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北米における権利擁護とサービスの質に関するシステム 連載27最終回

日本における「障害のある人に対する差別を禁止する法律(JDA)」の制定に向けて
その4

北野誠一

1.はじめに

 3年近い連載も最終回を迎えた。この連載のおかげで、アメリカやカナダから持ち帰った資料の一部が、いつものようにダンボール箱で眠り続けることにならずに済んだだけでも感謝せねばなるまい。この場を借りて、この連載と私を結びつけてくれた大阪府立大学の故定藤丈弘先生に感謝したいと思う。そして、私の拙い連載を読んでくださった読者にここで御礼とお詫びをしたいと思う。それはこの連載の途中で約束しておきながら果たせなかった二つの課題についてである。前回のMediationの続きに入る前に、それら二つの課題について少しだけ述べておきたいと思う。

1.ADAにおける建築物および公共交通機関のバリアフリーについて

 ADAにおける一定の建築物および公共交通機関が障害者にとってアクセシブルであるために必要な基準(ガイドライン)を策定するのは、連邦政府の独立機関である“アクセス委員会(Access Board)”の任務である。現在、現行のガイドライン(ADA Accessibility Guidlines)の改正作業がなされている(注1)。それは1994年に作られたADAガイドラインの見直し検討委員会が、1996年に出した勧告案に基づいて、1999年にアクセス委員会が提案した基準規定案が、パブリックコメント等にかけられて、改正ガイドラインとなる一連の作業である。私たちがここで学ぶべきことが二つある。
 一つは、そもそも連邦政府の独立機関である“アクセス委員会”の理事会の政府委員以外の民間委員の過半数は障害当事者であり、また見直し検討委員会の22人のメンバーのうち、障害者団体の代表が8人入っていることである。つまり障害当事者も参画して作られた勧告案に基づいて、“基準規定案”ができ、それがさらに市民のパブリックコメントにかけられていることである。
 日本で行われた交通バリアフリー法施行規則に関するパブリックコメントには、一定の評価が可能であるが、むしろ大切なのは、原案を作る段階でのアメリカ連邦政府の“アクセス委員会”のような障害当事者と各種専門団体の参画した中立公正な提案機関の存在である。もちろんこの“アクセス委員会”のガイドラインが各省庁の施行規則となるためには、各省庁が再度パブリックコメントを求めることになるが、基本的にそのガイドラインが各省の施行規則となるわけであり、その権限も極めて強い。
 もう一つ私たちが忘れてはならないのは、ADAの施行規則ができる限り例外規定を作ろうとしなかったことである。たとえば州間の移動の中心であるグレイハウンドバス会社等の長距離バス会社は、ADAに組み込まれることに最後まで抵抗した。その理由は、荷物等を下部に積み込むバスが車いすを乗せることの技術的な困難さと、そのための費用の問題であった。しかし結局、1999年に司法省(DOJ)とグレイハウンド社が和解協定を行い、またそれまで進んでいなかった施行規則も作られた(注2)。
 それによれば、2000年10月よりグレイハウンド社のような長距離バス会社は車いす対応リフト付きのバスを購入することが義務づけられ、2012年10月までには、バス会社の所有するバスはすべてアクセシブルでなければならないこととなった。それまでは障害者が利用する48時間前に連絡すれば、アクセシブルバスが対応することになったのである。
 私たちが学ぶべき最も大切なことは、サービス提供機関との粘り強い交渉は、しかし決してバリアを許す形で終わってはならないことである。技術的および経営上の問題を踏まえてあうステップを踏みながら、しかしADAは、20年後には完全なバリアフリーの道を選んだことになる。
 日本の場合も大切なのはそこである。現在作られている建築物や交通機関のガイドラインを甘くしてしまえば、バリアのないシステムはまた数十年遅れることとなる。現在、ハートビル法の見直し案が国会に上程されようとしているが、たとえ義務づけが強化されるとしても2千m2以上の公共建築物といったザル法であってよいはずがない。進んだ都道府県や市町村の条例から国は謙虚に学ぶべきである。

