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文学にみる障害者像

『利腕』
ディック・フランシス著 菊池光訳

坪井良子

 ――私は腕から電池を抜いて充電装置に入れ、10秒後に指が動かなくなって初めて自分がしたことに気がついた。不思議なものだ、と思った。電池充電に伴う諸動作が第二の天性になってしまって、歯を磨くのと同様に、意識的な決断もせずに本能的に行っている。そして、初めて、自分が、少なくとも目ざめている間は、今の自分の左手が筋肉、骨、血とは無縁の金属とプラスチックでできたものであることに対する潜在意識を、ようやく振り払ったことに気がついた――。

 主人公のシッド・ハレーは落馬事故でかつての成功、栄光とともに騎手生命を絶たれ、負傷によって左前腕を切断し、肘関節を残した前膊部分が発するインパルスで作動する精巧な義手を着けている。その義手は爪、腱、静脈がわりの青い筋もあって、時には気付かない人がいるくらい本物に似ている。
 事故によって障害を負ったハレーは過去の栄光を引き摺り、屈辱を味わい、恐怖におののきながら死んだように生きていた。ハレーが甦るのはある事件に巻き込まれてからであった。後に、傷の癒えた彼は、探偵社の調査員として競馬界にうごめく陰謀に敢然として挑戦していくことになる。
 ハレーはすでに左手を失っている。ハレーの恐怖はこのうえ右手まで失うことへの恐怖である。その恐怖に対して彼は屈服する。しかし、本書『利腕』は、彼がこの屈辱感からいかに這い上がってくるかを描いた物語だ。

 ある時、かつて何回か騎乗したことのある馬主の妻ローズマリーの訪問を受けた。彼女の依頼事は、だれかが持ち馬のトライ―ナイトロに麻薬かなにかで細工をするに違いないから何事も起きないように、確実性を期してほしいということであった。
 トライ―ナイトロは見事な馬であった。

 ある日、シッド・ハレーは黒い服を着た男達に襲われた。目隠しをされ、麻酔剤を押し当てられ、右手首に黒い銃口が押し当てられた。骨、神経、腱に銃口の堅い感覚が伝わった。「頭がボーッとして、体中が汗まみれになった。人がなんといおうと、恐怖というものを私は充分に承知している。それは馬そのもの、レース、落馬、あるいはふつうの肉体的苦痛に対する恐怖ではない。そうではなくて、屈辱、疎外、無力感、失敗…それらすべてに対する恐怖であった。」……
 「手を引くんだ」「イエス」
 「永久に二度とわしを狙わない」「狙わない」
 「フランスへ行ってギニイが終わるまでとどまっている」「イエス」……
 私は、自分の無事な手首の彼方の暗がりを見つめていた。ようやく彼が銃を引いた。そしてパリに飛んだ。
 6日目の木曜日の朝、予定通りに2千ギニイ・ステイクスが行われ、トライ―ナイトロはイーブンの断然人気でスタートした――そしてしんがりで入った。
 それからの彼は、帰ることの決意とともに、内なる自分が自分自身にやれるということを立証しなければならないと決意し、そして、それには相当な努力のいることを思った。
 自分が失ったものは、一本の手よりもはるかに貴重なものであることを。手は掴むという代替物があるが、精神基盤が崩壊してしまった場合は、これからどのように生きていくのか。
 そして、彼は家に帰った、何もかもが以前と同じように見えながらも、完全に変わっていた。
 力の弱い上膊部を力強く動きのなめらかな右手で押さえて支えながら、体の外と内なる心のどちらを切断されたほうが片端としてひどいだろうかと考えた。屈辱、疎外、無力感、失敗……長年努力してきて今になって恐怖心に打ち負かされるようなことは、絶対にしない、どんなことがあっても許さないぞ、と惨めな気持ちで決心した。そして、なんとしても、やらなければならない。絶対にやらなければならない。やらなかったら、どんなことをしてみても、本来の自分にもどることはできない。いかなる代価を払っても、健全な精神を維持する途をとらなければならない。自分の体になにが起きようとも、たとえ自分ではなにもできない、不具になることすら耐えられるかもしれない。自分が永遠に対応できない。耐えられないこと……ようやく、鮮明、確実に理解できた……それは自己蔑視である。そして、彼は約束を破った。

 その後、競争馬に心臓障害を起こして人気馬が負ける操作として豚のワクチンを追究して、大金を儲けた馬主を暴いた。
 シッド・ハレーは、左手を失った障害者であり、義手による生活を維持していたが、心の底ではプライドの高い騎手であったのだ。しかし、もはやそれは現実ではない。その根幹となったものは、彼の膝の上にある力強い4本の指と親指、そして自立だ、と心の底で叫んでいたのだ。
 当初シッド・ハレーは、障害を負って、おののき恐怖の直中にいた。そして調査員として加わる中で、騎手としての真の自己との対面を通しながら、障害者としての自己は、身体的なものではなく、健全な精神を維持する途をとらなければならないことの自覚に目覚める。それが、彼の「自分が永遠に対応できない、耐えられないこと、それは自己蔑視である」と言わしめ、その言葉とともに復活したのであろう。
 著者ディック・フランシスの『利腕』は、ハレーの探偵調査員として始まっている。主人公のシッド・ハレーはディック・フランシスの『大穴』に続いて再登場している。フランシスの作品は、競馬の世界を題材としながら主人公は一作ごとに違い、このシッド・ハレーを除いて同じ主人公が登場する小説はほかに見られないようである。
 著者ディック・フランシスの伝えたかったことは、障害をもつシッド・ハレーの生き方そのものであったかもしれない。

(つぼいよしこ 山梨医科大学教授)