文学に見る障害者像
シュテファン・ツヴァイク著
『心の焦躁』
大津留直
シュテファン・ツヴァイク(1881―1942)はオーストリーのユダヤ人で、非常に幅広い活躍をした詩人・作家・知識人であるが、特に、マリー・アントアネットやバルザックの伝記で有名である。ロマン・ロランと共に平和運動にも携わった。ファシズムを逃れ、イギリス・アメリカへ亡命したが、続いて亡命したブラジルで、ヨーロッパ文化の荒廃に対する不安に耐え切れず、2番目の夫人と共に自殺を遂げた。
『心の焦躁』は1939年出版された彼による唯一の長編小説である。表題を直訳すれば、「諸感情間の混乱・困惑」とでも訳すべきところであるが、精神分析の創始者フロイトの弟子でもあり、人間心理の微妙な軋轢(あつれき)と葛藤の描写にかけては定評のある新ロマン主義の円熟した文豪による悲劇作品である。
主人公ホーフミラーは、第一次世界大戦勃発前夜のオーストリーにおける陸軍槍騎兵聯(れん)隊の少尉としてヴィーンに程近いある衛戍地(えいじゅち)に配属された青年である。その小都市の大地主フォン・ケケスファルヴァの一人娘エーディットは、数年前より足がマヒして、松葉杖なしには動くことができない。青年はそのことを知らずに、ケケスファルヴァの城館で行われた晩餐(ばんさん)において娘をダンスに誘ってしまう。この罪のない失策を償おうとして青年は娘に花束を贈るが、そのことを発端として青年は毎日城へ足を運ぶことになる。青年はあくまでも一日中城館で座って過ごす娘を慰めようとする同情から娘を訪問しているのだと自分自身考え、彼にとっては初めから恋愛へと発展する可能性が除外された関係の気楽さから娘とその周囲に打ち解けてゆき、人に奉仕しているという自負を享楽さえしている。しかし、娘の側では、障害者としての自分には禁じられている青年に対する思慕が芽生えており、それを青年に隠そうとすればするほど、青年の毎日の訪問が彼女に対する真正なる愛からであるのか、それとも単なる憐れみ・同情からであるのか、という希望と不安が入り混じる葛藤に苛(さいな)まれることになる。
青年の娘に対する同情は、同時に、娘のマヒの回復と幸せのためにはどんな犠牲も厭(いと)わない老いた父親にも向けられている。しかし、青年は、娘の医者であるコンドルから、この父親が、実は、かつては不動産を業とする貧しいユダヤ人であったこと、そして、ある富豪の貴婦人から相続人として指定されていた召使の女性を丸め込んで、ケケスファルヴァの土地を安く手に入れようとして、うまくいこうとした最後の瞬間に、彼の中に起こったその女性に対する同情に動かされて、結婚を申し込んでしまったことを聞かされる。そして、同情には、あたかも隣人のためにしているかのように振舞いながら、その実、自分自身を守るためにだけ行為する同情と、「自分が何を為さんとするかを知り、そして辛抱強く共に耐えながら、自分の力の最後の限界まで、いやその限界を超えてまで貫き通そうと決心している」「創造的な同情」1)がある、と青年はコンドルに諭(さと)される。コンドルによれば、ケケスファルヴァの場合は、後者にあたる。なぜなら、彼はそのことによってその貴族名を得たにしても、その後彼女をこよなく愛し、彼女が亡くなった後も貞操を守り、残った一人娘の治療に専念しているからである。
このコンドルの同情論には、同情をユダヤ‐キリスト教の弱者による非創造的精神の根幹だとして罵倒するニーチェとの対決という作者ツヴァイクの隠れたテーマが反映されている。因みに、「同情」を意味するドイツ語は、「共に苦しむ」を意味する動詞から来ている。
このことをコンドルから聞かされて、青年ホーフミラーは、自分には娘の苦しみをそこまで共に苦しむ用意はできていないことを悟り、自分の今までの同情と奉仕に距離を置こうとする。しかし、まさにその直後、彼はエーディットから思いもかけず、愛の告白を受けることになる。それは、自分がこれからコンドルによって薦められている厳しい新治療を受けるのは、ただ彼のためであり、彼との結婚に値する身体になるためだという告白であった。