2.ナーシングホーム改革(Nursing Home Reform)とサービスの質評価システムの改革

 このテーマについては、連載第9回と21回で少し述べた。アメリカのナーシングホームは、日本の65歳以上の高齢者施設ではなく成人施設であり、日本の身体障害者療護施設を含んでいる。さらにナーシングホームの一部である中間ケア施設には知的障害者用の施設もあり、障害者にとても関係の深い施設である。メディケイドという連邦の医療扶助制度の適用が可能なために、州は連邦政府の予算を獲得すべくナーシングホームや知的障害者の中間ケア施設を進めてきたという経緯もあり、そのサービスの質の問題や施設改革や脱施設化が障害者運動の側でも大きな課題となっている。
 たとえば連載第15回にも述べたように、アメリカの有名な行動的障害者団体であるADAPTは、各種の裁判闘争や実力闘争を通して、施設から地域での自立生活に向けた流れを作ろうとしている。その流れの一つが、連載の第12回で見たOlmstead裁判(1999)である。彼らが中心になって提案されたメディケイド地域アテンダントサービス支援法案(MICASA)は、まさにメディケイドウェイバーを用いた地域生活の選択肢の保障である。地域での介助保障がなければ施設改革や施設解体も起こらないとする彼らの考え方は極めて正しいと言える。
 実はアメリカのナーシングホーム改革には長い歴史がある。その第1段階は、連載の第4回で見た1973年のニクソン大統領による改善命令に基づく長期ケア施設、オンブズマン制度の導入である。第2段階は1987年の改革である。スキャンダルの絶えなかったナーシングホームに対して、その監査システムやサービスの質の評価システムの改革がなされた。まず利用者の権利条項が明確にされ、それに基づいて利用者に対する聞き取り調査等を中心とする、より厳格な監査システムが作られた。
 日本でも介護保険におけるケアマネジメントのアセスメントシステムとして、アメリカのMDS方式がクローズアップされたが、アメリカではそれは、サービスの質の改革を担う一部分に過ぎず、利用者の権利を明確にすることや、監査制度を強化することとそれはセットだったことに注意する必要がある。いかに日本のやり方が一面的で場当たり的かの典型であろう。
 さらに1995年の改革がそれに続くが、それは監査によって問題とされた施設のサービスの質の改善を法的に強制するために罰則等を強化したことである。しかしそれでも施設のサービスの質は、依然として重大な問題を抱えていた。1998年に、カリフォルニア州ではナーシングホームでの利用者の不審な死亡事件が発端で、連邦委員会とGAO(連邦会計監査院)による調査の結果、カリフォルニア州の1370か所のナーシングホームのうち407か所、つまり3分の1が利用者の生命を脅かすケアの問題を抱えていることが明らかとなったのである(注3)。この問題はその後の一連のGAOの調査(注4)および連邦議会レポート(注5)等で、その原因が明らかにされつつある。
 一言で言えば、直接介助職員の質と量がケアの質のすべてだということである。カリフォルニア州は他の州と比べても、職員配置基準が低かったことも明らかとなっている。当然の結果と言えば当然であるが、しかし日本とアメリカの障害者や高齢者の介助や介護の現場で忘れられ、踏みにじられているのがまさにこのことであるということは、恐るべきことである。

2.ADAにおけるMediation(第三者調停)の評価(続き)

