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知り隊おしえ隊

百聞は一触にしかず

―二つの博物館訪問の記―

吉田重子

はじめに

 全盲の友人に「博物館に行ってみようよ」と誘いの声をかけたら、「カビ臭いだけで面白くないよ」という答え。博物館と言えばなんとなくほこりっぽい、カビ臭いイメージが頭に浮かぶ。随所のスピーカーから説明の音声が聞こえ、目の前はガラスケースばかり。ごく稀に、「これ、触れるよ」などと声をかけられ、手を伸ばす。多くの視覚障害者にとって博物館のイメージは、およそこのようなものではないか。それは、ほかならぬ筆者自身が抱いていたイメージでもあった。
 「小樽市の博物館に行ったことはありますか?」都立盲学校のM先生から、そんな質問を受けたのは、昨夏、札幌で行われた盲学校教育の研究会・懇親会の席上だった。筆者は、「なにか面白いものがありますか?」などと問い返す情けないありさまだった。聞けば、そこは学芸員の理解があって、いろいろな展示物を触らせてくださったり、弱視者のためにデジカメを使って、展示物を間近で見せてくださるなどの工夫がなされているとのことだった。加えて、北海道大学の一角にも興味深い博物館があるとのこと。その先生は翌日訪れる予定らしい。折りしもその日、研究会の社会科部会では、触って確かめることの大切さや、博物館側の理解の必要性が話題になっていた。なんというタイミング。これは出かけないわけにはいかない。

小樽市博物館

 筆者は数日後、小樽市博物館に向かった。事前に訪問の趣旨を伝えておいたので、終始、石川主任学芸員の案内により、充実した見学となった。さらに、点訳ボランティアをされている石川さんの奥様の手による点字のパンフレットを手渡され、これはさらに「人との出会い」を感じさせられる。
 この博物館は、かつて北の代表的な商業都市として栄えた小樽にふさわしく、倉庫を改造した建物に、商業や漁業のにぎやかな様子の再現や、北海道の自然に関するコーナーがある。
 明治のはじめ、イギリスからやってきたというオルガン。8鍵1オクターブで、しかも白鍵のみのもの。木管と金管の二つの音色の切り替えがあり、直接弾いて安定した音程の美しさを確かめることができた。それにしても、この不思議な楽器で、どんな曲が演奏されたのだろう。後日談によれば、オルガンは楽器としてではなく、音の共鳴に関する理科の教材であったらしいことがわかってきたとのこと。さて、真実はいかに。
 見学の趣旨を事前に連絡しておいたことにより、奥の部屋の鍵が開けられ、なにやら大きな包みが運ばれてきた。それはヒグマの毛皮。以前、都立盲学校の修学旅行で当博物館を見学した折、生徒たちに最も感動を与えたものらしい。ゴアゴアした毛の感触や爪の鋭さなどは、強烈な印象を与える。周囲の家族連れの見学者も寄って来て触ったりして、驚きの声をあげていた。管理が難しいため普段は展示していないそうだが、必要に応じてお目見えするらしい。視覚障害者だけでなく、直接触れることによる反応は大きいとのことだった。
 実は、筆者は本誌の執筆依頼を受けて、年末も押し迫った時期に再度訪問することとなった。水道栓が冬囲いされていたり、かつての商店の風景にしめ縄が飾られていたりと季節感があり、リピーターとしての楽しみをも知らされた。
 ここの博物館では、いろいろなものに触れることができたのがもちろん大きな収穫だったが、それだけではなかった。学芸員や館長の方と会話して、「盲学校で実際触れたり体験したいものがあれば相談してほしい。学芸員付きで学校への出前なども行っているので、どんな授業でどんなものを見せたり触れさせたりしたいのか、企画のところから一緒に考えますよ」というお話。実際「出前博物館」は、いくつかの学校で実践済みらしい。この発想の新鮮さ、柔軟さに筆者は驚き、感激した。今後もこの博物館とはお付き合いが続きそうだ。

