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「アジア太平洋障害者の十年」最終年を迎えて
-新しい時代をひらく、チャンスの年に-

関宏之 大阪フォーラム組織委員会事務局長
丸山一郎 最終年記念フォーラム国際会議委員長 RNN事務局長
西村正樹 札幌フォーラム事務局長
藤井克徳 最終年記念フォーラム総務・企画委員長、本誌編集委員

「アジア太平洋障害者の十年」最終年までの流れ

藤井(司会)

 明けましておめでとうございます。いよいよ、「アジア太平洋障害者の十年」の最終年が幕明けとなりました。国際的には、障害者権利条約の採択に向けての第一歩を踏み出そうとする動きや、「アジア太平洋障害者の十年」後の検討が始まっています。国内的には、「障害者差別禁止法」の機運が高まってきたり、新障害者プランの策定に向けて政府も動きつつあります。
 そのような状況を踏まえて、今日は「アジア太平洋障害者の十年」に関係の深い3人の方にお集まりいただき、改めて「アジア太平洋障害者の十年」の意義や成果、今日の関連動向を意識しながら最終年の各種事業がどのように予定されているのか、さらにはいわゆる「ポスト十年」をどうすべきか、これらをめぐってお話いただきたいと思います。
 最初に「アジア太平洋障害者の十年」の最終年に至るまでの流れを簡単におさらいしていただきましょうか。

丸山

 1975年に国連で「障害者の権利宣言」が採択され、障害をもつ人々に関する国際協調が始まりました。1981年には、権利宣言を周知するための「国際障害者年」が、また「障害をもつ人に関する世界行動計画」の実施のための「国連・障害者の十年」がありました。権利宣言で唱われた内容や、世界行動計画で示されたさまざまな目標は簡単に実現するものではありませんが、この四半世紀は大きな盛り上がりがあったと思います。
 このような国際協調の動きの中で、日本はさまざまな施策などを前進させたという経験と、国際的な協調を進めることが国内の障害をもつ人々の状態を改善していく力になるという考えから、日本が「アジア太平洋障害者の十年」を提案して、今年が最終年となるわけです。ですから、障害をもつ人々の参加と自立をめざした世界的な動きの一つの区切りの年と考えていいと思います。

藤井

 この10年に限って振り返りますと、どのような経過をたどっているのでしょう。

丸山

 オーストラリア、ニュージーランドの先進国を除くと、アジア太平洋地域は、「障害者の権利宣言」「国連・障害者の十年」と世界行動計画の影響はほとんどなかった国が多かったといった状況でしたが、「アジア太平洋障害者の十年」が始まると、それぞれの国で何らかの取り組みがなされてきました。法律をつくった国もいくつかありますし、昨年行ったベトナムでのキャンペーンでも、障害に関する新しい大統領令が出されました。しかし、各国で協調行動をとるという効果は出ていますが、行動課題を具体的に実施するところまではまだ至っていない国がほとんどです。

これまでのキャンペーン会議開催一覧(本誌2001年2月号20頁~21頁より)

開催年度 開催地 テーマ 参加国 参加人数
1993年 沖縄
(日本)
「障害者の社会参加を進める沖縄会議」 16か国 309人(うち障害のある人200人)
1994年 マニラ
(フィリピン)
「地域協力と社会啓発」 10か国 300人(うち障害のある人160人、日本人98人)
1995年 ジャカルタ
(インドネシア)
「すべての人への支援の実現」 41か国 500人(うち障害のある人200人、日本人101人)
1996年 オークランド
(ニュージーランド)
「参加:平等へのステップ」 88か国 1400人(うち障害のある人400人、日本人166人)
1997年 ソウル
(韓国)
「アジア太平洋障害者の十年:後半5年の成功に向けて」 45か国 1000人(障害のある人260人、日本人324人)
1998年 香港
(中国)
「2つの世界-地域の課題の地域的解決、地球的課題の地域での解決」
36か国 1621人(うち障害のある人350人、日本人165人)
1999年 クアラルンプール
(マレーシア)
「工業社会への障害者の参加促進」 16か国 260人(うち障害のある人200人、日本人139人)
2000年 バンコク
(タイ)
「なくそう社会の障壁(バリア)」 30か国 505人(うち障害のある人300人、日本人162人)
2001年 ハノイ
(ベトナム)
「障害者の社会統合の促進」 37か国 1759人(うち障害のある人は約80%、日本人201人)
2001年 大阪
(日本)
「障害者の権利実現へのパートナーシップ」   2000人(予定)

