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法改正の実効性を促す配慮を求む

藤田保

 障害者等に係る欠格条項の適正化等を図るため医師法等の一部が改正されたが、相対的欠格条項が残されて完全には納得し難いという気持ちと、これでやっと門戸が開放され、21世紀に向けて障害者のひとつの夢が広がっていくのだという思いが湧いてくる。
 相対的欠格条項については、その運用を厳正にしてもらわねばならないとの思いが強いが、従来、欠格条項が存在したために、視聴覚障害者らが医学教育や医療職の養成機関で学習したり医療現場で働くにあたって、障害を補う手段やサポートシステムが皆無と言ってよい状態であるので、それらの必要性や重要性の理解と整備を進めるうえで、残された相対的欠格条項を逆にうまく活用すればよいのではないかとも思える。
 今回の改正は、聴覚障害をもつ医師として働く筆者をサポートしてきた当院や職員の考えが間違っていなかったことを示すが、今後、当院でのサポート態勢を整え維持するうえでの諸種の負担や労力が軽減されていく期待を抱かせるものでもある。
 つまり、障害を補ったりサポートしたりするには、障害をもつ者とサポートする者に相当の学習や負荷を強いるものであるし、とくに後者では、本来の医療業務とは関係ないとする見方も出てくるが、今まではこうした問題を院内のみで解決ないし処理してきた。しかし、法改正によって、今後は病院外の公的な資源やパワーを利用でき、その分、病院や職員の負担が軽減される可能性がでてきた。
 いずれにしても、法改正はやっとスタートの号砲が鳴らされただけを意味するものであり、実効が上がるかどうかはすべて今後の取り組みの如何(いかん)にかかっている。衆議院での附帯決議を評価したいが、これが円滑に進むようもう少し積極的に、法的に義務づけるとか、守られない場合の罰則を規定するなりの配慮がされてもよいのではないかと思われる。
 とくに、聴覚障害で言えば、教育・養成機関や職場環境でいかに聞こえが保障されるかということや、医療等の業務を適正に行えるかどうか判断される場合に、障害を補う手段が十分に整えられ、かつ障害者によって不公平になっていないかといった点が重要と考えられる。
 筆者の経験から考えても、障害を補う手段やサポートシステムの整備状況によって、障害者の業務遂行能力はかなり違ってくる。実際の業務はすべて一定の条件下で行われるものではなく、さまざまな状況があるので、それに応じて障害者の業務遂行能力も違ってくる。従って、どの状況で査定されるかによって評価も変わってくることも考えられる。音声を視覚的に表示する機器などの開発は急速に進むと思われるが、普及も伴えば聴覚障害者の利用に差は少なくなるであろう。
 しかし、聴覚障害をもつ医療職の場合、患者や同僚スタッフとのコミュニケーションの問題があり、これは相手の理解度や協力の仕方によって成否がかなり違ってくる。しかも、人間の理解度の深まりと拡がりには時間の要因が絡んでくる。つまり、一般的には時間が経てば疎通が良くなるので、こうしたコミュニケーションの問題から業務遂行能力を査定するのは必ずしも容易ではない。
 業務を適正に行えるかどうかについての具体的な規定は厚生労働省令で定められるが、医師等では業務の本質的部分の遂行にあたって認知、判断および意志疎通が適切に行えるかどうかが基準となり、その際、当該者が現に利用している障害を補う手段等で障害が補われ、または軽減されている状況が考慮され、その結果、医師等の免許取得の可否が決められるようである。かなり限られた業務の部分の査定、評価で決められるようで、それが妥当なのかどうかも含め、相対的欠格条項の適用の在り方については、今後、注意深い観察と検討が必要になってくると思われる。
 医療職の業務においては、心音、呼吸音、血管音、腸雑音等を聞かねばならないが、現在の工学技術は、これらを視覚的に表示することは難しくないし、コミュニケーションの利便性を高めることも含め,IT技術を駆使した機器は速やかに開発されて、より精巧で小型化されていくことが期待される。もちろん、いくら精巧な機器があっても、人や社会の障害者への理解や協力がなければ活(い)きてこないであろう。
 しかし、当院では手話を学ぶ職員は着実に増えてきているし、聴覚障害をもつ患者と話したいために健聴患者が提唱して手話の勉強会さえ病棟にできている。地道で継続的な取り組みは、徐々に確実な成果をもたらすように思われる。欠格条項撤廃運動も法改正で終わるのではなく、実はこれからの姿勢や取り組みで、その実効の成否が決まることを肝に銘じなければならないと思われる。

(ふじたたもつ 琵琶湖病院医師)