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つたわってくる・つたわっていくことのおもしろさ
―一人の読者から―

立岩真也

1 「乗り」が伝わってくるおもしろさもある

 どの雑誌のことだったのだろう、「障害者関係の雑誌」を読んでも、がんばってる人ばかりでてきて、しこしこやんなさいみたいなことばかり書いてあって落ち込むだけだったと安積遊歩が言っていた(安積他『生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店、29頁)。代わりに、他の人は知りませんけど私はこういうモードでやってます、というか、人生どうせこんなもの、みたいな、そういう文章がけっこうよかったりする。本誌のような立派な雑誌にはなかなか載らないが、小さめのメディアにはわりあいあって、昨日の夕飯何食べたみたいなことが書いてあるのだが、こういうもののつまらなくもおもしろい魅力は捨て難いと思う。
 自分や、自分たちを表現する。ちかごろは「障害者文化」と言ったりするのだろうか。それ自体が活動であり、作品であるようなものがある。以前からおもしろいのは「わらじの会」(埼玉県)の『月刊わらじ』で、なんと言いましょうか、ポップである。「ピープル・ファースト」の機関誌にもそんな手触りがある。また私たちは、広報誌・機関誌ではないが『そよ風のように街に出よう』(りぼん社)といった雑誌の発刊自体が大きな意味をもっていたこと、そしてかるがると、と言うべきか、かつかつと、と言うべきか、なんとかやっていることを知っている。
 そういうものに比べるとたいていの機関誌はそうおもしろくはない。それは仕方がない。伝えるべきことがあるからだ。必要なものはおもしろくなくても必要なのである。ただ「編集後記」をまず読む人がいる。本の「あとがき」しか読まない人もいる。どこかに非公式の部分、ロックでそして/あるいはポップな部分があると楽しい。

2 喧嘩をながめるおもしろさもある

 もっと公式に統一のとれていない機関誌というものもまれにある。ハードに、まじめにアナーキーとでも言うのでしょうか。とんでもないと思ったのは、前記『生の技法』を書いている時に読んだ、かつての「青い芝の会」の機関誌、とくに神奈川県連合会の『あゆみ』だった。うちわで大喧嘩をやっている総会の議事録がえんえんと再録されているのだ。ワープロもなかった時代である。活動を支援していた人がいかにこき使われていたか、あるいは熱心だったかということでもある。こんなことはなかなかできない。それでも、少なくとも書いてあることは公式見解だけである必要はない。
 もちろんきちんとした活動報告はそれとして必要である。総会の議決事項があり、予算と決算がある。これはこれとして伝える義務はある。きちんとした組織であればあるだけそういう部分が多くなる。それは仕方がない。ただ、政党にしても宗教団体にしても、よほどそれに「ぞっこん」という人でなければ、組織からの発信、組織としての発表に、うちわで盛り上がっている雰囲気を感じてしまい、ときに虚しく思え、冷めてしまうことがある。大本営発表という言葉もある。すべてが円満に行っているならなにも言うことはないのだが、実際にはそんなことはそうない。メディアは議論の場、対立の場でもありうる。収拾のつきそうのない対立が表に出ることは組織にとって痛手であることもあるだろう。互いに顔の見えないメイリング・リスト等では泥沼の争いになることもある。だが、喧嘩や対立の中にときにとても重要な論点のあることがあり、それが運動を前に進めることもある。少なくとも私はそういうところから受け取るものが多かった。

3 それにしても記録は大切だ

 そして、日常や論争や対立も含め、その現在を残していくこと。ほんとうに人はなんでも忘れてしまう。忘れないため、忘れても後で辿れるようにするため、そのときどきの記録を残しておくことが大切なことはみなわかっている。けれど毎日が忙しいからなかなか時間をとれないのだが、機関誌の発行日に追われるのはペースメーカーになる。ここ数十年の間に数多くできた組織も、同じ人がずっとやっていけるものではない。交替の時期が来る。いやもう来ている。以前とは違うことをするにしても、その以前についてひとまずのことは知っておいたほうがよい。そんなことのためにも資料はきちんと残っていたほうがよい。その中に何が争われたのか、何が考えるべきこととしてあったのかも残ってほしいと思う。そしてそうした記録を失わないこと、みなが読めるようにしておくこと。このことについては花田さんが書いてくださるだろうから、ここまで。ただ記録、記憶の媒体としても、電子メディア、ホームページは有効だと思う。ではそこへ。