札幌フォーラム、大阪フォーラムの意味合い

藤井

 「アジア太平洋障害者の十年」最終年に合わせて、第6回DPI世界会議札幌大会(札幌フォーラム)が行われます。札幌フォーラム事務局長の西村さんは、最終年のもつ意味合いをどのようにお考えですか。

西村

 北海道でDPI世界会議を開く動きが芽生えたのは、「国連・障害者の十年」の最終年の92年、DPI日本会議が主催した最終年記念イベントに、DPIの世界の役員が4人きて、当時の事務局長のヘンリー・エンズさんが、我々が主催した札幌の講演会にきてくださったのがきっかけでした。
 私は83年に北海道庁に就職して、障害当事者という視点から仕事に取り組んできましたが、81年の国際障害者年の障害者の「完全参加と平等」というスローガンを受けて、まちづくりなどはずいぶん変わってきたと思います。根本的に何が変わらなかったかというと、障害者はなりたい存在ではないし、かわいそうな存在だということを、行政の立場と当事者の立場で感じざるを得ませんでした。そういうなかで、DPIが唱えている障害者の当事者性や権利性は非常にインパクトがありました。この考え方が、障害者に関する分野全般で権利性が拒否されている日本に求められていることだろうと感じてきました。
 「アジア太平洋障害者の十年」の最終年にDPI世界会議が開かれますが、一つの通過点だと思います。その通過点の中で、「障害者権利条約」の制定やポスト十年を具体的なバリアの除去をテーマにしようとする取り組みは非常に重要ではないかと思います。2002年のDPI世界会議、大阪でのRNN、RIの大会、滋賀の「アジア大平洋障害者の十年」最終年ハイレベル政府間会合(政府間会合)で、障害者の課題、また障害とは何なのだろうかということを含めた権利条約の制定をめざしていきたいと考えています。

藤井

 大阪フォーラムも重要な意味を持つことになりそうですが、関さんいかがでしょうか。

 「国連・障害者の十年」「障害に関する世界行動計画」は世界各国にさまざまなインパクトを与えました。とりわけ、〈handicap〉を障害者が遭遇する文化的(ひと)・物理的(もの)・社会的環境(しくみ)における障壁(バリア)だとした点に大きな意味があります。わが国でも「長期行動計画」や「障害者プラン」において〈バリアフリー〉の理念が確認され、また、当事者の関わりを鼓舞して能動的な改革機運が開かれたと思います。
 「アジア太平洋障害者の十年」は、その精神を継承してアジア太平洋地域において具体的にバリアフリーの展開を促すトリガーとしての役割を担うことにあったと言えます。その最終年にあたって大阪に「ビッグ・アイ」という記念施設が建設されました。ここに多くの障害者や支援者が集い、その意味を再確認するとともに、この10年の成果を検証し、さらには今後の障害者問題を展望するという意味合いがあると考えます。

藤井

 丸山さんは、全体を通して「十年」の成果をどのようにお考えですか。

丸山

 「アジア太平洋障害者の十年」の最終年フォーラムを提案したのは、日本の障害団体の人たちでした。日本は「国際障害者年」や「国連・障害者の十年」に積極的に参加して、障害とはどういうものか、何が障害の原因なのか、社会環境全体を変えていかなければいけないなど、当事者が中心となって運動をして社会に理解させた成果を上げています。
 その日本が、国際協調を行うことを続けなければと提案したのが「アジア太平洋障害者の十年」ですから、積極的にリードしようという気持ちがありました。障害団体と民間関係団体が集まって、その国の障害問題を進展させるための行動を起こそうと、93年から沖縄でキャンペーン会議をスタートさせました。この10年が各国を回って、最終年に日本で締めくくりとして、10年間の各国での活動や政策を評価して、今後の課題を明らかにし、その課題に取り組んでいくための方法を見つけようと日本でのキャンペーンを行うことになったわけです。

国内外の動向と最終年

■障害者権利条約採択へ向けて

藤井

 最終年の各種記念事業が国の内外の関連動向にどのように影響していくか、このことが問われると思います。わけても急浮上しつつある「障害者権利条約」の採択の動きは非常に注目されるところですが、最終年をどのように影響させていくか、「障害者権利条約」そのものの紹介と合わせて少し深めてみたいと思いますが。

