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障害のある人の社会参加を促進する

吉田勧

はじめに

 地域で生活するには、私たちはさまざまな契約を行う必要がある。「契約」というと、土地の売買契約やアパートの賃貸借契約のような、何か難しいものという印象があるが、私たちは、毎日何回も、日常的に契約を締結しているのである。たとえば、お米やおかず、お菓子やジュースを買うのも「売買契約」であるし、電車やバス、タクシーに乗るのも、難しく言えば「旅客運送契約」である。学校の教室でとなりの人に消しゴムを借りるのは「無償消費貸借契約」、病院で診察を受けるのは「医療契約」、銀行にお金を預けるのは「有償消費寄託契約」である。このように考えると、私たちの生活は、契約なしでは考えることができないことが分かる。

「契約」の意味

 では、「契約」というのは、どのようなものであろうか。一言でいえば、「契約」とは「約束」である。日常生活で私たちは、友人や家族などと多くの「約束」をするが、「契約」とはそのような「約束」とほとんど同じと考えて良い。しかし、いわゆる「約束」と「契約」との大きな違いは、「契約」には、法律的な拘束力があるということである。すなわち、ひとたび契約を締結すると、その契約は必ず守らなければならないのである。もし相手が契約を守らないときは、裁判所に訴えて強制的にその契約内容を実現することができるし、契約を守らなかったために損害が発生したときには、その損害の賠償を求めることができるのである。
 このように、契約には大きな法律上の効果があるため、有効な契約(必ず守らなければならない契約)となるためには、さまざまな要件を必要とする。この契約が有効となるための要件にはさまざまなものがあるが、もっとも重要なことは、契約を締結する人が、その契約内容を十分に理解したうえでその契約を締結するということである。「契約内容を十分に理解したうえで、『その契約を守る』と約束したのだから、契約は守りなさい」ということである。

発生する問題

 そうすると、障害のある人が契約を締結するという場合に、いかなる問題があるのか。
 そこには、実にさまざまな問題がある。その主なものは、以下の三点である。
 第一に、契約を締結するためには、その契約にかかわるさまざまな情報を知っておく必要がある。契約そのものについての情報(何をいくらで購入するのかなどの情報)はもとより、それ以外のさまざまな情報を必要とするのである。同じ物を買うのでも、より信用できる業者から、より良い品を、より安く買いたいというのは、だれでもが考えることである。そのためには、同種の商品を売っている業者がどこにあって、そこではどのような商品がいくらで売られているのか、その商品の品質はどうなのかという情報がなければ、選ぶことはできない。障害のない人の場合、自分で好きにそのような情報を集めることができるし、もし情報を集めないで悪質な商品を高い金額で買っても、「自分が悪い」で済ますことができる。しかし、障害のある人は、その有する障害のゆえに、そのような情報にアクセスすること自体に障害があったり、収集した情報を十分に分析整理できなかったりするのである。障害がなければ、「そのような作業をしなかったのだから自分が悪い」ということはできるが、障害のゆえに情報を集められなかったり、情報を十分に分析整理できなかったことの責任を、障害のある人その人自身に求めることはできない。
 第二に、障害のある人は、社会的経験が未熟なために、収集した情報を十分に分析整理し、その良し悪しを判断することが難しい場合がある。もとより、障害があっても積極的に社会に出て行って、障害のない人と同じように、否それ以上に活発に活動している人たちも多くいる。しかし、その障害のゆえに、家庭に引きこもってしまったり、家庭と学校や職場など、ごく狭い範囲でしか行動していない人たちも非常に多くいる。これらの人たちは、狭い範囲での経験しかないため、悪質な業者に騙(だま)されるなどの被害を受けやすい状況にあると言わなければならない。
 第三に、そしてもっとも重要な問題は、障害のある人、とりわけ知的な障害のある人の場合には、契約内容を十分に理解することができず、したがって有効な契約を締結することができないことがあるということである。このことは、一見すると、「これらの人たちが締結した契約は守らなくてもよいのだから、騙されなくてよいではないか」とも考えることができる。しかし、最初に述べたように、私たちの生活は、契約なしでは成り立たないのである。もし、これらの人たちに物を売っても、後で「あの契約は有効ではないから、お金は払わない」などと言われたら、業者は商売にならない。すなわち、知的な障害のある人には、物を売ってくれなくなってしまうのである。しかし、物を買えないとなると、私たちは、今夜の食事すらできなくなってしまうのである。

