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「計測」を基礎に

青木紀

 最近は世の中の様子も相当おかしいので、ホームレスの人々に代表される国内の貧困、またアフガニスタンに象徴される国際的な貧困など、学生の貧困問題への関心もそれなりに高い。しかし、現在もなおしばしば苦労することがある。
 それは、口を酸っぱくして、障害者問題と貧困問題は「仲良し」の関係にあるのだといっても、両者はしばしば切り離されて理解される傾向が極めて強いことである。そこには、いかにお金をかけても「障害」はなくなるわけではない、そこからの苦悩はいかばかりかといった共感があるのかもしれない。そして、それ以外の困難は頑張れば何とかなる…私も頑張ってきたと。
 このような学生の反応には、こちらにも責任がないわけではない。たとえば、社会福祉調査実習という場面で「障害をもつ子どもの母親」というテーマを扱ったとする。このような行為は、当然のことながら相手の同意が必要なことから、学生が経験するのは、面倒なことだが学生を迎えてもいい、あるいはともかく「問題」を訴えていきたいという積極的な家庭に偏ることがしばしばである。したがって「家にはきてほしくない」という家庭は、結局学生には見えないまま、「いい経験」のみが報告されて調査が終了することになる。そこでは、家族からしばしば「障害はお金の問題ではない」と言われ、そうだよなとうなずき、その点でまた学生たちの頭の中では、障害者問題と貧困問題は切り離されることとなるからである。
 だが、障害をもつ人々の一人ひとりの現実の生活、あるいは端的に生活保護統計をみるだけでも、障害者問題と貧困問題は「仲良し」の関係にあることがわかる。さらに障害児をもつ家族の立場から考えたときも、たとえば病院通いや訓練といった直接的な支出のほかに、父親の転職、住宅の改善、母親の介護拘束による共働きの困難等、間接的な影響は計り知れないものがある。このような関心に基づいて、これらを計測することは、たとえ経済的なことでも容易なことではない。だが議論の前進には不可欠だと思う。私どもも努力したいと思うが、関係団体や諸機関もまたぜひこのことをやるべきであろう。措置から契約へという時代だからこそ、このことが必要だと思われる。

(あおきおさむ 北海道大学教育学研究科教授)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2002年2月号(第22巻 通巻247号)