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文学にみる障害者像

落語『一眼国』にみる障害者観

小野隆

 落語は文学なのかな、という問いに対して碩学の花田春兆氏が「書かれたものだけが文学ではないよ」と応じられた。そんなことから落語の演題の中から『一眼国』を捜した。もちろん、林家正蔵(のちの彦六)のものはラジオ時代に聞いたことはある。話の顛(てん)末は覚えているが、細部を、という段になると、これがやはり書物に頼らざるを得ない。筑摩書房から『古典落語正蔵・三木助集』が出ていた。
 噺(はなし)は文化文政頃に作られたもののようで、この頃には、「大入道」「三本足の女」「首なし」などが盛んに高座で演じられていたというから、科学と合理主義で固められたような今日では、考えられない新奇の眼と好奇心で、江戸の住人衆は接したことだろう。
 当時、すでに隅田川に両国橋が架けられていて、橋のたもとの両国広小路には芝居小屋、軽業小屋、見世物小屋、講釈場などが建ち並び、食べ物屋の屋台なども所狭しと出ていて、香具師(やし)*1 や大道芸人などの活躍の場所でもあったようだ。
 本題の『一眼国』は、件(くだん)の香具師が一儲けしようと小屋に新しい出し物を、と考えあぐねていたときのことである。「さあ…ごらんなさいまし…世にも珍しい怪物だァ、…目が3つで歯が2本だよ」。入ってみたら下駄が片一方おっぽりだしてあった。こんな調子の見世物小屋もあったくらいだから、大金をつかもうとする香具師にとっては、珍しいもの探しは死活のことである。
 そんなときに六十六部(ろくじゅうろくぶ)*2 に会う。「私ャね、両国に小屋を持っている香具師なんだがね。この頃じゃネタもつきたが、じん客(客人)も利口になっりやがって、やわな物じゃ引っかかってこないんだよ(中略)…お前さん方、年がら年中旅から旅を渡っていなさるから、珍しい話も聞いたろうし、また、見もしたろうからね、…それをあたしに話をしてもれえてぇんだ(後略)」。
 一膳のお茶漬けをごちそうしてあげると、そのうちこの六十六部が「ひょっと思い出したのがございます。恐ろしい目に会いましたンで、これを置土産にしていこうと存じますが…」と語り出したのは、よくは覚えていないが、江戸から北の方角、100里あまりも行ったところに、大きな原があり、闇も迫ってきたが人家はない、野宿をしようと思っていると、大きな榎の傍で、4、5歳の頭に赤いきれをのせて帯を胸高に締めた女の子に呼び止められた。…顔を見るとノベラで、額のところに眼が一つ、恐ろしくなって逃げ帰ってきた、という話だった。
 これを生け捕ってきて見世物小屋に出したら、江戸中の人気になり、大儲けできると、香具師は早速、教えられた大きな原の榎のところに出かけた。「おじさん、おじさん」と言う声に振り向くと、一眼の娘さんが居る。小脇に抱え込んで逃げようとすると、「キャアー」と声を上げたからたまらない、原のどこからかたくさんの大人が出てきてたちまち御用になり、代官所に連れていかれ、お白洲に引き出された。自分を捕まえた百姓や役人たちはみんな残らず額に一つ目である。「かどわかしの罪は重いぞ、面を上げい!」。「あッ!御同役…、こいつは不思議だねえ…目が二ッつある」「調べは後まわしだ。早速に見世物ィ出せ」。
 これがこの噺の顛末である。一つ眼などは生物学的には存在するとは思えないのだが、今でも異形の人たちは存在する。今日の社会では考えられないようなことだが、つい30年くらい前までは見世物小屋などの商売があった。
 ところで、我々が障害者と呼ぶのは今日ではそれぞれの次元で、どうとらえるのかということになるが、ここでの主題は形態的な障害者を取り上げている。珍しいから、一般では見られないから、存在しないから、という訳である。一眼では立体視はできないだろうなどという機能障害についてまでは触れない。「障害者とは何か」という、ごく初歩的な投げかけに対して、この『一眼国』の噺は、我々が障害者と言う場合には、何を根拠としているのか、ということを問うてくる。ことは単純で「多数者」が「正常」であるという、それだけのことを気付かせてくれるのである。われわれ『二眼』も『一眼国』に行けば、「異なりをもつ者」なのであり、見世物のタネとなる。