丸山

 障害全体では1971年に「知的障害者の権利宣言」が採択され、75年に「障害者の権利宣言」が採択されました。国連はすべての人の人権をということでスタートしましたが、障害をもっている人が無視されたり、忘れ去られているということで、特別の権利宣言をしたのです。その宣言を知らせるための国際的な協調は、必ずしも効果的に行われてきたとは言えません。「児童の権利宣言」は各国が積極的に促進しようと考えて、34年かかって権利条約になりましたが、障害をもった人たちの場合も同じような動きが必要だという声が多くあがってきました。
 障害者の権利というと、以前は西欧、アメリカが中心になって進めてきましたが、今回の一歩は、発展途上国のメキシコから出てきているのが特徴です。日本も、「障害者の権利宣言」のころはとても人権に取り組めるような状況ではありませんでしたが、障害をもつ人たち自身の運動により、社会的な啓発がなされ社会の認識が変わってきて、権利条約に向けての力が発揮できるようになっていると思います。
 今年、権利条約の草案をつくる特別委員会が発足することになりましたが、DPI、RIの会議に世界各国の人たちが集まることが、採択への後押しというか、デモンストレーションになるのではないかと思います。

 もう一つ、「アジア太平洋障害者の十年」の政府間会合が滋賀で行われますが、政府のポスト十年の取り組みにも、二つの会議は大きなインパクトを与えると思います。そういう意味で、重要な一連の事業ですから、国民に広く知らせ、国民の支援を得ることが大事だと思います。

藤井

 「障害者権利条約」はDPIのみなさんにとっても大きな関心事だと思います。また国内のテーマとしては、「障害者差別禁止法」の試案が日弁連から提案されていますが、「権利」問題をめぐるこれら一連の動きをどのようにとらえておられますか。

西村

 どういう形であれ、国際条約で、「障害者権利条約」ができるのは大きな成果だと思いますが、それはゴールではなくて、新たな取り組みのスタートラインだと思います。これまで障害当事者、関係者の方たちが、それぞれの立場で障害者の完全参加と平等を実現するために努力をされてきましたが、一人の人間の尊厳の問題としてはなかなかとらえきれなかったと思います。そういうものをきちんと根づかせていくための権利条約でなければなりませんし、障害者が社会参加をして完全参加と平等を実現するには、国内では具体的に何が問題なのかを確認していかなければならないと思います。
 障害団体、障害当事者、あるいは関係者がきちんとした取り組みをしていかなくては、権利条約ができても、すべてのものが変わっていくことにはならないでしょう。具体的には、「障害者差別禁止法」というきちんとしたルールをつくっていくことが大事です。これまでは、障害者の問題はいろいろな人たちの理解をいただくという形で流れてきました。北海道では環境問題もあり、スパイクタイヤを使ってはいけないと決めていますが、同じように、障害のある人たち、あるいはいろいろな人たちが地域の中で生きていくためのきちんとしたルールづくりをして、社会的なコンセンサスをつくる必要があると思います。
 同時に、一般市民の方たちが障害とは何なのか、そこでの問題は何なのか、それは自分たちに関係ない問題なのか。社会づくりをしていくうえで一つの羅針盤の役割を果たす啓蒙というのでしょうか、そういうものも含めた取り組みをしていくことが必要かと思っています。

■新たな流れを呼び込みながら

藤井

 そのようなことに、最終年の事業は追い風になりそうですか。

西村

 札幌大会は100か国2000人を目標にしていますが、国際会議観光都市に指定されている札幌でも、これだけの規模の会議はあまりありません。地元の障害者がこの会議にどうかかわっていくかを大きな柱として、札幌市民の盛り上がりをつくり、一般の方たちに気づいていただく、意識していただくことも必要だと思っています。
 これまで障害者の分野には関係ないと思っていた文化とかお祭りの中にもきちんと根づかせていきたいと考え、全国的に知られている「よさこいソーラン祭り」は、今年は車いすマラソン大会と同時開催します。警備とかいろいろな面で問題はあるのですが、それをプラス面に変えていこう。DPI、よさこいソーラン祭りがもっているもの、車いすマラソンがもっているものをリンクして、21世紀の北海道を考えていこう。まちづくり、地域づくりのあり方を一緒に考えていこう。従来の福祉という範囲の外にまで広げる中で、DPI世界会議の取り組みを進めていきたいと思っています。