北海道大学総合博物館

 通称「北大博物館」はかなりマニアックな世界だ。訪問に際して電話でアポをとった折、「人によっては30分で回る方もいれば、2時間くらいかかる方もいます」という話。行ってみてその意味がよくわかった。筆者は2時間以上そこにとどまった。もちろん、触って確認するという行為のために、より時間を要したことも事実だが、やはり、箕浦助教授の詳細な解説付きが筆者の興味をそそった。
 この博物館はオープンして3年になる。理学部校舎の3階のフロアを使って、さまざまな化石と、鉱物の結晶に満ちていた。古い陳列棚は引き出しになっており、先生が一段一段鍵を開けて鉱物を取り出し、筆者の手の上に載せてくださる。天然の細長い水晶と、針金に種を付けた人工水晶のすべすべした大きな結晶。磁鉄鉱や、黄鉄鉱の角張った結晶。十字形の見事に整った結晶。砒素やバリウムなんて、説明されなければなんだか全く想像がつかない。金やダイヤモンドの原石はとても小さなものだが、これらを求めて人々が大移動したりした歴史に思いをめぐらしたりもできる。思わずポケットに、なんて、危ない、危ない。
 また、溶岩が急激に固まった玄武岩や、ガラスの結晶も自然の不思議を感じる。棚に並べられたこれらの石は、買ってきた置物よりよほど個性的で、わが部屋のインテリアにしたい気持ちになった。これまた、危ない、危ない、である。
 研究者の専門的な世界の、一般市民への開放。そして先生は、バリアフリーの一環として「点字のラベルがあるとよいかな」などともおっしゃっていた。それも望ましいが、先生の解説は、地質学の知識に乏しい筆者にも、つい好奇心を抱かせ、愚問を引き出してしまうパワーがあるようだった。

「百聞は一触にしかず」

 この言葉は筆者のオリジナルではない。視覚障害者のための「手で見る博物館」(通称「櫻井博物館」)の櫻井政太郎氏の言である。自らも全盲の氏は、私財を投じて盛岡にて視覚障害者が存分に触れられる博物館を開いておられる(詳細は、別の機会に譲るとして)。視覚障害者にとっては、いくら多くの説明を聞いても、直接触ってみないことにはわからないことがたくさんある。しかし一方、何でも触れればそれですべてよし、というわけでもないところが厄介だ。
 小樽の博物館では、いくつか心残りなこともあった。
 「北海道でニシンを満載した北前船は、北陸で荷物を下ろし、瓦を積んで再び北上します」という学芸員の説明を聞きながら触れるシャチホコ。それはかつて、館の屋根の上にあったものだそうだ。その、肉厚な瓦で作られた感触が記憶によみがえる。しかし、高さ1.5メートル以上もあるそれの全体像を頭に思い浮かべることは難しくもある。
 クルミ、白樺など、北海道に生育する木々。それぞれの持つ木肌の違い。斜めに切られた切り株の断面から、木目の細かさや粗さ、硬さや柔らかさなどの質感の特徴が伝わってくる。それにしてもこれらの木の全体像が知りたい。全体の形、枝や葉のつき方、葉はどんな形をしているのか? 等々がわかる模型があると、頭の中でイメージがまとまって最高なのだが。切り株の近くにジオラマがあり、北海道の森の様子が見えるらしい。その一つひとつに触れられたら、木々のイメージはもっと膨らむのではないかと、少し恨めしく思いながらその場を離れた。
 北大博物館には化石と鉱物があったが、筆者は鉱物のことばかりを前に述べたようだ。実は、恐竜の実物大の模型などにも触れたが、大き過ぎて興味が持続し難かった。その点、さまざまな鉱物の結晶は手の中に収まって、じっくり観察することができた。そんな事情もあってか、夏、冬と二度訪問したが、リピーターとしても十分楽しめるところがあった。
 歴史的な実物には、触れることで劣化したり壊れたりするものが少なくない。触れること自体が危険な生物もいる。建築物はもちろん、手の中に収まらない大きなものは、たとえその一部分に触れられたとしても、全体としてとらえきれない。質感は実物に比べるべくもないが、縮尺も含めてレプリカがあると触覚の世界が広がり、そのものへの理解が深まる。しかし、これらのことを各博物館に要求することは困難である。やはり、櫻井博物館のような、触れることに関して専門的な所の存在も必要なのだろう。それでもなお、一般の博物館でも、可能な限り展示物に触れることができ、視覚障害者が他の人たちと楽しみの場を共有し、そこが知的好奇心を刺激される場所の一つとなることが望ましい。
 もう一度、全盲の友人を誘ってみよう。「博物館に行ってみよう」と。

(よしだしげこ 北海道高等盲学校教諭)


□小樽市博物館
〒047-0031 小樽市色内2-1-20
TEL 0134-33-2439
□北海道大学総合博物館
〒060-0810 札幌市北区北十条西8丁目
※団体見学の予約等 TEL 011-706-2658/FAX 011-706-4029