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1000字提言

ブラインドウォークに思う事

佐藤由紀子

 一昨年頃から近隣の小中学校を訪れる機会が多くなった。保護者の主催する親子教室や総合的な学習の授業の中で、視覚障害者や盲導犬について、30分から1時間ぐらいお話をするためである。環境や福祉について若い彼らが学んでくれるのはうれしい限りなので、できるだけ足を運ぶようにしているが、数多くの学校におじゃまし、実際にどんな授業が行われているかを見ていると、あながち喜んでばかりもいられない気がしてくる。
 特に首を傾げてしまうのがブラインドウォークや車いす体験等の「障害者体験」、二人一組になった子どもたちの片方がアイマスクを付け、もう一人がその子を誘導して校内の廊下や階段を歩いてみるのがブラインドウォークで、体験学習を重視する小学校では広く行われている。私がこれに違和感を感じる最大の理由は、多くの場合、指導の目的が「目の見えない人の気持ちを体験する」ことにおかれている点だ。突然アイマスクを付けられた子どもたちが感じるのは、おそらく恐怖感であろう。さまざまな意味でまだ生活体験の乏しい彼らがこの体験を通して得るものは、果たして正しい障害者への理解につながるのだろうか?
 ブラインドウォークの指導的意義とは、視覚障害者に対する正しいサポートの仕方を学ぶことにあると思うのだが、残念ながらこちらはあまり行われていない。「誘導する人の肩や肘をアイマスクを付けた人(視覚障害者)に軽く持たせれば、見える人が必ず見えない人より半歩先になるので安全に誘導できる」多くの先生方は、この初歩的な知識すら持っていないのが現実だが、彼らのほとんどが実際に障害者と接した経験もなく、学ぶ機会も与えられずにきているのだから無理もない。しかし、このちょっとした知識が子どもたちに伝えられるか否かで、せっかくの体験学習が実生活で活かされるかどうかが決まるのだ。
 現在の小学生が学ぶ環境や福祉に関する思想は、21世紀の社会のコンセンサスになる。その時、ノーマライゼーションの考え方がどれだけ社会に浸透しているかは、これからの小中学校での福祉教育で何を教えるか、にかかっているように思う。何をどう教えればよいのか、先生方も試行錯誤しておられるようだ。
 私たち障害者もこの課題に大いに関心を持ち、学校教育にかかわっていく必要と責任があるのではないだろうか。

(さとうゆきこ 茨城県在住・主婦)