藤井

 ILO(国際労働機関)でも「ディスアビリティ・マネジメント」という新しい方向性が示されています。職業リハビリテーション、就労分野の観点からの意味合いはいかがですか。

 昨年11月15日・16日に大阪で現場で就業支援を行っているワーカーや事業主などが集って「第24回総合リハビリテーション研究大会」を開催しました。基調講演の講師にILO本部職業リハビリテーション専門官のBarbara Murrayさんをお招きしました。16日には、政労使三者構成の専門家会合で起草された「職場における障害の管理に関する実施基準」がILO理事会で採択された旨の報告がありました。現在、障害者は世界全体で6億1000万人近くに達し、このうちの3億8600万人が労働年齢人口ですが、その失業率は高く、労働力人口の8割が失業している国もあり、貧困と社会的排除が問題とされているとの認識も示されました。「実施基準」は、障害者雇用や雇用の維持、障害のある労働者の潜在力実現に向けた環境整備に関する具体的な方策を導く初めての基準として評価されるもので、その経過とともに、働く場として、従来の企業だけではなく、地域のエンパワーメントを背景にしたコミュニティー・ビジネスを創設している社会的協同組合による雇用創出である「ソーシャル・ファーム」にも言及されました。
 しかし、雇用促進にかかる手法は各国によって異なっています。わが国をはじめドイツ・フランスなどでは「雇用率制度」を設けて雇用を促進し、アメリカは、一定の基準はあるものの雇用率制度には批判的です。また、雇用率制度を設けていたイギリスでは障害者差別禁止法の制定とともに、雇用率制度を廃止しました。オーストラリア・ニュージーランド・カナダなどが一つのグループをなしています。社会的公正に対する各国 の考え方の相違を示すもので、「障害者権利条約」に対する態度にも反映していると思います。
 障害者の就業問題に言及しない福祉施策などあり得ないのですが、わが国では旧厚生行政と旧労働行政の間の溝は歴然としており、しかも、このような経済情勢下にあって、就業から排除される障害者が増え、結果的に「囲い込み」に誘導されるという懸念もあります。地域力と結びついた職業リハビリテーションについて考える好機にしたいと思います。

多彩な事業、北海道と関西で

■第6回DPI世界会議の成功を

藤井

 予定されている記念事業は、それぞれ個別の形をとっていますが、全体を連結させながら相乗効果を上げていくことが肝要かと思います。そこで個別のフォーラムについてですが、まず第6回DPI世界会議の概要についてお話をいただけますか。

西村

 10月15日から18日の4日間開催します。DPIは障害当事者主体で、158か国で組織されています。過去の五つの大会が掲げてきた戦争・貧困・ジェンダーの問題を含めた取り組みと、「障害者種別条約」制定に向けての取り組み、そしてバリアの除去に向けての取り組みが柱になると思います。
 日本の場合、障害者は非常に狭い範囲のとらえかたをされていますよね。社会福祉、障害者福祉のサービス対象となっていない障害者の方たちから、事務局に「我々の問題を取り上げてほしい」という要望がきています。LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)の問題、アニマルセラピー、聴導犬のこととか、自分たちのおかれている現状を大会を通じて社会の人たちに知ってほしいと言ってきています。
 日本では、障害者手帳という中でしか、社会サービスなどがなされていないのが実態です。世界的にみると、日本の障害の定義は狭く、多くの障害当事者が当事者でない立場におかれていますので、そういう部分を大会の中にどう盛り込んでいこうかと考えています。10から20の分科会だけではとらえきれないものは夜に特別セッションを設けて、自発的な話し合いの場で議論を深め、国内の認識も広めていきたいと思っています。
 大会のメインテーマは、「すべての障壁を取り除き、違いと権利を祝おう」(Freedom from Barriers:Celebrating Diversity and Rights)です。基本的な考え方としては、障害の種別の壁を越えて取り組みをしていこう。障害者と健常者と言われている人たちの壁も取り除いていこう。20世紀にさまざまな悲劇をもたらしてきた民族の壁、国境の壁などの障壁を取り除いていこう。20世紀から21世紀へと一つの壁を越えて、新しい土台をつくっていこう。さまざまな違いが尊重され、多様性、個性などをみんなが喜んでいける、祝っていける時代をめざしていきたいと考えています。
 前回のメキシコ会議でもかなり政府とのやりとりをしていたようですが、今回も北海道、札幌市、道議会、市議会でいち早く支援、支持をいただき、準備を進めてきました。日本のホテルは部屋が狭いのですが、既存のホテルに改修の動きが出てきています。企業を含めた民間の方たちに理解が広まって、具体的な行動が起きていることは、障壁を解消していく取り組みの中での一つのポイントかと思っています。