 前回はEEOCのMediationプログラムに対する評価報告書について、この報告書ははじめからMediationを高く評価することを意図して作られたものではないかと述べた。
 日本でも現在、社会福祉法に基づいて福祉サービス事業者には、利用者の苦情解決のための第三者が導入されており、そこで解決しない場合には、都道府県社協の運営適正化委員会における第三者調停がなされている。また今後、人権擁護法(案)が制定されるに及んで、人権擁護委員の役割がより強化されるものと思われる。つまり人権委員会の行う調停仲裁以外の人権擁護委員の行う人権相談の役割が、社会福祉法の第三者制度のようなゆるやかな第三者調停活動になる可能性も存在する。
 私見では、このような第三者調停というものは、二つ問題をはらんでいる。第一はそれが非常に困難だということである。かなりのトレーニングを積まなければ、不服を申し立てた側と申し立てられた側の両者の言い分を、中立的な立場で聞いて調停するなどということははできるものではない。それよりも障害者の施設等においては、障害者の立場に立って本人の苦情申し立てを支援するオンブズマンやアドボケイトのほうがはるかに明解であり、市民感情に基づきやすい。ところが福祉サービス事業における第三者は、理事長の選任であるがゆえに、逆のバイアスがかかりやすいと言える。
 第二の問題は、今回のこのEEOCのMediationの評価報告書をよく読めば分かるように、そもそもMediationというものが中立公正であるという前提が成立しないということである。
 この報告書はMediationの評価を不服申し立て側の満足度と被告側の満足度に分けて、その満足度の中身を、【1】手続上の要素(Procedural Elements)と【2】分配上の要素(Distributive Elements)に分けている。【1】は手続上の公正、【2】は結果の公正と言い換えることができる。
 そして調査の結果について、ほとんどの項目で不服申し立て側も被告側も高い同意や満足度を示しているがゆえに、Mediationは両者にとって有効であったと結論づけているのだが、果たして本当にそうであろうか。
 たとえばMediationのプロセスで「自分の意見を十分に表明する機会があったか」という問いでは、不服申し立て側の同意レベルの平均は5点満点で4.39だが、被告側は4.57である。あるいは「Mediator(調停第三者)が使用した手続きは公正だと思うか」という問いについても、不服申し立て側の同意レベルは4.33で、被告側は4.44である。つまりは手続き上の公正においても不服申し立て側よりも被告側により同意も満足度も高いことが分かる。さらに結果の公正を見れば、「Mediationの公正性に満足しているか」という問いに対して、不服申し立て側が4.07、被告側は4.31の同意レベルである。また「Mediationの結果について満足しているか」についての問いに対する答えも、不服申し立て側が3.38、被告側は3.67である。
 これらの結果を見れば、そもそも不服申し立て側である障害者等の労働者と彼らを雇用する側に対して中立で公正な第三者によるMediationなどというものはほとんど成立しないということを、この調査は示しているように思われる。考えてみれば、この両者の関係がもしも対等な契約関係だと仮定すれば、不服申し立て側が常に障害者等の労働者で、被告側が雇用者であること自体がおかしいことになる。つまり不服申し立てをする側の半数が雇用者側で、障害者等の労働者の権利や権限が強すぎて第三者に調停を求めざるを得ない追い込まれた状況があって初めて、対等の権力関係があると言えよう。
 障害者等の労働者側が意見表明権さえままならない現状においては、手続き上の公正を保障するMediationのシステムにも一理はあるが、そもそも差別をする側の雇用者が十分にその意見を表明する機会を与えられれば、満足度がより高くなるのは当然の理である。そしてそのことは手続き上の公正ではなく、結果の公正を見ればより明白である。つまり、少しでも自分たちの主張や意見が調停に反映されれば、雇用者側にとっては高い満足度が生まれるわけだが、ギリギリのところで職をかけて不服申し立てをしている側にとっては、少しでもその意見が薄められれば追いつめられてしまうからである。
 このように、その社会構造に基づく関係において一定の権力関係が存在する雇用者―被雇用者関係や、施設のスタッフ―入所者関係においては、公正中立な第三者による調停としてのMediationは成立しない。それが成立する最低条件は障害者等の労働者の側や、施設の利用者の側に、本人の不服申し立てをサポートする権利擁護者(アドボケイト)が保障される場合のみである。現状ではそれは逆で、権力を持つ側が弁護士等を雇うことはできても、障害者の側にはそれは非常に困難であるに違いない。ここは権力構造を踏まえて、障害者側には無料でアドボケイトが保障され、雇用者の側はその担当者、もしくは経営者が自分で答弁するくらいのバランス感覚が私たちに求められていると言えよう。

