが、これは大きな変化だと思います。障害者運動の成果として組織を立ち上げることはできますが、その後の事業を進めるには専門家が必要です。そういう意味で、運動家と言われる人たちが運動をして、専門的な力をもっている人たちが事業を進めていくという、両者の協力がとても大切ではないかと思います。手話通訳養成研修所は1億円以上かかる膨大な事業ですが、21世紀初頭の大きな目標として、ぜひ成功させたいと考えております。

●「人権」をキーワードに連携を

鈴木

 2年くらい前から人権擁護に力を入れて活動しています。人権擁護は自立生活センターの活動の中でも大切なものですが、ある団体から助成金をいただいて、2年前に三人の女性にスポットをあてた人権啓発のビデオをつくりました。
 一人は30代後半の重度の障がいをもっている人で、自分で自分のことができないので自立や結婚はできないとあきらめていましたが、ピアカウンセリングに出会って、同じような障がいをもった人が地域の中で他人の介助を受けて生活していたことを知り、アパートを借りて暮らしています。
 二人目は、ある脳性マヒの女性が子どもを産もうと思ったときに、高齢で三人目だったので、羊水チェックを受けてお腹の子がもし障がいをもっていたら堕ろしたほうがいいと言われたのです。彼女は障がいをもっていてもいなくても、人は幸せになれるという自信をもってこれまで生きてきたのに、自分が生きてきたことまでも傷つけられたというところにスポットをあて、出産までの記録を撮りました。このことは、優性思想につながるのではないかと思います。お腹にいるときに障がいがあるとわかったら、抹殺されるという障がい者の歴史がまだまだあるのだと思い知らされました。
 三人目は、ドメスティックバイオレンス、夫に暴力を受けて障害年金を巻き上げられているケースです。彼女は夫の介助がなければ、トイレも食事もできないので仕方がないと思っていたのですが、自立生活の支援があって、今は離婚して自立生活をしています。
 人は、尊厳をもって生きる権利があると思います。尊厳とは、地域の中で安心して自信をもって自由に生きる権利です。ありのままで肯定される、存在するだけで愛されなければ、安心して生きられない。自信は、自分が好きであることです。障がい者は自分が肯定されることは少ないので、自信をもつきっかけを失わされています。自由とは、選択肢があることです。障がい者の人生は、自分で自由に選べていない。障がい者は、尊厳をもって生きる権利を奪われてきたというところにスポットをあてました。
 このように人権啓発のビデオを撮って、身近なところに大切なキーワードがあると思いました。ほかの障がい者との連携をとるときにも大事になってくると思います。

伊藤

 鈴木さんが言われたことは、いまの子どもたちにもあてはまる内容ですね。障害があろうとなかろうと、いまのお子さんたちは、勉強ができないとダメだと言われ、親に抑圧されているようなところがあります。ありのままの姿で愛されていないという意味では、同じように心のバリアフリーが必要ですね。

夢の実現に向けて思うこと

伊藤

 金村さんから、ほとんどの障害者団体の今の組織は一度衰退するのではないかという意見が出されました。ショッキングな意見ではありますが、それは新しい組織を生むための苦しみではないかと思います。阪本さんから出された具体的な話は、みなさん共通ではないでしょうか。組織も疲労しますから、その民主化は重要な課題だと思います。財政基盤も、いままでは行政から補助金をもらう形でしたが、大杉さんたちの活動では、自分たちが社会福祉法人を立ち上げていくようなアクティブな動きをされています。そのような活動を身近な地域から始めることが、心のバリアフリーにもつながっていくのだろうと思います。この点について、さらにご意見をいただけませんか。

●市民とともに運動を

金村

 障害者団体は、当事者が中心にならなければいけないのですが、障害者だけの枠で考える時代は終わり、障害者が一市民としていかに生きるべきかという時代に入ったと思います。障害者固有のハンディに対しての課題の解決には障害者団体で取り組んでいかなければならない部分はありますが、その切り口だけではダメだと思います。
 私は、市民活動でノーマライゼーションを推し進めている団体に入っていますが、国際交流や環境の団体などとは共通の部分があるので、いつも交流をしています。障害者同士のコミュニケーションも大事ですが、その切り口だけでは時代遅れだと言いたいですね。ノーマライゼーション、イコール障害者問題ではなく、ノーマライゼーションは障害者にこだわることはないと思います。