■三つの国際会議をメインに

藤井

 大阪フォーラムの概要についてお願いします。

「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラムの主な事業

1.第6回DPI世界会議札幌大会

 世界の障害当事者が 4年に1回各回に集い、開催する会議です。2002年は、ポスト十年に向けて障害者の権利条約制定などをテーマに開催します。
●期間/2002年10月15日(火)~18日(金)
●参加者/約100か国より2000人程度参加見込み
●会場/北海道立総合体育センター

2.第12回RIアジア太平洋地域会議

 リハビリテーション分野の専門家を中心に参加者が集い、アジア太平洋地域各国で4年に1回開催されます。2002年は、DPI世界会議に引き続いて開催し、広く障害当事者の参加を得て、共同宣言の採択を行います。
●期間/2002年10月21日(月)~23日(水)
●参加者/アジア太平洋地域の国と地域を中心に2000人参加見込み(国内会議参加者含む)
●会場/大阪国際会議場、国際障害者交流センター、大阪市舞洲障害者スポーツセンター

3.「アジア太平洋障害者の十年」推進キャンペーン2002大阪会議

 アジア太平洋地域各国の障害者関係NGOを中心に参加者が集い、1993年以来、毎年各国で開催。NGOの立場から障害者の運動や施策を推進します。
●期間/2002年10月21日(月)~23日(水)(RI会議と同時開催)
●参加者/アジア太平洋地域の国と地域を中心に2000人参加見込み(国内会議参加者含む)
●会場/大阪国際会議場、国際障害者交流センター、大阪市舞洲障害者スポーツセンター

4.第25回総合リハビリテーション研究大会(日本障害者リハビリテーション協会)

●期間/2002年10月22日(火)~23日(水)
●会場/大阪国際会議場、国際障害者交流センター、大阪市舞洲障害者スポーツセンター

5 国際職業リハビリテーション研究大会(日本障害者雇用促進協会)

●期間/2002年10月22日(火)~23日(水)
●会場/大阪国際交流センター

6.ESCAP/「アジア太平洋障害者の十年」最終年ハイレベル政府間会合

●期間/2002年10月25日(金)~28日(月)(予定)
●会場/滋賀県大津市

 最終年記念フォーラムは、国際障害者年以降の20年の成果を踏まえて、わが国の障害者関係団体や専門家が連携し、民間団体・国際団体・行政・一般市民の協力を得ながら、わが国における10年の成果を評価し、課題を明らかにするとともにその推進を図り、アジア太平洋地域諸国の現状と課題を明らかにしてポスト十年への対応策を探ることとされており、大阪フォーラムは、障害当事者と専門家の連携を進めるために、(1)第12回RIアジア太平洋地域会議、(2)「アジア太平洋障害者の十年」推進NGO大阪会議、(3)第25回総合リハビリテーション研究大会(4)日本障害者雇用促進協会による国際職業リハビリテーション研究大会の同時開催される四つの会議を意味します。また、国内推進キャンペーンである、欠格条項総点検キャンペーン、市町村障害者計画策定推進キャンペーン、情報バリアフリーとIT環境の整備推進キャンペーンとも連動しています。

■最終盤で政府間会合

藤井

 最終年記念事業の一環として、「ハイレベル政府間会合」が滋賀・大津で開催されますが、これはどのような内容なのでしょうか。また公式な事業とはならなくとも民間レベルでいくつかの関連事業が準備されているようですが、これらについて説明していただけますか。

