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スタートラインに立つ

後藤久美

 少々古い話になるが、2000年の秋はオリンピックとパラリンピックのテレビ観戦三昧の日々であった。
 ある競技の1回戦試合前のシーン。緊張のあまり顔がひきつって落ち着かない一人の選手。そばには出場選手に選ばれなかった友人らしい人が寄り添っていた。その友人の表情はとても明るく、嫉妬や妬みなど全く無縁で、ただ彼を心から励ましていた。それはテレビを見ている私にもよくわかった。彼はようやく決心したかのように晴れ晴れとした表情で大舞台のスタートラインに立った。
 私は、国家試験を突破しながらも欠格条項という壁にぶつかり、薬剤師の免許を受け取ることができなかった。私は今、テレビを見て思う。自分の実力勝負の世界で大舞台のスタートラインに立とうとする彼らと同じく、薬剤師というスタートラインに立とうとした私。しかし、私は実力以外の部分でその夢を阻まれた。
 日本では「障害を乗り越える」という表現がよく使われる。しかし現実はそうではない。その人自身の実力や資質と全くかかわりのない環境や偏見を乗り越えなければスタートラインにすら立てないのだ。そこに立つことさえ法律で拒まれている。実力勝負で負けたのなら、おそらく私もこの友人のように明るい表情でいられただろう。いったん薬剤師というスタートラインに立てば、もはや障害など一切関係がない。全くの実力社会である。
 話は変わるが、先日、私がかかわっている耳の聞こえない子どもを集めたフリースクールにシニアリーグの野球部が見学にきた。それをきっかけに練習試合をすることになり、子どもたちは大喜びで都内のろう学校野球部の生徒を集めて即席チームを結成し挑んだが、相手チームのあまりの強さ、攻守交替の迅速な行動と丁重な礼に子どもたちは圧倒されていた。途中、相手チームの監督が選手をげんこつで殴るシーンがあり、ハッと息を飲む。なぜ殴られても頑張るのかと聞くと「甲子園という目標があるから!」との答え。ほとんどの子どもが聴こえるチームとの対戦は初めてだった。
 試合後、子どもたちは選抜チームをどうやってつくるか話し合いはじめた。都内のろう学校の選抜チームで甲子園の道に通じる大会に出場できたらどんなに素晴らしいことだろう。
 自分たちのやりたいことや夢をさまざまな壁に閉ざされても決してあきらめないで立ち向かっていく。自分たちのために、そして後輩のために。

(ごとうくみ 製薬会社勤務、東京都聴覚障害者連盟青年部委員)