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住民参加で再建した阪急伊丹駅
―アメニティターミナル整備検討委員会を通して―

坂元和美

阪神大震災で駅舎が崩壊

 あれからもうすぐ7年―。
 たった20秒で人々の生活を一変させた阪神淡路大震災。私たちの住む伊丹市では、街の玄関口である阪急伊丹駅の駅舎が崩壊してしまいました。
 私たちは、「市民参加」が声高に叫ばれている今だからこそ、利用者の立場でその再建にかかわりたいという強い思いから、可能な限りの方法で「当事者参加」を訴え続けました。伊丹市、阪急電鉄への陳情はいうに及ばず、街頭でアンケート用紙を配布し、一般市民の新しい駅に対する思いを集約して1冊の冊子にまとめあげて、後でかかわることになる「阪急伊丹駅アメニティターミナル整備検討委員会」(以下、検討委員会)に要望書として提出しました。

街頭で配布したアンケート用紙

拡大図
図 街頭で配布したアンケート用紙

検討委員会に当事者が参加

 私たち、障害当事者が「策定段階からの当事者参加」を訴えて東奔西走している時、財団法人交通アメニティ推進機構(現交通エコロジーモビリティ財団)のアメニティターミナル整備事業のモデル駅に阪急伊丹駅が指定されました。その事業の一環として検討委員会が設置されることになりました。3人の障害当事者がその委員会のメンバーとして参加し、実際に利用する立場からの意見を述べ、それと専門家の方々の意見、行政としての意見、学識経験者の方々の意見とを調整し、お互いの納得のうえで設計図の変更を重ね、完成にこぎつけました。
 ここで大切なことは「お互いの納得のうえで」ということです。納得するためにはお互いに相手の主張に真剣に耳を傾け、それを真剣に検討しなければなりません。
 これまでいろんな場面で「市民参加」という名目で行政や事業体と市民との話し合いの場が持たれても、市民は「お願い」し、行政や事業体は「貴重なご意見をありがとうございました。今後の参考にさせていただきます」ということで終わるのがほとんどだったように思います。また、参加する市民も「お任せしますので、よろしくお願いします」というのを美徳(?)と信じているような各種団体のトップが肩書きで参加している場合がほとんどで、「検討」するための会議ではなく、開催することが目的のような会議であったように思います。
 しかし、今回の検討委員会は従来の形とは全く違い、参加したすべての人たちが、真剣に議論をたたかわせ、お互いの納得のうえで設計図を変更していきました。これが本当の「市民参加」の形だと私は考えています。
 また、この会議には委員として参加した3人だけでなく、多くの障害をもった当事者がさまざまな形でかかわりました。たとえば日々不自由な思いで暮らしている当事者が、各委員の随行という形で委員会を傍聴し、次回の委員会で3人がそれらの当事者の意見を代弁するという形をとり、1人でも多くの当事者の思いを委員会に反映させる努力をしました。

体験学習も実施

 既設の設備の中には、よくできているのに使いにくいという物が、まれに見られます。設計する段階で、実際に利用する人の意見に耳を傾けることをせずに、走れて、見えて、聞こえて、話せてバリバリ元気な人が、多分ここが不便なのだろう、そして、こうすれば多分使いやすくなるだろう等「多分~、多分~」と想像で設計した結果、このようなことが起こってくるのです。
 このようなことを最小限にとどめたいという思いから、委員の方たちにインスタントシニア体験(高齢者擬似体験)を一緒にしてもらいました。私たちの不自由さを肌で感じてもらうことで、私たちの言うことをより具体的に理解してもらえると信じたからです。これによってある程度共通認識が持てたのか、より議論が充実してきました。このことから、「同じ土俵で話し合う」こと(なかなかむずかしいことですが…)の大切さを学んだように思います。

住民参加のモデルとして

 このように進められた阪急伊丹駅の再建のプロセスは「住民参加」のモデルとなると確信しています。
 「住民参加」という言葉からは心地よい響きが伝わってきます。しかし、心地よいことばかりではなく、逆にしんどいことのほうが多いかもしれません。「こんなにしんどいのなら、なにも言わずにできあがった物に文句をつけているほうが楽やわ」と思ったことも何度かありました。しかし、自分たちの思いのいっぱい詰まった新しい駅から、最初に出ていく電車がホームから離れた瞬間の感動は、言葉では表現できません。しんどかった分、その感激も大きかった、やってよかった、みんなで一歩踏み出してよかったと痛感しました。
 この経験を通して感じたことは、「最初の一歩」を踏み出すことの大切さと大変さです。大変だけど踏み出さなければ何も始まりません。始まれば、何とか進んでいくものです。その「最初の一歩」を後押ししてくれるのは、「何とかして自分たちの思いを伝えたい」という執念にも似た強い思い以外にないのかもしれません。それぞれの置かれた立場で、それぞれの執念を大切に、「住民参加」による街づくりが展開されることを期待しています。

新駅のバリアフリー

 今回のプロジェクトにおいて、計画当初より変更された部分を二~三点挙げてみますと、1.エレベーターの設置位置、設置台数およびかごの大きさ、2.音声ガイドシステムの設置、3.緊急避難用スロープの設置、になります。
 駅舎が完成してから2年後、伊丹市によって駅前広場も整備され、そこには駅舎と同じ音声ガイドシステムも導入され、音声でバス路線を案内する案内板も設置されました。ノンステップバスも導入され、以前とは比べものにならないくらい利用しやすくなりました。
 おそらく参加したすべての人が、それぞれの立場で多くのことを学んだ会議だったと確信しています。まるでお互いに相手のあら捜しをしているような従来の形ではなく、知恵を出し合って協議し、協働で進めていく形の「住民参加」を成し遂げ、これまで不可能だと思われていたことも、お互いの努力と譲歩によって、やればできるのだということを実証できたと考えています。
 このような形の「住民参加」が本来の「住民参加」の姿でしょう。行政に「お願いする住民参加」は過去のこと。これからは「一緒に進める住民参加」であるべきです。そのためには、「住民」も力をつけなければなかなか行政と互角に話しあえません。なにせ相手は毎日それを仕事にしている「プロ」なのですから…。
 最後に、今回の阪急伊丹駅の再建のプロセスは『究極のバリアフリー駅をめざして』という本にくわしくまとめられ、出版されています(発売:大成出版社、発行:交通エコロジーモビリティ財団)ので、興味のある方はそちらもあわせてご覧いただければ、より具体的にお分かりいただけると思います。

(さかもとかずみ 障害者とともにバリアフリーを考える伊丹市民の会)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2001年11月号(第21巻 通巻244号)