丸山

 滋賀の政府間会合では、最終年をどう評価するか、最終年後をどうするかがテーマです。大阪フォーラムの障害団体、民間関係団体を含めての評価、提言と合わせて、政府間の評価もしようと、日本がイニシアティブをとって、内閣府と滋賀県が誘致をしました。「アジア太平洋障害者の十年」の行動課題の第一番に、各国に障害の問題を担当する調整委員会(ナショナル・コーディネーション・コミティ:NCC)をつくろうとい うことがありましたが、ほぼ各国でできました。その責任者が参加すると思われます。ポスト十年を延長して、国際的な協調の継続を決め、どう新たな10年を継続していくかが話し合われると思います。
 そのほかには、各障害団体が個別課題を討議する会議やリハビリテーションの専門家の会議もあります。働く場所をつくろうという、職場や作業所づくりの会なども開かれます。障害別の交流や、芸術、文化活動も行われます。いずれにしても、10年を評価して、課題を明確にして、これからの取り組みを推進するような動きをつくっていくものです。

藤井

 政府間会合では、具体的にはどのようなことが話し合われるのでしょうか。

丸山

 1993年に12項目の行動課題をESCAP総会で決めました。中身は、83年に国連でつくった世界行動計画のアジア太平洋版で、地域にあった目標に直したものです。1番目は、NCCができているか。2番目は法律の整備。そのほか教育、医療、リハビリテーション、就労、障害団体の育成、国際協力などについて検証して、ポスト十年はどういう行動課題にするのかを話し合うのだと思います。国連総会のNGOが中心になってIDA(国際障害連盟)をつくりました。その地域版のAPAD(アジア太平洋障害連盟)をつくろうという提案も出されています。

障害者施策転換の節目に

藤井

 国内の障害者施策を発展させていくという視点から、いかがですか。

 「アジア太平洋障害者の十年」の最終年は、わが国の「障害者プラン」の最終年であり、福祉施設についても従前の措置費制度から支援費制度への移行を前にした重要な時期でもあります。この50年における障害者福祉とは何だったのか、何ができたのか、そして次の「新障害者プラン」において何を展望するかが問われる時でもあります。
 一つのキーワードは「地方分権」だと思います。地方の時代の幕開けになればと期待しています。

西村

 障害者の権利条約の内容が見えていないので私見になりますが、93年の国連の「障害をもつ人々の機会均等化に関する基準規則」(スタンダード・ルール)が、権利条約の基本をなしてほしいと思っています。昨年5月のWHO総会でのICF(国際障害分類改定版)もスタンダード・ルールに含まれていますし、何よりも環境や支援サービスが明確に載っています。国際条約は国内法への影響があるわけですから、従来の障害者手帳に基づくサービスや学校教育におけるいろいろな支援の問題が根本的に変わっていく、一つのボールが投げられるのではないかと思っています。スタンダード・ルールを基本におく方向が出れば、国内法も含めた、障害者への福祉サービスにかなりおもしろい変化が出てくるのではないかと思います。

藤井

 わが国の障害分野を拡充させていくことと、国際的な関連動向との関係をもう少しお話いただけませんか。

丸山

 私は少し違う見方をしているのですが、国連の「完全参加と平等」という障害者問題の取り組みテーマは20世紀で終わっていると思います。21世紀のテーマは、国連決議にも出てきますが、“ソサエティー・フォー・オール”「すべての人の社会」です。欧米の各国が「障害者権利条約」制定の動きに今回、積極的でなかったのは障害者の権利条約でなく、もっと広い趣旨に広げるべきという話があると聞いています。60年代からノーマライゼーションの動きを進めてきて、「完全参加と平等」がかなり達成されている国は、障害者のみの権利については熱心ではなくなってきているようです。
 日本では「完全参加と平等」がいまだ達成されてはいませんが、一部にはそういうことがある程度気づいてきたという感もあるんですね。未解決の問題はいっぱいありますが、私は障害問題を核にして、日本の社会全体をよくしていこうと訴えていく時ではないかという気がしてならないんです。私たちの社会が公正(フェア)でいい社会になるためには、高齢者等の共感も得ていかなければならない、フォーラムは障害だけの問題ではないことを強くアピールする、国民への新しい啓発のチャンスだと思います。

藤井

 丸山さんが言われたことはとても大事だと思いますが、日本の到達状況を見る時、まだまだ障害問題を強調しなければならない時期にあるように思います。女性問題をめぐって女性国会が開かれたり、子供の権利条約の批准を記念して子供国会が開催されたことがあります。障害分野についても、「障害者国会」などといった形で、もっと政治の表舞台に登場させていく必要があるのではないでしょうか。