社会参加推進に必要な「契約」

 そこで、障害のある人が社会に積極的に参加していくためには、どうしたらよいのだろうか。社会に参加するためには、当然「契約」を必要とするのである。
 まず第一に、障害のある人がさまざまな情報に容易にアクセスできるような態勢を作り上げることである。現代は「情報化社会」と言われ、情報は溢れている。また「IT革命」の時代とも言われている。しかし、それらは、真に障害者が容易にアクセスできるようになっているのであろうか。本屋にたくさんの本が売っていても、視覚障害をもつ人は本を読むことはできないのである。点字本の普及や、パソコンなどの技術改革も必要であるとともに、障害のある人に対する情報収集を支援するシステムを構築しなければならない。
 地域福祉権利擁護事業では、判断能力の不十分な人に生活支援員を派遣し、福祉サービスに関するさまざまな情報収集の支援を行うことができることになっている。しかし、これは、あくまでも判断能力の不十分な在宅の人に限られ、しかもその情報収集支援も福祉サービスにかかわるものに限定され、さらに生活支援員の利用が有料サービスであるということに大きな問題があると言わなければならない。
 2003年4月から障害のある人に対する福祉サービスの提供も、原則として措置から契約に移行することになっていることはもちろんであるが、私たちが契約を締結するのは福祉サービスにかかわるものだけではなく、また支援を必要とするのは判断能力に障害のある人だけではない。生活支援員の利用料(1時間当たり1000円ないし2000円)は、大きな経済的負担となる。
 私たちは、障害のある人が、その障害の特性に応じて、必要な情報収集のための支援を、より低廉(ていれん)な負担で受けられるようなシステムの構築をめざしていかなければならない。
 第二に、社会的経験が未熟であっても、悪質な業者に騙され、損することがないようなシステムが必要である。
 そのためには、生活支援員のような契約締結のための支援をより充実させる必要もある。しかし、私たちの日常生活は、実にさまざまな契約の締結を必要としており、すべての契約について生活支援員の立会いを求めることは不可能でもあるし、実際的でもない。
 そこで、消費者契約法のような不当な契約を抑制するような法律(行政的な取締法規を含む)が重要な役割を果たすことになる。これら法律の内容を紹介するにはあまりにも紙幅が足りないが、これら消費者保護法でも、必ずしも十分とは言い得ない側面がある。
 まず、消費者の側がこれらの法律に関する知識がなく、権利行使のための期間(クーリングオフは8日間、消費者契約法による取消しは6か月)を経過してしまうなど、消費者保護法を十分に活用できない場合があることである。また、仮に権利行使しても、そのときにはすでに業者が所在不明になっていたり、倒産していたりなど、被害を回復できない場合もある。悪質な業者に対する取締りを強化するなどの施策とともに、障害のある人に対する周りの援助者による見守りなども必要であろう。
 第三に知的障害のある人など、判断能力に障害のある人に対する支援の問題である。
 この点については、周知のように、地域福祉権利擁護事業と成年後見制度とが用意されている。これらは、2000年4月の介護保険制度の実施にあわせて整備されてきたものであるが、今なお多くの問題点がある。
 まず、地域福祉権利擁護事業は、その名も示すとおり、地域福祉サービスの利用援助を前提とするため、(現段階では)施設利用者の利用はできないこととなっている。また、基本的に福祉サービスの利用援助に限定されること、利用料が高額であることなどの問題点を抱えている。
 成年後見制度は、改正前よりも利用しやすくなったことは事実であるが、成年後見人等の候補者がいない、弁護士などの専門家に成年後見人等を依頼するとした場合の報酬の問題などが残されている。政府は、成年後見制度利用支援事業を実施しているが、これは、介護保険制度を利用する身内も資力もない高齢者で、市町村長が申立をする場合に限定されており、低所得者一般には利用できないものである。
 地域福祉権利擁護事業、成年後見制度のいずれについても、その利用料や成年後見人等の報酬等に対する国庫補助や減免措置などを実施して低所得者も利用しやすくするとともに、生活支援員、成年後見人等の人材確保に向けた施策を実施する必要がある。

(よしだすすむ 弁護士)