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文学にみる障害者像

『車椅子の上の夢』
ジャン・ハイディー著 飯塚陽訳

鈴木麻純

 物語の舞台は中国、「プロレタリア文化大革命」の始まる1966年5月より1年半ほど前の冬(主人公 方丹(ファン・ダン)、9歳)から始まります。10年の動乱と呼ばれる文化大革命の引き起こす世の中の変化や悲劇のさまざまを、約7年間にわたって方丹や彼女を取りまく登場人物の視点で描かれていきます。
 作者の張 海迪(ジャンハイディー)は、5歳で両足の自由を失った自分と主人公の方丹を重ね、彼女自身の苦しみや喜び、希望をこの物語に示しているようにも読み取れます。
 ――両足の感覚を取り戻すために私は毎日、足の指を手で動かしたり、腿やすねを真っ赤になるほどさすったりもんだりしたが、どうがんばっても足は動いてくれなかった。…この足が私にどれほどさみしい思いをさせたか、母をどれほど悲しませたか…あざと引っかき傷がいくつもできたが、私の足は少しも抵抗せずにうなだれている。私は急に済まない気持ちになり、両手で私の足を引き寄せ、強く抱きしめた。この両足は、いじめられたことも感じとれない。それがいっそう悲しかった。…
 方丹は、母のくれた赤い靴に希望を抱き、学校に行きたいと懇願しましたが、学校は障害児を入れてくれませんでした。方丹は、毎日部屋の窓辺に座って過ごします。方丹の世界は、窓から見ることのできる風景と本の中しかありませんでした。楽しみは、毎日のように方丹を思いやって訪ねて来てくれる友達と過ごすひとときでした。
 「…方丹はかわいそうなのよ。頭も悪くないし、いい子なのに、歩けないから毎日ひとりで部屋に閉じこもってるんだ。あの子は友だちがほしいのよ。あたしたちみんなが必要なの。方丹に会うまでは友だちなんて、いるのが当たりまえと思ってたけど、でも歩けない子の前では、友だちってほんとに大切だって思うよ…」
 友だちは時折、方丹の好きな本を持って来てくれたり、それぞれの特技のピアノや踊りを披露したりしては方丹を喜ばせてくれます。しかし、そんな子どもたちの平和な日々も、世の中の革命の動きとともに少しずつ変化していってしまいます。方丹の部屋の窓も、いつしか子どもに混乱した世の中を見せないほうがいいという両親の考えから新聞紙でふさがれてしまいます。
 そうしたある日、方丹の父親は、新聞で批判されてしまいます。“反党反社会主義分子をたおせ!”“反革命修正主義分子をたおせ!”仲良しだった友だちの燕寧(イエンニン)も赤い腕章を誇らしげにつけ、紅衛隊になって反動派の人々を取り締まる役目を務めるようになります。彼女のやさしい微笑みは消え、いつも冷酷な表情で“牛鬼蛇神”と呼ばれる人々を監督します。みんなで仲良く笑っていた頃とはずいぶん変わってしまいました。
 「方丹、病気だからって“文化大革命”から逃げたらだめよ。あなた父親とは、はっきりけじめをつけたの!?」「方丹、早くパパと縁を切りなさい。それともいっしょに反革命をやりたいの?」顔を上げると、紅衛兵たちはみな感心して燕寧を見ていた。昔のよしみにとらわれず敢然と闘う姿勢に満足した、とでもいうのだろう。「…この先、二度とパパと口をきいたらだめよ。パパなんて呼ばずに“反革命”って呼ぶのよ!」
 方丹と妹は大好きなパパのことを非難され、とても苦しみます。方丹のほかにも、両親が反動派だったために、優秀なピアノの才能があるのにもかかわらず、文芸工作隊の入隊を断られた友達、白血病で死んでしまった友達、兄の反動の罪を背負って遠くへ行ってしまった友達の様子が痛々しく描かれます。文革の始まりに対して子どもたちが熱狂的に順応したり、犠牲になったりしていくなかで、方丹は多くの悲しみを味わい、70年代最初の春のある朝、家族と一緒に陶荘(タオジュワン)という黄河を越えたはるか遠くの小さな農村へ引っ越します。
 後半は、この村での方丹の活躍ぶりと、貧困のために引き起こされた村人たちの悲劇の数々が描かれていきます。方丹は、陶荘に行ってから村の人が作ってくれた木の車いすを使って、毎日子どもたちに囲まれて生活していきます。取り合うように子どもたちに車いすを押され、方丹の世界も次第に広がっていきます。前半のいつも受身な姿勢だった少女とは違い、方丹は他人を助けるために手を差し伸べ、精一杯の努力をしていきます。
 方丹と子どもたちの様子がいきいきと魅力的に描かれていきます。方丹が、陶荘に来たばかりの頃の子どもたちは、しつけも悪く、しばしば差別やひどいいたずらもしましたが、子どもたちはあっという間に方丹に親しみ、だんだん聞き分けの良い子どもに成長していきます。そんなある日、方丹に学校の先生になってほしいという夢のような依頼が来ます。学校に行ったことさえない方丹が、まず勉強する環境づくりから始め、今まで勉強することが認められなかった女の子まで教室に招き入れます。次第に子どもたちは学ぶ楽しみを味わいます。
 しかし、突然、党の上級機関から査問グループが派遣され、方丹の父を連行していき、反革命分子の方丹にも、決して学校で授業をさせてはならないと命じられてしまいます。
 陶荘に来てからは、広々した平原が私に新しい希望を与え、やさしく素朴な人々が私に新しい熱意を植えつけた。この痩せた土地のために働けなくなって焦った日々も長かった…ようやく私にも奮闘できる場所が見つかったというのに。…
 しかし、方丹は、もう希望を捨てるようなことはしませんでした。彼女は新たな大きな夢に向かって着実に歩み始めたのです。医者になるという夢を現実にするために、毎日医学書をひたすら読みふけります。そして、方丹は、ついに、村の子どもの病気を治すに至るのです。顔に膿ができ、いつも不潔で周りの子どもたちにいじめられていた女の子、難聴でうまく喋ることのできなかった子…。方丹の治療で病気が治り、彼らが喜ぶ姿は、読者のみなさんにも感動を与えるでしょう。方丹は、多くの人々に希望を与え、彼らの夢を叶えられるようにまで立派に成長したのです。
 この物語全体に、作者の芯の強さと、読者に対する熱いメッセージが込められていることがよくわかります。作者は言っています。
 「…子どものころ、他人が私のことを不具だというのを聞くと、いつも私の脆く弱い心は傷ついた。…しかし運命の打撃に屈する気には一度もならず、いつも自分の両手で未来を切り開くのだと思ってきた。…寛容とは言いがたい人生に寛容な微笑で向き合うというのが私の憶えた方法だ。」
 作者 海迪(ハイディー)の強さを反映した主人公方丹の生き方に勇気づけられ、熱い思いが込み上げてきます。

(すずきますみ 法政大学人間環境学部学生)