西村

 全国的にもたぶん同じだと思いますが、DPI世界会議の準備を進めていると、障害のある人たちから「たくさんのお金を使って大会を開くことで、私たちの生活が変わるのですか。その分で車いすトイレをつくってほしい」と言われたんです。世界の障害者が集まって、「障害者権利条約」や障害への取り組みを話し合うのは、理念としてはわかる。それで自分たちの生活がどう変わっていくのかと。その気持ちは、私もわかります。交通バリアフリー法ができたとき、障害のある人たち、あるいは移動制約者といわれる人たちの移動環境がどの程度変わるのか、どの程度整備されるのか、それがいちばん大事だとコメントしたことがあります。同じことを、我々が求められているわけです。
 「すべての人たちの社会」には大賛成ですが、「完全参加と平等」が、日本という国の中では終わったわけではなく、まだそれをめざしている段階だと思います。DPI世界会議はその辺からの取り組みと運動をつくっていかなければいけないと考えています。
 また、障害者の視点からの問題を考えていく中で、すべての人々は等しく価値ある存在であり、すべての人々が尊重される社会をめざしていこうというときに、私がこだわっているのは「障害者とは何なのか」ということです。単に障害者手帳をもっている人たちではなく、生活にいろいろな制限と制約を受けている人たちの視点での地域づくり、まちづくりを考えていくことから、すべての人々が安心して暮らせる社会をめざす方向性を見い出すことができると思っています。DPI世界会議では、子ども、女性、高齢者など、さまざまな制限を受けている人たちの視点からの社会づくりをしていく「石」を投げたいと思っています。

 「完全参加と平等」に込められた精神性が終結したというのは言いすぎではないかと思います。しかし、特にヨーロッパに代表される「インクルーシブ・ソサエティー」「ソサエティー・フォー・オール」が意味するものは、「障害者」をあらかじめネガティブな存在として位置づけてきたことへの反省のうえに成り立っていると思います。RIが言うように、障害者もまた人の多様性を示す普通の部分であるとされるべきで、WHOの障害の定義ICFにいう「参加」(participation)のあり方や質を問うもので、その国の社会文化・社会政策・政治機構などの社会的要因を無視することはできません。
 西村さんが言われる「すべての人びとが安心して暮らせるような社会づくり」そのものが「インクルーシブ・ソサエティー」の創造で、地域を覆っている閉塞感を活性化(エンパワーメント)・起業(エンタープライズ)・雇用創出(エンプロイメント)・地域力の拡充(エンラージメント)などによってコミュニティーがもっている力を結集して地域力をアップすることだと思います。このような運動の一つとして、わが国でも各地の障害者団体がNPOを立ち上げたり社会的協同組合(ソーシャルファーム)を創設して雇用を確保するといった新たな動きもあります。

当事者運動に新たな流れを

藤井

 日本の障害当事者運動の新しい流れづくりについてはいかがですか。

西村

 北欧や北米の優れた制度を日本で実現できないかと考えてきましたが、DPIと知り合ってからは、いろいろな制度や社会の仕組みがどのようにできてきたかに関心をもつようになりました。たとえばADA法は、当事者が運動としてきちんと発言して取り組みをしている。行政との対応、政治との関係、地域での取り組みなど、一つの社会運動をつくるなかで、さまざまなものができてきたわけです。
 そういう意味で、欧米の運動の組み立て方を、日本でも展開をしていく時代ではないかと思います。アジア太平洋地域の障害者連盟にもつながっているのかもしれませんが、DPI世界会議、大阪フォーラム、滋賀の政府間会合で、これまでばらばらだった取り組みの連携をして、よりインパクトの強い、社会的に影響をもつものにして、その動きが広まっていったときに社会が変わっていくと思います。そういう方向を、21世紀に向けて模索することができたらと思っています。