小沼

 さきほど生活支援センターを地域にと言ったのは、精神障害者のことだけを言っているのではなく、だれでも利用できるという意味です。私は独身で料理ができませんから、そういうところがあれば、ご飯を食べに行きます。お年寄りや一人っ子でも、それが必要な地域の人ならだれもが利用できるというイメージです。その辺りの連携をどうやったらできるかです。
 兄弟姉妹の会の仲間で船員の人がいます。外国に行って、たまに半年ぐらい日本にいますが、「外国に行って感じたことは、黒人を差別する人は、障害者も差別する。女性に暴力を奮う人は、障害者にも暴力を奮う。一つに対して差別する人は、ほかのことも差別する人になってしまう。だから、みんなが同じレベルで仲良くしなければならないのだ」という話を聞かせてくれました。これはすばらしいことだと思います。兄弟姉妹の会の枠を越えて、生活支援センターのようなものをつくりたいと思います。
 兄弟姉妹の会はできて25年ですから、まだ発展途上にあります。全国のあちこちに設立されてきて、今年3月には全国の交流会を開く計画です。兄貴もぼくも含めて、みんなが一人の市民として手をつないで暮らしていく。21世紀は夢のある世紀にしたいと思います。

阪本

 金村さんが先ほど「障害者だけの枠で考える時代は終わり、障害者が一市民としていかに生きるべきかという時代に入ったと思います」とおっしゃっていましたが、まったく同感です。小沼さんが「兄弟姉妹の会の枠を越えて、生活支援センターのようなものをつくりたい」と語っていらっしゃいますが、21世紀の最初の10年にぜひ実現したいものです。

●ITを一つの手段として

伊藤

 市民団体との連携はもちろんですが、障害者の団体同士の連携すらできていないのが現状です。行政からの補助金をもらって成り立ってきたというこれまでの状況に、いつまでも依拠していていいのかという課題があります。その問題の解決に、IT(情報技術)は一つの手段になると思います。これをうまく活用して具体的な情報交流を始めていくのも、重要な、現実的な一歩ではないでしょうか。

金村

 ITはもちろん大事ですが、情報は手段で、アナログチックな部分がこれからは問われてくると思います。アナログ部分が抜けると世の中は傾いていくと考えて、あえてアナログの道を進んでいます。人と会うことが基本で、20年後にはアナログの時代がまた来ると考えています。

阪本

 おっしゃっている意味はわかりますが、ITのデジタル化はハードウエアの話であって、アナログも同じハードウエアの話です。要は、ソフトのほうを大事にしましょうという意味ですか。

金村

 心の問題はアナログチックのほうが近いと思います。デジタル的な心の人が増えると、心の問題から反していくと思います。

伊藤

 それは医学的に言いますと、右側の脳と左側の脳の役割の問題です。人間が素直に育っていくためには、左脳のデジタル的な脳だけではいけないわけで、右側のアナログ的な部分も含めて、両方が発達しなければいけないという意味だと思います。ただ情報の入手しにくい方々にとっては、人と人が出会うための情報を得るという意味で、IT革命によって簡単に情報の交流ができるようになったことは大きな意義をもつのではないでしょうか。

阪本

 いまのコンピューター技術は昔と比べてかなり進歩していますが、障害者や高齢者にとって、まだまだ簡単に情報の交流ができていない、というのが残念ながら現実です。ITをいかに心のバリアフリーを含めたさまざまな活動に生かしていくのかは、今後の大きな課題となっています。使いやすい機器の開発やインターネットの接続料金の低価格化、サービスの充実など問題は山積していますが、障害者たちが当事者としてもっと積極的に問題や課題の解決に向けてアイディアを出して意見を述べ、取り組んでいく必要性を痛感しています。