3.DPI等の障害者関係団体による「障害者差別禁止法 要綱案―骨子案」について

 昨年11月の日本弁護士連合会の第44回人権擁護大会の第一シンポ実行委員会による「差別禁止法要綱案試案」に続いて、今年の2月にDPI等の障害者関係団体による「障害者差別禁止法(要綱案―骨子案)」(注6)が出された。これからさらに作業チーム等が検討を重ねて6月には完成する予定である。
 その中身について少し触れてみたいと思う。
 まず総則の5において「障害をもつ人への積極的改善策の実施」を挙げ、「障害をもつ人の権利及び自由・機会を保障することを目的としてとられる積極的改善策は、障害をもつ人への差別とは見なされない。またこのような措置はその結果、その目的が達成されれば、後は継続させてはならない」としている。これはたとえば、日本の障害者雇用における法定雇用率制度がある点では差別禁止法と矛盾する場合、それをアファーマティブアクション(積極的差別是正構造)として認めるということであろう。
 次に2-1利用(文化・レクリエーションを含む)を見てみよう。1-1の(3)の利用に関する平等について、以下のように規定している。
1.障害があることを理由にして、利用を拒否されないこと。
2.障害があることを理由にして、特別な利用手段を提供されないこと。
3.障害があることを理由にして、他の大多数のものに比べてそのサービスやプログラムや環境を経験する機会を著しく制限されたり、他者とは異なる経験しか提供されないという状況に置かれないこと。
4.障害があることを理由にして、他の大多数のものに比べて利用手段、入手方法、価格などの選択肢を制限されないこと。
5.サービスやプログラムや環境を利用するために個人の能力を超える動作を要求される場合は、状況に応じた適切な援助を受けられること。
6.利用者の主体性を無視した援助を受けなければ利用できないような状況に置かれないこと。
 なかなか苦心の見られる文章である。つまり障害者に対する適切な援助や配慮義務が、決して「最も統合された環境(the Most Integrated Setting)」からはずれないように試みているだけでなく、多くの知的障害者等が現実に体験させられている選択肢の剥奪(はくだつ)や経験の幅の剥奪や選択するという経験自体を剥奪されることがないような工夫がそこには見られる。
 また2-3支援サービスにおいては、自立生活に必要な個別的支援サービスを受ける権利、つまりサービス受給権を規定している。ここでは雇用やサービスの提供等の場面において、他の市民と平等の扱いをしないことを禁止するアメリカ流の差別禁止の法理を超えていると言える。ここまでくれば、これは差別禁止法と呼ぶべきか、障害者権利法と呼ぶべきか論議を生むところであろうが、日本においては、障害者のサービス受給権とサービス選択権(自己決定権)を共に含んだ障害者の権利を総体として保障する法律が求められていることだけは確かである。

4.おわりに ―残された課題―

 残された課題を提起することでこの稿を締めくくりたいと思う。
 残された最大の課題は3でも見たように、介助等の必要なサービスを受給する権利と、その必要なサービスを自分で決定し選択する権利を、日本の障害者がどのようにして、国民的課題や合意にのせるかである。
 ここでかつて1994年に介護保険の露払いをした「高齢者介護・自立支援システム研究会報告書」の名文を思い出してみよう。
 「従来の高齢者介護は、どちらかと言えば高齢者の身体を清潔に保ち、食事や入浴の面倒を見ると言った『お世話』の面にとどまりがちであった。今後は重度の障害を有する高齢者であっても、たとえば車イスで外出し、好きな買い物ができ、友に会い、地域社会の一員として様々な生活に参加するなど、自分の生活を楽しむことができるような、自立した生活の実現を積極的に支援することは、介護の基本理念として置かれるべきである。」ところが現在では、「介護保険で介護を使ってパチンコに行くことはだめだ」と言い出す始末である。介護を使ってパチンコに行くぐらいしか楽しみのないこの国で、パチンコに行くぐらいで目くじらを立てるなよ、そんなもの高齢者や障害者の勝手じゃないか。自分が障害者や高齢者になった時、それくらいのささやかな自由が本当にほしいのであれば、他者のそれも認めるべきなのだ。介護の必要な障害者や高齢者はイコール家に閉じこもっている必要のある病人や患者などではさらさら無い。
 日本の経済を考えれば、障害者や高齢者が介護を使ってパチンコをしたり、スナックに行ったり、カラオケをするほうが消費も伸びて、よほど明るい方向に展開するに違いない。
 支援の必要な障害者や高齢者が支援を使って、普通の市民生活を営み、時には働き、時には遊び、日本の経済活動や社会活動に貢献するだけでなく、それぞれの人生をエンジョイし、エンパワーメントされることを祈って、締めの言葉としたいと思う。

(きたのせいいち 桃山学院大学)

(注1)

詳しくはアクセス委員会のホームページを参照されたい。www.accessboard.gov/ また現在なされている改正案の問題点等については、”Alert! Access Board Proposes Complete Revision of ADAAG
 Despite Many Improvement, Significant Problems Remain”(DREDF 2000)を参照されたい。

(注2)

Settlement Agreement under the ADA Between USA and Greyhound Lines ,Inc.(DOJ  1999) および Guide for Passengers: Accessible Bus Service Under the Greyhound Agreement(DOJ  Civil Rights Division 1999)

(注3)

そのことについては、連載9の(注4)参照

(注4)

そのことについては、連載9の(注3)参照

(注5)

1.Report to Congress: Interim Report on Nursing Home Quality of Care and Implementation of the Nursing Home Initiative(HCFA 2000)
2.Report to Congress : Appropriateness of Minimum Nurse Staffing Ratios in Nursing Homes(HCFA 2000)

(注6)

「障害者差別禁止法要綱案―骨子案」(障害者差別禁止法作業チーム 2002)については、www.homepage2.nifty.com/dpijapan/でダウンロードが可能である。