この告白を受けて、青年は非常な衝撃を受け、ただその町から一刻も早く逃げ出そうとする。いまや、彼は、同情が人を傷つけてしまうことがあるということを身をもって思い知らされる。しかし、すでに手遅れだと彼は思い、辞表を書き、友人が提供してくれた他の職場へ赴くためにその町を出発する。
その途中、コンドルの家に立ち寄った彼は、コンドルに彼の逃亡はエーディットを死に追いやるかもしれないと諭され、少なくとも彼女が新治療を受けるためにスイスの療養地へ出発するまでの1週間は町に留(とど)まり、毎日彼女を訪ねるよう説得される。彼はその期限を条件としてそれを承諾する。
その1週間、彼らはお互いに何もなかったかのように和やかに過ごした。彼は、彼女のマヒが治るという希望が挫(くじ)けないようにすることに専念した。しかし、その最終日に起こったことはまさに凄絶であった。彼女は彼にしばしの別れを告げるために城の玄関まで松葉杖をついて歩いていく。
…半身不随の娘はこれから凄まじい努力をしようとするかのように唇を噛みしめ、かっとみひらいた爛爛とした眼で私を見据えながら、いわば游泳者が岸から水に飛びこむように、身を支えていた戸口の柱から一気に身を躍らせて松葉杖によらず自由に私の方へ歩み寄ろうとしたのだ。(中略)彼女はそれを成就したのだ、その奇跡を―あとはもう二歩―いやもう最後の一歩だけだった。ほとんど私には、微笑に崩れて開きかけた彼女の唇からもうその息づかいが感ぜられるところだった―そのとき無慙なことが起った。ついに私の抱擁を受けられると思って早まって腕をひろげた、そのなつかしさのあまりの激しい動作のために、彼女は平衡を失った。鎌で刈倒されたように彼女はがくりと膝を折った。どうと音を立てて彼女は私の足許まぢかくにくずおれ、固い床石の上に彼女の松葉杖は大きな音をたててころがった。そして私は最初の驚愕に身を貫かれると同時に、この場合最も自然なことをするかわりに、すなわち身を躍らせて彼女を扶け起こすかわりに、思わず身を引いたのだった。1)
このあと青年は逃げるように城を出て行き、再びは戻らない。しかも、友人たちの前で彼女との婚約を否定してしまう。別れを告げるために訪れた聯隊長は、彼に新しい配属地へ行くようにと指図する。翌日、青年はその配属地へ行く途中コンドルに、即刻ケケスファルヴァへ行き、彼が今やっと彼女を愛していることに気がついたこと、そして、婚約を否定した自分よりも彼女と婚約した自分のほうが真正であることを伝えてほしい旨一通の手紙を残す。彼はエーディットにも、すぐ帰る旨電報を打つ。しかし、ちょうどその日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が暗殺されるという、第一次世界大戦の発端となる事件が起こってしまったため、コンドルは出発できず、電報も届かない。
その頃、エーディットは彼が婚約を友人たちの前で否定したことを聞きつけ、絶望のあまり、父親が特に彼女のために改修した城のテラスから飛び降りて自殺してしまう。
これがこの悲劇の概要である。
さて、この作品の登場人物、特に娘の父親は、娘が幸せになるためには彼女のマヒが治らなければならないことに固執しており、その固執は娘自身にも移っているように見える。しかし、娘の場合は、それはあくまでも、愛する人との結婚に値する身体になるためである。したがって、彼女においては、その愛において、障害があるがままの形で受け入れられる可能性は決して除外されていないであろうし、ツヴァイクも作品の最後においてそのことを暗示しているように思われる。その意味で、この作品は、克服され得ない障害を負う人間は生きるに値しないという当時一般的であり、この作品が書かれた当時、ドイツで始まった障害者に対する安楽死を可能にした優生思想の前提となった障害者観に対する警鐘としても理解されうると思われる。
(おおつるただし 大阪大学・関西学院大学非常勤講師)
参考文献
1)ツヴァイク全集6『心の焦躁』大久保和郎訳 みすず書房 1974年