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ICFをたたかう武器に

太田修平

「障害」を否定的にとらえないICF

 養護学校の小学校1年の学芸会で「将来の夢」を発表する機会があった。その頃なぜか大人になったら野球の選手になりたかった。長嶋に憧れていた。
 自分の障害を意識しはじめたのは一体いつからだったのだろうか。長嶋を夢見ていた頃の私は、大人になれば歩けるようになることを信じていた。
 「障害」と私は相当長い付き合いだ。野球選手になりたかった頃の私とて、みんなと自分は違うことは分かっていた。つまり幼い時から今まで、障害を意識しない日はなかった。この40年以上のあいだ。思い出話はこれぐらいにしよう。
 さて、WHOは、国際障害分類(ICIDH)を昨年5月改定させ、国際生活機能分類(ICF)とした。これまでの障害分類に比べると、「社会参加」や「活動」に力点が置かれ、「環境因子」を不可欠の問題として大きく取り上げている。そして国際障害分類(International Classification of Impairments, Disabilities and Handicaps)ではなく、国際生活機能分類(International Classification of Functioning, Disability and Health)とした意義はとても大きい。
 「障害」と健康に関する問題は「障害のある人」の問題でなく、すべての人にとって重要性と関連性をもつという認識である。たとえば、車いすを使うのと、めがねを使うのと、自分の活動の幅を広げていく意味で、その目的は同じはずである。
 ICFでは障害を中立的価値ととらえる。むかし私たちは「自分の障害を克服して頑張りなさい」とよく言われたものだ。つまりこれは障害をマイナスの価値観としてみなしてのことだ。ちょうどそれは「女性としての甘えを克服して男性のように頑張りなさい」という考え方にも通じている。問題の本質は「できないこと」や「からだが弱いこと」にあるのではない。そういう違いを認めない社会の側にこそ大きな問題がある。社会政策や環境のあり方によって「障害」が障害でなくなるのである。たとえば、駅にエレベーターがあり、ホームと車両の段差がフラットになれば、車いすを使う人も一般の市民と同じように鉄道を利用できる。すべての人や場面においてこういう考え方をはめ込むことができる。人やケースによって障害となる原因は違ってくる。それをさまざまな側面から分析し分類したのが、この国際生活機能分類(ICF)である。

ICFの理念に沿った障害者政策を

 日本の障害者施策をみると、あまりにもICFの考え方と程遠い実態である。多くの人たちは「障害があるから」という理由で山奥の施設で暮らし、またある人たちは年老いた親とのしんどい生活を余儀なくされ、そしてある人たちは同じ理由から就職できず、さらにある人たちは結婚したくてもできないという厳しい状況がある。「障害がある」ことによって、多くの人たちはあきらめを強いられ、涙を流し、いつのまにかあきらめの人生そのものが自分にとって普通のこととなってしまっている。
 今、根本的に問い返すべきである。障害のある状態があるとすれば、それは個人に責任があるのではなく、社会の側に責任を帰すべきことを。
 今、国連の舞台では、障害者の権利条約の締結の議論が盛り上がりを見せ、一方、国内でも「障害者差別禁止法」の制定に向けた運動が本格化しようとしている。障害を理由にした差別がまかりとおり、断念を強いられている状況を、まずは、法制度の面から解決すべきである。
 さらに、障害者政策全般についてもICFの分類に基づいて行われる必要がある。全身性障害者等にとってむかしからの課題であった障害等級認定の問題や、所得保障制度のあり方についてもICFの分類の考え方が取り入れられれば解決される。社会参加、活動などを制約、制限しているのは何かを考え、それを取り除いていくための社会サービスの体系化と整備が必要とされている。
 今、私の頭には社会参加、活動などを制約、制限している象徴的なものとして、「施設」というものが思い浮かんでいる。ICFの理念に立つならば、障害者の自由と権利を制約している存在である「施設」に対して、具体的な方策が講じられ、「脱施設」の流れをつくっていかなければならない。これらは新障害者プランに明確に盛りこんでいく必要がある。
 障害者運動の世界で「障害は個性」ということがよく言われる。しかし現実は、差別や権利侵害の対象となっている。ICFの理念は「どんな身体を持っていても、健康状態であっても、平等の権利がある」というものと私は解釈をしている。社会全体がほんとうに障害を個性と受けとめるようになり、自分の「障害」を特別に意識することなく生きていける社会の実現をめざしたい。ICFはそのための有力な武器となるに違いない。

(おおたしゅうへい 日本障害者協議会(JD)政策委員長)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2002年6月号(第22巻 通巻251号)