 我々の社会は、この「多数者正常」の原則によって形づくられている。あらゆる身近な生活の規範からはじまり、法律までもがこの原則に基づいている。この世界には『一眼国』の住人はいないにしろ、いろいろな異形の持ち主は存在する。ただ形態上の問題だけではなく、機能的な点から見ても多数者に属さない者もいる。卑近な例をとれば、色覚の多数派に属さない人は、交通信号等多数者本位の表示には識別に不便を感じるが、これなども多数者が正常であるという理由から取り決められているに過ぎない。
 また障害とまでは言えないかもしれないが、「左利き」の問題もあろう。わが国の伝統的な礼儀作法などでは、「右利き」を当然の前提として作りあげられていて、それに基づいて所作(しょさ)が教え込まれてきたし、戦前の軍国主義のもとでは、銃の操作の基本は「右利き」が前提であった。身近な例はほかにもいくらでもあるだろうが、少数者は多少の不便を感じるか、ないしは多数者に合わさせられてきていた。今でも合わされているから、とりわけ障害者の場合、多数者中心の社会では少数者が不利を有するので、法律の改正問題等が取り上げられている。
 障害者をいわゆる見世物にして、金儲けのタネとすることは、さすがに今日ではなくなった。『一眼国』が外題(げだい)として演じられていた頃は、珍奇な存在とし異者を観るというに過ぎなかったろう。
 我々はこのような外題が語られた時代の障害者観をどうとらえるか。これも考えてみたい。21世紀の眼からみれば、差別的であるとも、間違った障害者観ともいえるものも、「文脈」を無視しては考え得ない。歴史性や時代性さらに文化等を考慮しないで、批判をしてもあまり意味はない。経済学者の岩井克人氏が発言しているように「同じ人間であると言う意識─普遍的人権概念の基礎、これはすぐれて歴史的なものである。(中略)17世紀に、インドのムガール帝国のタジ・マハールの建設作業のなかで多くの荷役人や石工が苦役についている文章を眼にしたとしても、これが人権侵害にあたると思っただろうか。人間としての権利が損なわれていると感じたかは疑問である」*3 と。
 さらに一言、『一眼国』を捜しているとき、たまたま古本屋で榎本滋民著『落語小劇場』を手に入れた。ここで、榎本氏がこの『一眼国』をネタに『葦原将軍』(昭和43年明治座森繁劇団公演)を書いていたことを知った。明治天皇に直訴に及び、当時の東京瘋癲院に収容された元貧乏士族で、戦争反対を叫び、明治、大正、昭和の三代にもわたり半世紀以上も患者として在院し、自らを将軍さらには皇帝とまで称し、近代日本が軍国化していくことに抗議を続けたひとりの患者を題材に使っての作品である。「二つ目の人間が一つ目小僧をつかまえて見世物にしようと一つ目部落に踏み入ったらめずらしいとつかまって見世物にされてしまう、そんな話しが落語にあるが、正常・異常の別は数の多少にすぎず、価値の高低ではない」*4 と葦原将軍に言わせている。榎本氏の卓見には恐れ入った。障害者の問題がまだそれほど世人の注目を集めていない時期に、軍国主義批判を、障害者の問題に擬(なぞら)え、正常・異常を数の多少でとらえる発想を持ってしていたのである。
 最近では演じられなくなってしまったが、『一眼国』は、聞き方、読み方によっては障害者に対する的を射た話をしていると言える。江戸時代の庶民の常識に鋭さを感じる。

(おのたかし 本誌企画委員)

〈参考文献〉

1『古典落語 正蔵・三木助集』(ちくま文庫)
2『落語小劇場』榎本滋民(寿満書店新社)

〈注〉

*1 祭りや縁日などに、見世物や露店などを出して商売する小商人
*2 六部とも言う。廻国巡礼の一種。書写した法華経を全国66か国の霊場に一部ずつ奉納してまわる行脚修行僧。近世以降は一般庶民も行い、乞食の渡世となった。
*3 朝日新聞(2000年5月9日)思潮「市場と人権」岩井克人より
*4 『落語小劇場』(榎本滋民著・寿満書店新社)より