 大阪フォーラムの全容が明らかになればなるほど空恐ろしい企画だということがわかりました。しかし、しり込みをしている訳にはいきませんので、大阪フォーラム組織委員には大阪らしい障害者団体の方々や大阪を代表する方々にご参加いただき、実行委員の各部会長にそれぞれの組織委員の方々に責任者となっていただきました。残すところ数か月となりましたが、大阪フォーラムを成功に導くために各委員が持っておられるノウハウ・人脈・社会資源、あるいは、調整能力や〈大阪らしさ〉が必ずや生かされると思います。
 「大阪フォーラム」は、明日を展望するものです。それぞれのわだかまりや運動論の相違などを超えて〈ぼちぼち〉行かせていただきます。

藤井

 当事者運動にどんな新しい方向づけを期待していますか。

丸山

 国際的には、アジア太平洋地域の緩やかな連合体をつくって協力をしたらどうかと考えます。また国内的には、日本の障害をもった人たちに対する施策や制度をもっとよくすることは、高齢者も含め、みんなのためになるのだという点を進めていってほしいと思います。障害団体が市町村障害者計画等をきちんとモニターして、みんなのための改善点を提案していくこともしてほしいと思います。
 四半世紀はヨーロッパやアメリカから学んできましたが、これからは日本が学び、実現してきたものを、アジアの当事者と協力して進めていくことを、障害者団体は目的にしてほしいですね。

節目は変化をもたらすチャンス

藤井

 本年はサッカーのワールドカップが開かれますが、最終年の記念フォーラムは障害分野におけるワールドカップのような思いで取り組んでいきたいものです。最後になりますが、それぞれの決意と障害者団体に期待したいことを合わせてお話ください。

西村

 札幌は、1972年の札幌冬季オリンピックが開かれたとき、国際会議観光都市の宣言をしました。当時はバリアフリー、ノーマライゼーション、ユニバーサルという言葉はなく、障害者や高齢者が札幌オリンピックを見ることは想定されていませんでした。その30年後に開かれるDPI世界会議は、当時はなかった、さまざまな共生社会をつくっていく起点にしていきたいという思いで始めました。
 ですから、大会の準備の中で何を作って、開催後に何を残すかを同時に考えています。札幌では、歩道の段差の解消、エレベーターの設置がかなり急速に進んでいます。この大会を開くことによって不備な面もどんどん見えてくると思いますが、私たちは2002年の大会を一つの起点にして、札幌のまちを、北海道の地域を大きく変えていきたい。5年、10年経ったときに、札幌のまちはたしかに変わったというものをつくっていきたい。それを大会の評価にしたいと思います。
 行政、市民、当事者、さまざまな人たちとともに、開催都市における社会効果をどうつくっていくか。まちづくりに生かしていけるものができればと思っています。障害者団体の方々は、ぜひ札幌大会とその後のいろいろな取り組みに参加してください。

 日本の障害者の実情を声高に吐露することも一つの方法でしょうが、アジア太平洋各国の障害者が置かれている状況はさまざまです。今もこの地域には、我々にとっては空気のようになっている社会制度がないために悲惨さの渦中にある方々も大勢おられます。我々がささやかな協調をすることによって、このような方々の社会参加の機会が拡がります。狭いセクト主義から離脱する格好の機会だと思います。
 多くの国々のさまざまな障害のある人たちとわが国の障害者や市民の対話の輪ができることを期待します。「日本に来て展望が開けた。元気が出た」と言っていただきたいし、我々もまた国内のさまざまな集団の方々と交流し、また、日本に来られた方々との対話を通して、展望を開き、元気をいただきたいものです。

丸山

 身体的・精神的に制約や制限をもっている人たちは、逆に言うと、そういう中で生きる力や文化的なものをもつ人たちという意味でもあるわけです。世界の障害者観は、マイナスを強調するよりも特徴を強調して、そういう特徴のある人が住む社会を支えていこうというようになってきています。日本もそういう時期にきていると思います。
 インターナショナルの根本は、個別の違う文化と付き合うことでもあるわけですが、障害をもっている人たちは、違う文化、違うコミュニケーション、違う様式をもっているわけです。つまり障害をもった人たち自身が国際的な人たちだと思います。日本で国際会議を開くことは、国内的にも影響を与えるものがたくさんあると思います。それが障害団体を通して日本全体にもいい影響を与えることを期待しています。

藤井

 21世紀を展望する時、今年は大きな節目に当たります。節目は変化をもたらす好機であり、変化はチャンスです。札幌と大阪のフォーラムが、新たな時代をひらくうえで存在感のある企画となることを期待しながら座談会を閉じたいと思います。ありがとうございました。