音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

インタビュー
「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム
組織委員会委員長
八代英太氏に聞く

 2002年の秋、日本で三つの国際会議が開かれるのに伴い、障害当事者や専門家が世界から集まる。
 昨年12月6日に、これらの国際会議を推進するために国内の障害者団体および専門職団体が協力する「最終年記念フォーラム」が発足した。同組織委員会の委員長には、「アジア太平洋障害者の十年」を提唱した一人でもある八代英太元郵政大臣が就任した。
 八代氏はこの十年の動きをどう見ておられるか。また2002年をどのような思いで迎えようとしているのか、お話をうかがった。

編集部

 2002年の最終年記念フォーラムのお話の前に、「アジア太平洋障害者の十年」についてお聞きしたいのですが。

●国際障害者年と国連・障害者の十年

 20世紀を総括してみると、前半は戦争などの破壊活動などがあり、障害をもつ人にとっては、メインストリームに出られない、苦しみの時代ではなかったかと思います。その後、障害のある人が当たり前に自ら提言するようになったのは、1980年代です。一つの大きなきっかけになったのは、1981年の国際障害者年だったろうと思います。国連が決めたことですが、当時は、福祉の「ふ」の字もなかった時代でした。
 それから障害者自身が声をだして政策を提言したりという時代に入ってきて、DPIが誕生したわけです。これが1981年でした。世界の人口の3分の2を占めるアジアでこういった団体が産声をあげたという歴史的な1ページであるんですね。私は初代のアジア太平洋地域の議長になりました。それからキャンペーンのためにアジア太平洋の国を回ってきたわけですが、まだまだ福祉まで手がまわらないという状態でした。
 日本は欧米に対して追いつけ追い越せとやってきて、かなり欧米に並んだと思うんですね。しかし、振り返ったらアジアの国がはるかかなたに置き去りになっていたんです。われわれはアジアの中の一員です。やはりこれからはアジア太平洋というものをもっと大切にしていかなくてはならないと思います。障害当事者の指導者をアジアの国でも育てながら、かつて日本が欧米先進国に追いつけ追い越せと思ったように、いまアジアの国々は日本に追いつけ追い越せという機運が高まりつつあるという思いに立つと、日本は欧米で学んだことをアジアに伝えていく時代だろうと思いますね。

●日本の貢献

 アジア太平洋の国々が今抱えている問題は、貧困や病気の問題もあります。あるいは爆発的な人口増加の問題や経済停滞の問題もあります。アジア太平洋の国々には、いろんな言語や生活、文化、風俗、人種の違いはあっても一つになっていこうという思いで、日本はたいへんな貢献をしてきたと思っています。
 1993年にRNNがスタートしました。推進キャンペーン会議は専門家も障害者もみんなが参加して作り上げていく会議です。沖縄からはじまって各国で開催しています。またDPIは日本のJICAの協力によって各国でセミナーをやりながら、また毎年11月には各国の障害者のリーダーたちを日本に招いて双方向の交流を深めながら指導者を育成してきました。

●2002年は、21世紀への架け橋

 1992年に国連・障害者の十年が終わりました。終わる少し前から、あと10年国連・障害者の十年があったらなぁ、という声がだんだんアジアの国から沸いてきたわけです。1992年の北京のESCAP総会で「アジア太平洋障害者の十年」が採択されて、それが1993年から2002年までの10年となったわけです。
 逆に欧米には、いまさら障害者の十年ではない、という声がありました。アメリカではADAができましたし、カナダの人に言わせれば、ADAは古い。私たちはもっと前からやってきているということでした。ヨーロッパの人たちは、50年、100年前から社会的弱者への施策を行ってきました。「ノーマライゼーション」という理念は北欧から生まれた言葉なんですね。こんなことを考えていくと、欧米の国々は、わりあい「アジア太平洋障害者の十年」というのを冷ややかな思いでみていたわけです。
 「アジア太平洋障害者の十年」がはじまって5年後ぐらいに、アジアが経済危機に陥りました。厳しい経済のときは、「福祉」は二の次になるのが世のならいです。ようやくアジア太平洋も障害者の芽が出はじめたのに経済危機が到来して、その芽が摘まれてしまったわけです。しかしまた今持ち返しましたので、もう1回ノウハウを結集する時期ではないでしょうか。
 そして、その十年の最終年が来年に迫っているわけですね。新たな21世紀への展望を考えたとき、われわれの20世紀の最後の年は2002年で、2003年からが新たな21世紀。そしてそれが万人のための21世紀への大きな架け橋になるべき2002年ではないのかなとの思いがあります。
 2年前にメキシコでDPI世界会議が開かれました。2002年の大会をどこで行うかといったときに、それは日本でやりたいと、これが札幌大会と決まったわけですね。それからRNN推進キャンペーン会議も沖縄から始まってアジア各地を回りましたが、最後はもう一度日本で開催することになりました。この十年、各国がどういう取り組みをしたのか、この十年だけでよかったのかなど、総括してみたいと思っています。
 先進国は国連・障害者の十年はもういらないよ、といっていますが、アジアの国にとってはまだ必要ではないのか、というような声も聞かれています。ですから2002年の会議ではぜひ十年の総括をしたいと思います。

