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会議

「第50回全国ろうあ者大会」を終えて

第50回全国ろうあ者大会実行委員会事務局

 去る6月6日~9日の4日間、沖縄コンベンションセンターにおいて第50回全国ろうあ者大会が、「ニライカナイへ響きわたれ! 万国津梁・われわれの想いを! 自主・主張・協和」のテーマに基づき、開催されました。
 「ニライカナイへ」とは、ねがいかなう国という意味で、目に見えぬ海のはるか彼方に、幸せをもたらしてくれる場所がある! という古くから沖縄に伝わる信仰です。そして、「万国津梁(ばんこくしんりょう)」とは、独立王国で琉球王国と呼ばれていた時代でした。中国から支援を受けて真南蛮(まなんばん)の東南アジア地域の中継貿易国として発展させたこの琉球の気概を銘文として表したものです。「ろうあ者自身一人ひとりが自立できて、社会の中で堂々と主張を通し、手話通訳者のみでなく、市民とともに協和ができるような共存社会を実現できる」その念願達成のために、ニライカナイへ夢を託し、その気概を万国津梁の鐘を鳴らすように、アジア・世界へ響きわたるよう! その想いをテーマにしたものです。
 今回、沖縄での大会開催ということで、スーツやネクタイ姿ではなく、カラフルなかりゆしウェアやアロハシャツを着用していただきました、そのため、斬新かつ南国のイメージの匂わせる雰囲気が、大会会場いっぱいに溢れていました。
 今回は、「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念にあたり、タイ・ネパールのろう学校の生徒と教師および協会役員を招待し、また研究分科会にてろう団体役員にそれぞれの国のろう学校、ろう教育、ろう協会の実情、そしてろう児たちの将来の夢についてのビデオ上映が行われ、パネルディスカッションが行われました。他にも「手話」「教育」「労働」「手話通訳」「芸術・文化」をテーマにした聴覚障害者にかかわる研究分科会が開かれ、講演・シンポジウム・パネルディスカッションなどが行われました。
 研究分科会のほかに、「青年のつどい」と「高齢者のつどい」があり、「青年のつどい」では、沖縄県における基地問題や戦争の悲惨さを知ってもらうことを目的とし、読谷村のチビチリガマ・シムクガマ・象のオリ(楚辺通信所)を見学してきました。「高齢者のつどい」は宜野湾市の佐喜眞美術館・普天間神宮を見学しました。見学後に参加者から、基地の広さを実感し、戦争の悲惨さ、平和の尊さを考えさせられたと参加者の声がありました。
 前夜祭(交歓パーティー)が那覇市内のパシフィックホテル沖縄にて開かれ、約360人以上が集まり、食事をしながら交流を深めたり、余興にはタイやネパールのろう生徒による踊り、それぞれ民族の踊りを披露してくれました。また、地元のろうあ者5人によるジャズダンスにて、一糸乱れもない息のあったダンスを披露し、会場を盛り上げてくれました。
 大会最終日に全国ろうあ者大会式典が行われ、沖縄県知事の稲嶺惠一氏が歓迎のことばにて名前を指文字で紹介してくれました。厚生文化賞に聴覚障害者バレーボールの指導・発展に力を注いでくれた宮里孝三氏を含む3人の方が受賞されました。大会宣言・大会決議・大会スローガンを宣言され、大会式典を終えました。その後のアトラクション・フィナーレでは、福岡ろう劇団『博多』による「ヘレン・ケラー」と美少女舞踊集団『花やから』による琉球舞踊・伝統舞踊を披露していただきました。「ヘレン・ケラー」の熱演に大きな拍手が起こり、目を覆う人も見られました。『花やから』の演劇中に、カメラを手にした人が舞台袖まで群がり、カメラのフラッシュがすごかったです。『花やから』のメンバーがかわいいということもあり、あでやかな琉球舞踊に目を奪われ、多くの写真を収めようとしていたのかもしれません。
 今大会は沖縄の特色を表した大会でもあり、沖縄を知ってもらおうと情報発信の場になったと思います。短期間の中、準備や交渉などいろいろ大変でしたが、無事に大会成功することができて、いい経験・思い出にもなりました。
 最後に、第50回全国ろうあ者大会に参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました。機会があれば、「またんうちなーへめんそーれ!」青い空と青い海、そしてさわやかな南風がお待ちします!