大杉

 IT革命は聴覚障害者の情報格差を縮め、みんなと同じ人間としての文化活動を実現させてくれるのではないかと思います。特に、字幕放送の増加、携帯端末の付加機能の充実に期待していますが、ただ期待するのではなく我々がもっと運動して、IT開発と応用にかかわっていかなければいけないんですね。しんどいことです。

当事者活動の課題

伊藤

 障害者基本法の中に身体障害者福祉法と知的障害者福祉法と精神障害者保健福祉法があります。国は将来展望として、この三本の法律を一本にする構想をもっていますが、その前にサービスの交流を促進しようとしています。一方で、地方分権一括法を契機に、少しずつ地方分権が促進される状況にあります。そういう社会情勢からして、身近なところから具体的に活動を起こしていくことが大切なように思いますが、自分たちの活動をどのようにしていったらいいか、ご意見をいただきたいと思います。

鈴木

 昔は障がい者からの要求運動があって、作業所などができて助成金をいただくというパターンでした。私のところでも、自立生活センターができたときに助成金をいただいているのですが、それはステップにすぎないんです。
 私たちは障がいをもつ人が中心に活動を進めていますが、障がい者団体ではなく福祉サービス事業者なのです。障がいをもっているからこそ必要な支援がわかるという、ピア(仲間)な立場からサービスを提供しています。
 私たちはどんなに重い障がいをもっていても、地域で暮らしていくことを支援するために精神的なサポート(ピアカウンセリング)や生活技術トレーニング(自立生活プログラム)を行っています。また重度の人は、日常的に介助が必要なわけですが、それらに対しても介助者を派遣していくサービスを行っています。その中で障がいをもつ人の経済的負担を軽減し、介助を行政が保障していく流れをつくるためには運動的に新しい制度をつくったり、自立生活センターとしてはヘルパー指定事業をとっていくという次のステップが見えてきます。一番大切なことは、当事者が自分の人生の主役になっていく、そのための支援・サービスということです。
 私たちの地域には、自立生活センターのほかに作業所は7町村に3か所しかありませんが、連携を組んで、その中で当事者がどのようにリーダーシップをとっていくか、またほかの団体との連携をどのようにとっていくかが、今後の課題だと思っています。

金村

 松山では、ヘルパーの自薦式制度ができています。全国で最高の時間数だと思いますが、1日20時間です。そこに至るまでには長い歴史がありますが、リーダーの方々が行政と個別に折衝していくことしかないと思います。まずは当事者が勉強しなければいかんと思います。

鈴木

 まずニーズがあり、それをやってくれる介助者がいる。そして実績をつくるということを三本柱にして、私のところでもヘルパーの自薦式を取り入れています。

伊藤

 実践があって、それを確認して、実績をもって要求するということですね。

●障害者同士の支援体制も

大杉

 私は、障害者団体の将来はもっといい方向になるという確信をもっています。これまでは障害をもっている仲間で同じ目的をもって同じ内容の要望を出してきましたが、いまは聴覚障害者の仲間でもそれぞれニーズが違います。聴覚障害に加えて、目も見えない人、介護が必要な人も増えてきましたので、重複障害者を支援していく、その必要性も連盟会員一人ひとりが意識するようになっていると思います。
 たとえばろうあ連盟の婦人部では、結婚できないとか子どもを産めないとかの共通の問題があったのですが、最近は目の見えないろうあ者のために、触読手話通訳の勉強をしたいとか、介護の勉強をしたいとか、ホームヘルパーになりたいという人たちも増えてきています。勉強してほかの人たちを援助していきたいという思いをもっている人が出てきて、運動内容が時代の変化に合わせていい方向に向かっているのではないかと思います。
 何でもすぐIT、ITという最近の言い方は個人的にはあまり好きではありません。鉄でつくった船は構造的に水に浮きますが、木でつくった船は本質的に浮くんです。人間も社会も、本質的な部分のところで成長していくべきです。これからは、障害者団体が、当事者団体として主体になる形をとって、自信をもってがんばっていくしかないと思います。