編集部

 2002年の最終年記念フォーラムに向けて、取り組みをお話いただけますか。

●障害者国際会議推進議員連盟の発足

 国際会議を三つ、四つと開催するには、国のほうにも動いてもらわないといけない。そのためには国も絡ませていこうと、国会議員の人たちに呼びかけたら、みんながいいことだね、やろうじゃないか、と。そして障害者国際会議推進議員連盟が誕生したわけです。会長は橋本龍太郎元総理大臣で事務局長には私が任命されました。現在は、220人くらいの人たちがこの議連に参加しています。国会議員にこういった動きがあったことを多くの障害者団体の方に伝えたら、団体のほうも、それではみんな一緒にやっていこう、お互いにハンドインハンドでいこうということになりました。心に障害をもつ人、体に障害をもつ人などあらゆる障害をもった人たちの団体のみなさんがほとんど参加をしてくださいました。そして昨年12月6日にその発会式があり、正式に誕生したわけですね。
 会議を開くのには多くのお金が必要ですから、たとえば北海道の道議会や札幌市議会でも予算を計上して誘致するという行政が動きはじめました。ですから国のほうもそのために動かしていかなくてはならない。そのために議連もその尖兵に立つということは当然のことですが、そうは言っても国だけの予算でできるものでもありません。それでは経済団体あるいは福祉財団の方にも運営委員会に加わってもらおうということで、経団連をはじめあらゆる財界の人たちにも今呼びかけをしているところです。

●アジアと共生する福祉の時代へ

 2002年の秋、このときは札幌で世界の障害者が集まり、そして大阪でアジアの障害者が集まる。その大阪には世界の障害者もみんな集まって、アジア太平洋障害者の十年のフィナーレをみんなで乾杯します。「終わり」は新たな始まりを迎えることにならなければなりません。ですから、それでは、ポストアジア太平洋障害者の十年をどうするのか、できればあと10年くらい再延長をすることも視野に入れています。これが大阪大会の大きな焦点になるだろうと思います。
 昨年の12月にタイ・バンコクでRNNの総会が開かれました。そのとき私は基調講演をして、この十年では十分な対応とは言えない。みんなはどう思うか。少し続ける必要があるのではないか。そのために日本に集まろうよ、札幌に集まろうよ、大阪に集まろうよと呼びかけをいたしましたら、大きな喝采をいただきました。アジアの国々も日本に非常に期待をしていますし、日本から発信されるアジア太平洋の新しい時代の障害者福祉に非常に期待をしているわけですから、まさに欧米を見つめていた福祉の時代から、アジアと共生する福祉の時代を、これからわれわれがどう作っていくかというような2002年の会議になっていくといえると思います。

●一大キャンペーン活動の展開

 2002年は来年ですが、短い期間の中での活動のポイントは、一つにポストアジア太平洋障害者の十年ということが上げられると思います。会議自体は数日間だけしかありませんが、そのプロセスのなかでキャンペーン活動があります。全国をいろいろな形でキャンペーンすることになると思います。特に今年の国会でも一つの動きとして、欠格条項の撤廃とか、あるいは障害者計画の策定が全国3200の市町村の5割にも満たない状況ですから、より多くの人たちに障害者問題を理解してもらうという一大キャンペーンというようなものをやっていく予定です。大きなタイトルをつけるとすれば「万人のための21世紀」ということが大きなテーマになるでしょう。そういう意味では、完全に一人ひとり人間としての社会への完全参加、社会における自立への完全な平等社会、そして障害者に対する機会の均等など、このような基本方針のもとに教育や途上国支援などキャンペーン活動を進めていくことになると思います。

編集部

 最終年記念フォーラムは障害をもつ人はもとより、広く社会一般の人々への呼びかけも重要になると思います。最後に本誌読者に一言お願いします。

●われわれの21世紀をつくる

 とにかくみんながともに生きていく共生の21世紀でなければならないわけですから、それから障害をもった仲間たちもこれからどんどん社会の中に出て行くわけです。何でも福祉は公助という時代ではなくて、これからは自立(自助)・共生(共助)という時代をつくっていくために、みんなが協力しあうまちづくりということが大切です。何よりも今風が吹いているのは、「バリアフリー」の風が吹いているんですね。つまりいろんなバリア、心のバリアもある、あるいは物理的なバリアがある。そういうものがバリアフリー化していくという時代が、いよいよ2003年あたりから大きく運動としてもりあがってくるのではないでしょうか。そのためにも最終年記念フォーラムの成功は大きなカギになると思います。
 本物の21世紀、われわれの21世紀をつくっていくことが大切です。このお手伝いを多くのみなさまにお願いをしたいと思います。