音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

人の目、弱視の目

大藪眞知子

 「人の振り見て我が振り直せ」という言葉は、人の振りが見えない、あるいは見にくい視覚障害者にとっては通用しない。
 弱視である私にとって、見様見真似ができないことは、とても大きなハンディキャップである。
 それに加えて、人の視線があまり感じられない。近くにいる人の視線は、何となく感じられるのだが、離れたところにいる人、こちらが緊張しているときなどは、相手の視線を意識することができない。
 これらのことを視覚障害者はどのように解決しているのだろう。できないことを無理しても仕方ないじゃないか、と全く気にしない人もいる。相手が理解してくれればいい、と考える人もいるだろう。けれども社会生活をしていくうえで、そんなことばかりも言ってはいられない。なぜなら、相手はこちらが弱視だとわかっていても、こちらの見え方までは理解できないからである。相手のわかっていることは、この人は見えている、ということだけなのだ。
 十数年前から趣味でシャンソンを習い始めた最初の10年ほどは全く趣味のつもりだったが、続けていくうちに、欲が出てきてしまい、厚かましくもプロをめざそうと考えるようになった。
 習い始めた頃から言われてきたことだが、人前で歌うとき、視線が決まらない。動きがうまく付けられない。最初についた先生には、濃い色のサングラスを掛けるようにと言われた。ところが、そうすると、周りが暗くなって、私自身が、よく見えなくなる。そして何より気持ちが卑屈になってしまう。友人がそれをわかってくれて、先生に話をして、付け睫毛(まつげ)を付けてくれた。そのときは本当にうれしかった。だが、この付け睫毛というのが、自分でなかなかうまく付けられない。
 それから10年以上経ったが、この視線の問題はまだ解決していない。4年前からついた先生にも常に指摘されている。しかもそれに加えて、もっと動きを付けるように言われている。
 人のステージを穴のあくほど見ても、なかなか自分のものにできない。自分のビデオを見て、おかしいのはわかっても、いざとなるとどう直したらいいのかわからない。
 視覚障害者でも人前に出る仕事をしている方はおられ、名を成している方もおられる。皆さんはこの問題をどう克服しておられるのだろう。全盲の人は相手がわかってくれるからいい、というものではないと思うし、まして弱視であればさらに大きな障壁となっているはずである。こんなことを問題にしなくてもいいだけの技量を身に付ければいいのか。いっそ開き直ってしまえばいいのだろうか。君の努力が足りないと言われれば、それまでのことかもしれないが…。

(おおやぶまちこ 京都市在住)