●社会の中の一員として活動を

阿部

 一般の市民からは、なぜ少数である障害者団体の中で、もめ事があるのかが不思議だという声が聞かれます。いままでのお話にもあったように、同じ知的障害の子どもをもつ親でもさまざまなニーズがあります。子どもの年齢、障害の程度、身体、盲、ろうとの重複障害など、同じくくりのなかでは解決できない問題も出てきています。ですから、障害種別で権利を奪い合っていても何の解決にもならないと思います。
 知的障害の子どもをもつ親の悩みも、健常と言われている子どもを育てている親の悩みと一致する部分も多いのです。今年度、国分寺市に「子育て支援センター」をつくるにあたって、地域で子育て支援をしているグループのネットワークをつくっていこうということになりました。そこで分かったことは、今や、健常児の子育てさえ、決して家族だけではできないということです。子育ては、地域や行政の支援なしではできない深刻な問題を抱えているのです。そして、知的障害の子どもをもつ親のニーズは特別なものではなく、「子育て支援」という立場で、私たちの活動がほかの団体と連携していけることが分かりました。
 また、手をつなぐ親の会も若いお母さんたちの入会が少なくなっています。情報を得ようと思えばITを使っていろいろな情報を得ることができますから、いままでの障害者運動には魅力がなくなってきているのではないかと感じています。市民を巻き込んだ障害者運動に変わっていかなければ、今後は衰退していくのではないかと思います。

小沼

 よく21世紀=ITという図式を当然のように言う人がいますが、ITからしか人とのつながりがもてない今のこころの冷めた人や、私たち兄弟姉妹の会の者のように、当事者の兄弟には内緒だけれどぜひ悩みを分かち合いたい、あるいはそっと情報だけがほしいと思っている人には、ITは有効だろうと思います。
 しかし、本来は素顔で、素手で話し合ってこそ仲間づくりなのだと個人的には思っていますので、行政や各種の組織の受け皿一本化としてのそのためだけのIT化は、消極的でいいのではないでしょうか。
 これも、個人的な思いなのですが、いつまでも行政や事業体に〈利用される〉ばかりではなくて、少なくともギブ・アンド・テイク、そして可能なら、行政や事業体を私たちが〈利用〉したいですね。
 たとえて言うのなら「喜べよ、と与えられた福祉」から「必要だったのはこんな共存的な福祉です」へ。――これこそが21世紀型福祉なのだと願わずにはいられません。

阪本

 先ほど障害者たちが今後、もっと当事者として情報技術面でのさまざまな問題点や課題について、積極的に発言し、取り組む必要がある、と述べましたが、21世紀の最初の10年間に地域社会に「バリアフリー・コーディネーター」のような人材を養成する教育機関を作ることを最近考えています。そこでITの活用法を具体的に学ぶと同時に、障害別、年齢層別の指導方法も学びます。また各市民団体や組織同士のネットワークをつくり、定期的に情報交換や交流の場を積極的につくり出します。このような人材育成のプロセスの中で障害者を当事者として積極的に起用していく。将来的には、準公務員的な処遇を与えて、地域社会の活性化を図ることができれば、障害者の社会参加に新しい道を拓くことにもつながると思います。

伊藤

 21世紀は、当事者が主体になって活動を進めていく。そのためには、一定の実績を自分たちでつくって、それを核にして、組織の体制や財政基盤を強化していくのが、方法論として大切な気がします。
 同時に、障害の壁を越えていかなければいけないと思います。一般の市民の方々を含めて、お互いに知り合うことが大切です。人種差別の問題もそうだと思いますが、一緒に生活してみればわかってくることがたくさんあります。身近なところから地道に伝えていく。そういう活動を進めていきながら、21世紀は当事者主体の活動ができるような夢をもっていきたいと思います。
 時間がまいりましたので、この辺で終わりにしたいと思います。ありがとうございました。