4 どうやって楽しみながらばらまくか

 もちろん広報というぐらいで、知らせ、わかってもらい、それが力になることが一つの大きな目的だ。そのために多くの人に読んでほしい。紙媒体、郵送の場合、その読者は会員や定期購読者が主で、ある程度の理解者(と見込まれる人)となる。苦労して作ったのだし、多くの人に送ったほうがよいが、それにしてもそうたくさんは送れない。そして未知の人の宛て先はわからない。郵便物が届くうれしさとか、紙ざわりや紙の軽さ、ページを飛ばし読んでいく快感はあるから、紙媒体はそうそうなくならないが、同時に、世間に広く知らせるにはホームページがよいし、速く知らせるにはEメイルがよい。これらでお金を徴収するのは面倒だが、広報活動を収入源にすることはそうないなら、あまり気にしなくてよい。むしろ、情報が多量で、時間の経過につれ状況がどんどん変わっていき、印刷媒体では追い付かない部分、印刷しても容易に金銭的コストが回収できない部分がある。となるとホームページのほうに載せ、見たい人がその時に見るようにすればよい。たとえば「欠格条項をなくす会」の活動に必要な情報、その活動が産み出す情報は膨大で、しかも日々変化していくが、この会はそういうメディアを活用している。
 広い範囲の人に伝えられる態勢をとること。そして情報量と更新のスピードが大切だ。もちろんそれもみながわかってはいる。だが、今のところそれほど有効に使われていないことが多いように思う。
 そこで、あまりこらなくてもよいと思う。更新を他の人に頼んだり、手間がかかったりするとおっくうになってしまう。ホームページの表示が遅いのにいらいらすることも遠からずなくなるだろうが、今はまだ遅い。視覚障害をもつ人への対応も必須だ。私がやっているホームページがあまりにそっけないことを正当化しようというのではないが、とりあえずシンプルでよい。かっこを気にするのは後でもよい。
 そして手続きを簡素化し、自動化し、速く広く安く伝えることを考える。組織の場合、その承認を得る必要があるということもあるのだろうか、「公式ホームページ」で充実したものは意外に少ない。どこまでは情報を出すということを広めに決め、決めたらその中に入るものはどんどん載せていく。使いまわしができる部分は使いまわす。まず入力し、メイルで関係者に送る。メイルマガジンという手もある。機関誌・広報紙に掲載する。そしてそれをホームページに掲載し、蓄積し、記録の役にも立てる。
 さらに他のサイトを利用すること。検索してたまたま辿りつき、中には「お気に入り」に登録してくれる人もいるだろうが、かなり強い関心がなければ、そうまめにはなれない。作るほうもそうしばしば更新するわけにもいかないから、次に見ても同じかというわけで、訪れることが少なくなる。しばらくしてのぞいてみたりすると、企画がもう終わっていたりする。行事予定にせよ意見表明にせよ、どこかに集め、そこから各団体のページにリンクさせるという手がある。
 当方で運営しているホームページ(http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1.htm 私の名前で検索しても出てくると思います)に「これからあること」欄を作ってイベント等の案内を、「全文掲載」欄を作って声明・抗議文等々を掲載し、リンクさせている。最初のころ、月に何十通かは届く機関誌からイベント情報を拾って入力し掲載するといったことを試みてもみたが、個人の力では限界がある。メイルを送っていただくのがよい。「DPI日本会議」や「Protection & Advocacy JAPAN 研究会」「東京ハンディキャブ連絡会」等からは各々充実したメイルマガジンを送ってもらっていて、それを掲載し、「これからあること」等から参照できるようにしている。よろしかったらお使いください。

5 ゆっくり画面をみる/となりと仲良くなる

 結局あわただしい話になってしまった。実際、私たちはいま電話帳を調べたり辞書を引くようにホームページを使うことが多い。接続料や電話代が気になってゆっくり読めない。しかしそう時間がたたずに、そうではなくなるだろう。この時、ホームページはじっくり読むものとしても現われる。
 拙著『私的所有論』(勁草書房)では「視覚障害者労働問題協議会」の機関誌『障害の地平』に掲載された文章からいくつか引用させてもらった。みながてんでに書いている文章の中にとても重要なことが言われている部分があると思ったからである。もちろん、それは私の観点からだが、読者それぞれにすごいと思えるものがあるはずだ。それは今まで購読者が多くて何百人というメディアに載っていた。そうしたものがウェブに載り、それを時間を気にせず、ゆっくりじっくり読めるようになったらよい。いま私はALS(筋萎縮性側索硬化症)のことをすこし調べている(当方のホームページに関連ファイルあり)。たとえばその当事者の一人、橋本みさおさんのページをゆっくり読んでみてください。濃い、ですよ。
 そしてそんな仕事をしながら思うのは、今までなかったつながりを作っていくことの大切さだ。たとえば「ベンチレーター使用者ネットワーク」に『アナザボイス』(Another Voice)という、まず誌名が良く、そして中身も充実している機関誌があり、また、「障害者自立生活・介護制度相談センター」発行の『全国障害者介護制度情報』というおそるべく役立ち情報満載の機関誌がある。また「日本ALS協会」の『JALSA』はごくまじめな機関誌だが、よく読むとなかなかおもしろい。これらの組織・活動は、人工呼吸器、介助・介護といった主題をめぐって、本来は、浅からぬ関係をもっているはずだ。さまざまな組織が、互いに機関誌を送ったり(贈ったり)、交換したりして、つながりが広がっていくとよいと思う。新しいつながりを、自分たちのメディアを介して作っていく。組織を担っている人は、そんなことにも自覚的であったらよいと思う。

(たていわしんや 信州大学医療技術短期大学部)